彼岸寺のお坊さんめくり2人目は、現在ベルリンで禅修行をされている樋口星覚さんです。星覚さんとは、『Ustream』の生放送でお目にかかったり、メールのやりとりはしていたものの実際にお会いするのは初めて。でも、お会いしてすぐに、星覚さんの持つほんわかした雰囲気に包まれるのを感じて、心地よくお話を聴かせていただきました。まずは、星覚さんがどうして出家したのか、そして永平寺での厳しい修行をどう受け止められたのかについて、お話をうかがっています。
アイスホッケー青年が俳優、そして雲水になった理由
——星覚さんは、大学では何学部だったんですか?
法学部政治学科。仏法の法じゃないですよ。法律の法、ダルマ学部じゃないです。
——ダルマ学部じゃなくて(笑)。雲水であり俳優でもあるという、現在の星覚さんの原点は学生時代にあるのかなと思っていて。大学では演劇部に?
いえ、けっこうガチの体育会系のアイスホッケー部でした。たまたま友達に「英語劇を一緒にやろう」と誘われて行ったら、そこに演出家の奈良橋陽子さんがいたんです。陽子さんの言うことがどえらい衝撃的だったので、これはちょっと生きる道を考えたほうがいいなと大きな転換点を迎えることになりました。まだ、19歳くらいだったんじゃないかな。
——ずいぶん本格的な英語劇だったんですね。奈良橋さんはどんな方ですか?
UPS(United Perfomer’s Studio)という演劇事務所などを主宰していて、藤田朋子さんや別所哲也さんなどを発掘された方です。奈良橋陽子さんからは、オダギリジョーさんや菊池凛子さんも学ばれていたようですね。ニューヨークにあるアクターズ・スタジオの『メソッド演技法』を取り入れた演技指導をされています。
——星覚さんが、奈良橋さんに出会って受けた衝撃について教えてください。
初めて陽子さんのところに行ったときに、「部屋の隅からモノを取ってくる」という動作をしたんですね。それが、ごく普通の動作なのに、みんなに見られているときと見られていないときで全然動きが違うんです。見られていることを意識していると、心の動きが必ず身体に出る。緊張は癖になって身体に染み付いているんです。そのクセを取り去ることで自分の核となる心に触れることができるし、その核となる心をさらけ出すのが演技の芸術だという話をされました。
演技というのは、他の人の前で演じる能力を高めるとか「付け加えて」いくものだと思っていたのに、「何もしない」ことが演技の要なんだと言われてこれは面白いなあと思ったわけですよ。
——その面白さから演技に興味を持つようになったんですね。そこに仏教あるいは禅がクロスしたのはどういうわけだったんでしょう。
そのときは、禅のことはあまり知らなかったですね。映画『ラストサムライ』を陽子さんがやったとき、「侍」という字が「寺の人」と書くことに気がついたんです。「お寺には何かあるな」と思って調べていたら、道元さんの『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』に出会いました。読んでみると、道元さんの言うことと陽子さんが教えている『メソッド演技法』にはすごい共通するものがある。アートと日本の禅は芯の部分で共通するものがあるんじゃないかと感じました。
東京で大学生をしていると、「いかに所有するか」「富を得るか」「何を得るのか」と、「得る」ことばかりに目を向けてしまうけれど、「本当に生きる」というのはそういうことじゃないんじゃないかと。「本当に生きる」ことに迫るのが俳優や禅の道で、一生をかけて追求できるんじゃないかと思い始めたんです。
——その道を追求するには、NYのアクターズ・スタジオに行く可能性もあったと思うのですが、永平寺を選ばれたのはどうしてですか?
