寺のあり方をゼロから問い直す人/大善院 佐々木正祥さん&美也子さん

京都のオフィス街・四条烏丸から徒歩10分もかからない場所に、浄土真宗の大本山・佛光寺はあります。大善院は、佛光寺山内の歴史ある塔頭寺院のひとつ。境内には『おてらハウス』というギャラリーカフェが併設されていて、ゆったりした空間に時間を忘れてくつろぐ人も少なくありません。今回の「坊主めくり」は、なんとこの大善院のご住職と坊守さんのお二人に同時インタビュー。お寺の跡継ぎに生まれたお二人の運命の出会いから、『おてらハウス』ができるまでの人生についてお話をうかがいました。

お寺の跡継ぎ同士の運命的な出会い

佐々木:お寺を継ぐのはイヤでイヤで、「次男やったらどれだけ気が楽やったか」と何度思ったことか。ひょっとしたら今でも思ってるかもしれません(笑)。

美也子:私は真宗大谷派のお寺の出身で、女姉妹の長女なので跡を継ぐように言われて育ちました。「仏教系の大学へ行って長男以外の人を選びなさい」というレールが敷かれていて、それがイヤでしかたなくて、かなりの反対を押し切って、自分で選んだ名古屋の大学に行くことにしました。でも、大学卒業後、就職がなかなか決まらなくて、友達に「非常勤の口があるよ」と紹介されて行ったら……。

佐々木:私は龍谷大学を卒業した後、養護学校の寄宿舎の指導員になったんです。彼女はそこに非常勤講師で入ってきて、職場結婚をしたのが運のつきって言うたら怒られるやろな(笑)。

美也子:運のつきやわ、お互いに(笑)。

佐々木:お寺の三人姉妹の長女で跡継ぎだと聞いていましたし、こういう人には近づいたらあかんと思って距離を置くようにはしていたんですよ。自分と同じ立場の人ですから。

美也子:私も一応距離は置くようにしていましたよ(笑)。

佐々木:でも、跡継ぎのことについては「話はついている」と言われたのでいいのかなと思っていたら……。

美也子:実は、話はついてなかったんです(笑)。親はもちろん檀家さんの期待も一身に受けていたのに結婚して出て行く、しかもよそのお寺へ嫁ぐということで、かなりのすったもんだがありました。ごく最近、父が亡くなって一番下の妹の夫がお坊さんになりました。それまでは30年間ずっと実家へ帰ると肩身が狭い思いを抱えてきたんです。

佐々木:今は議員や医者の世襲が問題になっているけども、お寺にもまた世襲の問題はあります。それが、彼女の場合は30年間もそんな思いを抱え続けることになってしまったんですね。

共働き+お寺+介護=嵐のような年月

佐々木:大学卒業した後に、養護学校に13年、盲学校で10年勤めていましたので、約23年間はお寺と兼業状態だったんです。うちの場合は母が50代で、12年前に父が70代で亡くなったのですが、その時点で90歳の祖母がいはったんです。お寺には孫夫婦とおばあちゃんが残って、なんとかやっていかなくてはいけなくなりました。

美也子:当時はまだ介護保険制度もなくて、共働きの孫夫婦でどのようにおばあちゃんを介護して面倒見ていくかということについて、いろんな老人福祉関係の福祉事務所に行って相談して奔走しましたね。

佐々木:しかも、父が亡くなってからも4年間は勤めを続けていましたので、共働きで子育てをしながら、お寺があって、さらに大おばあちゃんがいたわけです。僕らの世代だと今頃からだんだん親が高齢化して、介護の必要が出てきたり亡くなったりすることになるんだけども、うちの場合はもう10数年前に先に経験してしまったんです。当時はもう毎日が精一杯でした。

美也子:あの頃は、お寺がどうあるべきかとか考える余裕はなかったですよね。結婚後すぐの頃から、ずっと誰かの介護をしながら共働きで子育てをして、家はお寺をしながら日々の生活を送っていましたから。この人は夜勤もある不規則な勤務をしていて、土曜日に学校から帰ってきたら本堂のお掃除をしてとかもう、口では説明しきれないような(笑)。30代、40代は本当にすさまじい日々でした。

佐々木:すさまじかったね(笑)。それなりに歴史の古いお寺なので大きな行事もありますし、親戚などにも手伝ってもらいながらやれる範囲でやってきて。だから、お寺って何なのかなとか考え始めたのは最近になってからなんです(笑)。

