このまま そのまま ありのまま

ディズニー映画「アナと雪の女王」が大人気のようですね。そして映画以上に人気なのが、主題歌の「Let it go」。上映以来、聞かない日はないのではないかと思うほど、よく耳にするような気がします。実は私は映画をまだ見ていないのですが、それでもこの曲のサビの部分は特に印象的で、ふと「レリゴー」と口ずさむこともあるほど。
この歌の人気の背景には、メロディーの良さや歌ってみて気持ちいいということがあるのだと思いますが、ひょっとしたら、この「ありのーままのー♪」と歌われる歌詞も、今を生きる人達の共感を得たのかもしれません。
私たちの社会を見回してみますと、「私はこのままではいけない」と感じさせるような大きなうねりのようなものがあるように思います。努力をし、自分を改革し、より良い自分を目指していく。書店などを見ても、自分の今の在り方を変えて成功しよう、という内容の本をよく見かけます。確かに自分の在り方をより良いものに変えていく、成長してくということは、とても大切なことです。
それとは逆に、私たちはどこかで「そのままのあなたがいい」と自分のことを認めて欲しいという思いも持っています。人と常に比較されることや、他から理想の在り方を強制されることに、うんざりしてしまうこともあるでしょう。私は私だと思いたいし、それを認めてほしいと思いながらも、比較や変化を求められる。なかなか自分らしく、ありのままでいるということは難しいことなのかもしれません。「Let it go」という曲が人気なのは、そんな生きにくさの中で、高らかに自分らしくあることを歌い上げているからこそなのでしょう。
ところで、仏教は自己を改革して苦悩から離れようとする教えですから、基本的には私に変化を求める教えです。ただ現代社会にある「このままの自分ではいけない」とする流れとは、ちょっとまた別であるように思います。仏教が求める変化は、私たちの社会的、経済的成功を目的としたものではありません。あくまでその目的は「仏と成る」というところにあります。言い方を変えれば、「私」をより強固にしていくためではなく、「私」を弱め、離れていくための教えが仏教の変化の方向です。
これはともすれば、私らしくあることを否定しているようでもあります。しかし、いくら自分らしく、ありのままの生き方をしたとしても、それが自分さえ良ければというものになってしまえば本末転倒です。本当の自分のありのままの姿というものは、個性や特別な力にあふれるような素晴らしいものなどではなく、貪欲・瞋恚・愚痴に振り回される苦の存在であと見つめる。これが仏教の基本的なスタンスです。
けれど、浄土仏教ではまた少しそのスタンスに変化が見られます。浄土教が目指すのは、自分に克てる優れた人だけが苦悩から離れられる道ではなく、あらゆるいのちが苦悩から離れていく世界です。そのためには、自分の力で自己のありのままの煩悩を克服できない人にとっても開かれた道でなければなりません。ですから、浄土教を代表する阿弥陀仏という仏さまは、私に変化を求めません。なぜならば、いくら私が変化しようとしても、それはどう頑張っても煩悩に基づくものでしかないからです。
しかし、私に変化を求めないという究極の慈悲の教えによって、かえって私の心の闇の深さが知らされてきます。それが知らされた時、私の進んでいく道は、怠惰になることでもなく、自分勝手な振る舞いを続けていくことでもありません。「あなたのままで」という優しい心を振り向けてくれる存在に対することで、我が身の在り方を恥じ、より深く自分自身と向き合う生き方が始まっていくのではないでしょうか。それは私を否定し、変化を強制される道ではなく、私が肯定される中で、私が変えられていくという道であるのだと思います。
私のありのままの姿。それは果たして本当に素晴らしいものであるのか、今一度問い直しながら、どんな私であってもそのまま受け止めてくれるという阿弥陀仏の教えにも、共に耳を傾けていきたいものです。
日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。