僕は、海外で生まれ育ったので日本が好きだったんです。日本の良さもすごくわかっていたし。学生時代にいろんな国に旅行をして、日本人として本当に身につけるべきなのは、英語や外交能力よりも自分たちの国の文化を深く知って「私たちにはこういう伝統がある」としっかり身体で表現できることじゃないかと考えていました。英語や外国文化を勉強するのはその後でいいんじゃないかなと強く感じていて。NYへ演技手法を学びに行くことも、芯の部分では同じなんだけれども、日本人として日本文化の核に触れられる場所で勉強したくて永平寺に上がりました。
——修行に行く前には、お寺やお坊さんとのご縁はあまりなかったということ?
ないですね。ただ、父が幼い頃に戦争を経験していて、一家でお寺に疎開していたことがあって。父のいとこに永平寺のお坊さんがいて、法事の時や親族で集まるときには会って仲良くしていたので、普通の人よりはご縁があったのかもしれない。僕が永平寺に上がるときには、その方に師僧になっていただきました。
永平寺の修行システムが760年続く理由
——永平寺に行くぞ! と決めた最初の段階はかなり直感的ですよね。修行に入ってからはタイヘンでしたか?
大変だったし、もう一回行けと言われたら行きたくない……でも、行きたくないけど行きたいような……部活みたいな感じですかね(笑)。体育会系の部活経験があったので耐えられた部分もあったのかもしれません。
——禅宗の僧堂はかなり体育会系で、警策(棒)がいくらでも折れると聞いたりしますけども……。
そうですねえ(笑)。外国人の人が入門すると「こんなのはおかしい!」とすぐに辞めてしまうこともあります。やはり、厳しい年功序列はかなり日本的というか。でも、その上下関係がいいところでもあるんです。最初のうちはわからないけれど、何年も経つと「これがいいんだ」とだんだんわかってきますよ。
——星覚さんご自身は上下関係の厳しさに理不尽さを覚えることはなかったんですか?
ありますよ。「絶対おかしいだろ」ってしょっちゅう思ってたんですけど、それでいいんだなって……。永平寺は、ひとつの大きな家族なんです。厳しい上下関係は、全然関係ない他人との間では成り立たないけど、本当にその人のことを家族のように思っているとわかった上であれば成り立つんです。むしろ、理屈で正しいことを言うよりも、「上の人の言ったことが絶対正しい」としたほうが、上も下もお互いに成長できるんだと気づいたときには「なるほど」と思いましたね。
——それは、下の人は目上の人を信頼して従い、上の人は責任を持って下の人を指導するというようなこと?
そうですね。永平寺ではどんな人でも偉くなるんです。どんなに能力がなくてもその役に就いたらやらなきゃいけないし、人間ってそこに就けばたいていの仕事ができちゃうんです。そうなると「自分の能力でこのポストに就いている」んじゃなくて、「みんながそこに就かせてくれているんだ」という心持ちになります。
すると、「自分の能力を高めて見せつけよう」「発揮しよう」という考え方から、周りを見渡して「いかに全体の調和をうまくとるか」を考えて、みんなのために自分ができることを精一杯やるという考え方になってくる。永平寺は、それで760年まわっているんですよ。
——実力主義の正反対ですね。
そうなんですよ。僕は、大学を卒業するときは「実力主義じゃないとおかしい」と思っていたのですが、ある条件のもとではそうじゃないこともあるし、そっちのほうが人間が長持ちするというか、持続する社会もあるんだなあということに気がついて。僕は永平寺のシステムがすごい好きですね。
——永平寺のシステムを成立させる「ある条件」とはどんなものなのでしょう。
ひとことでいえば家族愛じゃないでしょうか。「これはご縁なんだ。こいつの面倒は最後まで見る」って思ってるんですよ、先輩は。
——その時は理不尽に思えても、先輩はすごくちゃんと考えてくれているということ?
うーん。あんまりちゃんと考えていないことも(笑)。たとえば「カラスは白い」と言われたら「ハイッ!」と言って、その瞬間からカラスは白いと思って行動しなければいけない。でも、人間って間違えることもありますよね。で、永平寺では次の日に何もなかったような顔をして「カラスは黒い」と言えるんです。するとまた下の人は「ハイッ!」て言わなければいけない。
で、もし能力主義や理屈が通る社会なら「カラスはこのような理由で白だ」と説明しなければいけないし、下の人もその理屈に納得して従いますよね。それだと、次の日に「カラスは黒」と言われたら「先輩、それは違うんじゃないですか?」ということになる。理屈で従わせていると、一度言ったことを覆すために別の理屈が必要になります。
でも、上にいる人は全体が見えていますから、次の日に全然別なことを言ったとしても「そのときはそれが正しい」。また次の日も「そのときはそれが正しい」。そこに家族愛があれば、ちょっと間違えたり理屈が違っていても、総体としては理屈とは違う正しさのようなものが受け継がれていくんですね。みんながそれを理解していると、何パーセントか間違う部分があっても、全員が気づくようになるんですよ。先輩としても自分の間違いに気づいたら直すし、それでも従ってくれた下の人たちに責任を感じるから「次はもっとちゃんと判断しよう」と判断力も磨かれていきます。
——そして、最初は反発していた人も、その仕組みを理解して納得して行く。
しかも、自分が上の立場になると、実は従っているだけの方が楽だったんだと気づきます。やっぱり、最初は殴られたら「なんてヒドイ先輩だ」と思っていたんですけど、上になると殴るほうがむしろ親切だし、殴ったりガツンと言う方が難しいということもわかる。殴ると自分の手も痛いし、ガツンと言うにはまずは自分がきちんとやっていなくちゃいけない。「ハイッ!」て従っていたほうが楽だったんだなと思います。
能力って、測り方がどこかで恣意的なものになるけれど、入山した年度という絶対的な尺度で年功序列にするのも昔ながらの智慧です。ネイティブ・アメリカンなんかもそうだったんじゃないかな。酋長の言うことは絶対に正しい。そこが崩れてみんなが勝手なことをしはじめると、いろいろ問題が起きてきちゃう。
なぜ、シャバに生きる雲水の道を選ぶのか
——永平寺から下りられたあと、どこかのお寺の住職になるという発想はゼロだったんですか?
全然ないですね。「お寺に入りませんか?」という縁談はちょくちょくいただきましたけど、僕みたいなのがそんな恐れ多くて。
——住職としてお寺に入ることには興味がない?
たぶん、そう簡単じゃないですね、お寺の住職さんになるというのは。自分が坐禅をしていて、それに共感してくれる人が集まって一緒に生活するようになって、「じゃあサンガが必要だ」「この家にしようか」とお寺ができていくのが自然なかたちだと思うんです。でも、そのプロセスなくいきなりお寺に入って、すでにあるコミュニティを保持しながら何とかするというのは、ちょっと在家出身の僕には難しいんじゃないかなと思います。
今、葬式仏教っていう言葉は悪いイメージで使われることが多いですけど、とても立派だと思いますね。小さい頃からお檀家さんに育てられてその期待を一身に背負って永平寺に上がる。それだけでもね、普通の人ではできないことですよ。恋人とも離れて、自分が行きたいかどうか本当のところはわからないようなところで何年も修行してお寺に戻り、「良く帰ってきた」と喜んでくれるお檀家さんのために一生お坊さんをする。小さい頃からそう育てられてきて、自然の縁の流れで住職になっていくわけです。永平寺の修行仲間の葛藤や影の努力を見てきたから、「そこにお寺があるから」とポンと入るというのは、僕には難しい気がしました。
——永平寺から下りるとき、お寺の御子息はお寺に帰っていかれる。星覚さんは「じゃあ!」と東京に(笑)。かなり異色ですよね。つまり、星覚さんはお坊さんという”職業”をしておられない。
まあ、あまりいないかもしれませんね。ごくたまに、法要でお経をよんでほしいと言われたり、ご縁があったときにはしますけれど。一般的なお坊さんに比べるとすごく少ないと思います。
——ありていに言うと、お布施で暮らしていないお坊さんは珍しいのではないでしょうか。ご住職ではなくても本山勤務、役僧をして暮らしておられる方もいれば、他の職業を主としていて「僧侶資格を持っているだけ」という方もいる。星覚さんは、「お坊さん」を軸に生きていながら収入とは結びつけていませんね。
どうなんでしょうね。そうか、だいたいお寺を持っている人が多いのかな。そう言われてみればそうですね。僕もお寺を持った方がいいかな?
——いやいや、そういうわけじゃないと思いますけど(笑)。
ラブワゴンならぬ禅ワゴン!? のべ200人を永平寺へ案内した『禅の旅』
——永平寺での坐禅体験をプロデュースする『禅の旅』をしておられましたね。どんな内容だったんですか?
永平寺から下山して1年ほど経ったときに、「永平寺で坐禅してみたい」と言う人が多いから、「しょうがないな。まとめて連れていくよ」と始めました。”禅ワゴン”という、ラブワゴンばりのワゴンで行くんですよ。10人乗りなので、最大9人が定員。ひとりひとりにちゃんと付いて体験してもらうには、それが限度かなと思いますしちょうどいい人数だったと思います。そしたら、やけに評判が高くて「私も行きたい!」「私も!」と言われるものだから、月一回くらいのペースで通算20回は行ったかな。
——すごい。のべ200人くらい連れて行ったんだ。
そうですね。永平寺のそばの天竜寺というお寺に泊めていただくんですけど、そこでは一般の人も禅僧と同じく”応量器(おうりょうき)”という、マトリョーシカみたいにお椀のなかにいろんなサイズのお椀が入っている食器を使って、作法通りに食事もさせていただけるんです。永平寺だと修行僧とともに生活はできないけれど、天竜寺なら本格的な修行体験ができる。でも、やはり永平寺にも行きたい人が多いので、朝は永平寺のお勤めに参加するというコースで旅をしていました。多い人は、4、5回リピートしていたり、「すごく日常の見方が変わった」「人生が変わった」と言ってくれたりして。一泊二日の旅なんですけどね。
——じゃあ、娑婆での雲水活動というのは、『禅の旅』とヨガスタジオでの坐禅指導がメインだったんですか?
永平寺では朝の坐禅のことを暁天坐禅(きょうてんざぜん)と言うんですけど、都内のヨガスタジオで坐禅をしてお経をあげて、お粥をいただく(行粥/ぎょうしゅく)までを体験してもらうクラスを毎朝開いていました。朝6時半集合、8時ごろ解散。早くしすぎると来れなくなるし、遅くすると会社に間に合わなくなるので、時間設定が難しかったです。
——平日朝の坐禅クラス。いわゆる朝活ですね。参加者は都内にお勤めの方たち?
はい。男女比は意外と同じくらいでした。ワークショップなどでは女性が多かったりしたのですが、暁天坐禅は男性もけっこう来てくれていました。僕としても男性に来てほしいなあと思っていたので、ちょうどよかったです。
何のために坐禅するのか?
——曹洞宗ではご本尊は釈迦牟尼仏ですよね。坐禅や作法、自分をどう磨くかという話と、仏さまを拝むという行為はどう接続するんですか?
お釈迦さまが伝えたことは脈々と今に伝わっているんだという接点です。毎朝のお勤めで、過去七仏(お釈迦さま以前の七仏の如来)、釈迦牟尼仏、大迦葉や摩訶迦葉などの釈迦十大弟子からずーっとお名前を読んでいって、道元さん以降の永平寺歴代貫主のお名前を読むんです。そこで、ダイレクトにお釈迦さまにつながっていることを確認しますよ。道元さんまでで57人、現在の猊下で第79世ですから約140人ですね。つながりは裏がとれているというか。師匠から教わる、先輩から教わる。その大本にいるのがお釈迦さまなんだという考え方だと僕は理解しています。
——坐禅をすることによって目指す到達点はあるのでしょうか。
僕は考えたことがないし、少なくとも永平寺では解脱とか悟るとか教わらないですね、まったく。何かを目指すというものではないんじゃないかな。
——端的に言えば、何のために坐禅するのでしょう?
難しい質問だなあ。お父さんが日本語をしゃべっているから、気づいたら自分も日本語をしゃべっていたという感覚に近いんじゃないですかね。師匠が坐禅をしていたから、自分も坐禅をしている。特に意味はないですね。坐禅は、自分が大切にしたい生き方なんだというのが一番しっくりくるかな。後付けの理由ならいろいろありますよ。坐禅の時間を持つと頭も身体もすっきりするとか……でも、究極のところは、ご縁があった人がやっていたからマネをしてみたということです。やってみたことはありますか? 姿勢を整えるだけで……(姿勢を整えてとても気持ちのよい表情に)。
——えーと(笑)。たとえば、iPhoneアプリ『雲堂』で坐禅してみて「気持ちがいい」と感じるのは、禅の入り口としてはとても良いと思います。でも、その「気持ち良さ」だけが先行すると単なるボディ・エクササイズになってしまうのではないでしょうか。
どうなんでしょうね。道元さんは中国留学から帰国した後、「仏法とは何だ?」と問われて「眼横鼻直(目は横、鼻は縦)」と答えたそうです。誰にとってもあたりまえのことのなかに道元さんが言いたかったことがあって、それが伝わってみんなが幸せな生き方をできるのであれば、あるいは信仰や宗教的な部分が欠けたとしてもそれはそれでいいんじゃないかな。
でもね、ちゃんと伝わったいうときには、信仰の部分が欠けて伝わることはまずあり得ないと思うんです。たとえ入り口が『雲堂』であったとしても、極めればいつか宗教的な境涯にたどり着くんじゃないかというヘンな確信みたいなものがあるかな。
——つまり、「なぜ星覚さんは坐禅するのか」という問いの答えは、自分で坐ってみることのなかにありそうですね。
いや、とにかく楽で楽しいんですよ。ホントに楽しいし、すごく魅力的な生き方が禅のなかにあるということは確信を持って言えます。みんなもそうすればいいのになあとは思うけれども、現代の多くの人たちが向かっている方向とはあまりに違うことはわかっているので。どう伝えるのか苦労しているのかなという気がします。最近は随分変わってきているとも感じますけれど。
——禅の魅力を伝える方法を模索するプロセスのなかに今回の渡欧があるんですね。
その通りです。
なぜ、星覚さんはベルリンで禅修行することになったのか?
——海外で禅を学びたいと思うようになったのはどうしてですか?
永平寺で学んだことを伝えたいという気持ちはすごく強いんですけど、表現方法がわからない。俳優の道はそのひとつだと思うけれど、10年や20年でなんとかなる道ではないし。自分自身で納得のいく伝えかたをまだまだ学ぶ必要があります。
海外では、禅やチベット仏教を、ヨガとか整体、生き方の哲学みたいに捉えているところがあって、わりと若い人が積極的に参加していたりする。お寺で、ご住職に禅を学ぶという感じじゃないんです。 まず、禅の考え方があって「やってみよう」というコミュニティができて、それが広がっていくという形で。NYにしてもベルリンにしても、坐禅する人たちがどんなところに魅力を感じて、どこに共感して人が集まってくるのか。自分の目で見ることができたら、考え方を伝えるヒントになるんじゃないかと思います。
渡欧にあたっては、横浜・善光寺さんに応援していただいて『横浜善光寺留学僧育英会』から1年間の奨学金をいただくことになりました。ひとまずベルリンを拠点に、ニューヨークにも行ってみたいと思っています。ニューヨークには禅の道場がたくさんあるようなので。
——帰国後は、伝えることに本格的に取り組み、ゆくゆくはサンガのような形を作れたらいいなと思っていますか?
たぶん、それを目標にするっていうことはないですね。帰国するかどうかもわからないですから。ただ、一緒に坐禅する仲間が増えてくれたらいいなと思います。向こうに行けばそこにいる人と一緒に勉強をするつもりです。また、何かのきっかけで「ポルトガルがアツい!」と思えば、行ってしまうかもしれませんし。
——先行きを決めずにベルリンに行くことに不安はないんですか?
不安ですよ、そりゃ。めちゃめちゃ不安ですよ。特に家族がいるとね。でも、どんなことをしていても不安はあると思うんです。たとえば、地震が起きて原発事故が起きたら、今までの仕事が全部なくなるという可能性もあるわけですよね。安全に、安全にと地歩を固めるよりも、今やるべき生活をしていれば不思議となんとかなるんじゃないかと信じてやってる感じです。
彼岸寺の活動はベルリンでも続けます
——星覚さんと彼岸寺の出会いはどんなふうに?
『禅の旅』に来てくれた和尚さんの友達と一緒に彼岸寺のイベントに行ったら、気が合って一緒にやることになったんじゃないかな。圭介くん(松本)の本のなかに、車のお葬式をする話がありましたけど、あの車の持ち主がアイスホッケー部の後輩だったんですよ。僕もその車で一緒にドライブしていたからすごいご縁だなあと思いました。
あと、弓月(松下)は僕の親友と幼なじみで。弓月は幼なじみから「俳優で禅の修行に行ったへんなヤツがいる」と聴かされていたらしく、僕と会ったときに「永平寺出身なら、こういう人がいませんでしたか?」と質問してきて、「あ、それは僕です」って(笑)。弓月は、お坊さんの友達というよりも、普通の友達という感じですね。
——そうなんですね。ベルリンに行っている間も、連載の更新など彼岸寺の活動は続けられますか?
続けますよ。「ニューヨーク雲水日記」とタイトルをつけたら、行く前から渡航先が変わってしまったし、もうタイトルには地名を入れない方がいいかもしれませんね。
——新しいタイトル、一緒に考えましょうか。ベルリンでどんなことを経験されるのか、連載や『日々是好日』で読ませていただくのを楽しみにしています!
坊主めくりアンケート
1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。特定のアルバムなどがあれば、そのタイトルもお願いします。
坂本龍一さん(tokyo 042909)
Azumiさん(Balcony)
強(カーテンコール)
2)好きな映画があれば教えてください。特に好きなシーンなどがあれば、かんたんな説明をお願いします。
もののけ姫
3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想(三木成夫)
正法眼蔵(道元禅師)
情緒と創造(岡潔)
4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
格闘技 あります <br=””>
5)好きな料理・食べ物はなんですか?
ごはん
6)趣味・特技があれば教えてください。
スケッチ
7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
勇気を出すこと
8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
地球
9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
ケーキ屋さん
10)尊敬している人がいれば教えてください。
宏樹さん、晃輝、妻
11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
アイスホッケー
12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
ホスト 歌舞伎町でお酒を飲む
13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
四九日 一日中寝ていられる
15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
その間の四九日はさらに一時間長く寝る
16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
潜行密用は愚の如く魯の如し
17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
龍
18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください。(次のインタビューで聞いてみます)
「お坊さんと普通の人の違いは何ですか?」
19)前のお坊さんからの質問です。「自分の死を明確に意識して生きていますか? もしそうならばそれは日常にどのように影響しているのでしょうか?」
意識していません。
プロフィール
樋口星覚/ひぐちせいがく
シンガポールに生まれ、幼少時代をポーランド・イギリス・鳥取県で過ご す。慶應義塾大学法学部を卒業後、大本山永平寺で雲水(禅の修行僧)として修行を積 む。中国南普陀寺、アメリカ好人庵、ポーランド法楽寺、ドイツ普門寺、寂光寺など多くの海外禅道場へも参禅し、現在ベルリンを中心に活動中。 都市生活で実践する雲水のライフスタイルを提案するウェブカフェ、雲水喫茶を主催している。