専業住職になって生活がガラリと変わる

佐々木:仕事をやめて専任の住職になってからは、時間もできましたし勉強して立派なお坊さんになろうと決意して(笑)。

美也子:(笑)。

佐々木:お寺をしながら時間を作って、2年間ほど龍谷大学や大谷大学で聴講生でいろいろ勉強に行ってましたね。やるんやったらもうちょっとしっかりせなあかんかなということで。

美也子:住職が仕事を辞めて2年後くらいに、私も学校を辞めました。仕事がしんどくなったことが第一の理由ですが、住職がお寺にいてお坊さんだけをしている状態で、私は朝7時に家を出て夜7時頃に帰ってくるというのは、お寺としてバランスが悪いのではないかとも思いました。

佐々木:美也子が学校を辞めてすぐ、「何か新しいことを始めよう」と僕たち夫婦が仕掛け人になって2003年に『第1回 仏光寺花まつりコンサート』を開催しました。キリストの生誕を祝うクリスマスに比べて、お釈迦さまの生誕を祝う花まつりはどうして地味なのかなという思いもあって。

美也子:うちは、以前から祇園祭の宵山に、毎年境内を開放して50?60人ほどに来てもらったりしていて。そういういろんなつながりが『花まつりコンサート』に生かされました。

佐々木:本山のお堂を借りて、声明や仏教聖歌、真宗大谷派僧侶でシンガーソングライターの鈴木君代さんの歌があったり、いわゆる花まつりらしくお釈迦さまに注ぎかける甘茶を用意したり、境内に屋台を出して接待をしたりね。『アイアイハウス』でもフリーマーケットを出してもらいました。あの時は、何もかもが初めてだったから、もう前の晩は眠れませんでした(笑)。

美也子:花まつりの日、4月8日は実は私の誕生日でもあるんです。祝ってもらうはずの誕生日が、準備や接待で大忙しにでしたね。

佐々木:今では7年目を迎え、ナイターでライトアップしたりして、千何百人と来られるイベントに成長していますが、第一回が原型になっていると思います。『おてらハウス』が出来てからは、去年は隣のお寺が持っている国宝の『地獄絵図』の模写を、今年は『釈尊伝』のイラストを展示するなど連動する形で参加しています。他の塔頭でも、協力する形で重要文化財の仏さんを公開されています。

境内のギャラリーカフェ『おてらハウス』

佐々木:『おてらハウス』の構想は、二人が仕事を辞める前から考えていました。京都には、在家から得度をされた真宗大谷派の女性僧侶がされている、”お店がお寺”というコンセプトの『彌光庵』という精進料理やお酒を出す店があって。そこには、宗派を超えてお坊さんも来るし、外国人やアーティストなどいろんな人が出入りしていて。僕らもそういう場所を作りたいなと思ったんですね。

美也子:庵主さんがお坊さんで、お店の方もお寺の出身だったこともあって、お寺のお嫁さんの集まる会とはまた違って、自由な感じでお寺についていろんな思いや考えを交換できるんです。

佐々木:住職だけをするようになりましたし、法事や月参りなどのお寺の行事のほかにプラスして何かやりたい、またそれが収益事業としても成り立てばいいなと考えて。個人的にもアートが好きでしたし、檀家さんとの関係でも、ごはん屋さんよりギャラリーのほうが許可を得やすいかなと、ギャラリーカフェにしたんです。

「お寺を新しくしたい。それにはまず敷居を低くして人に集まってもらえるようにしなければ」と考えると、檀家さんとのつながりだけでもなく、観光寺院のような一過性の人の流れでもなく、幅広く人とのつながりを持てる装置を作りたいと思いました。また、美也子が学校を辞めて坊守として家にいなければいけなくなったときに、居場所があったほうがいいのではないかという思いもありました。

だから、ハード面を先行させて『おてらハウス』の建物を作ったんですね。3年間で約40もの展覧会やミニコンサートなどを開催して、その中にはこの「坊主めくり」にも登場されている杉若恵亮さんや中川学さんと取り組んだ「平成画僧展」など、うちならではと自負している企画もありました。でも、3年を過ぎた頃からちょっとしんどくなってきた一面もあって。

美也子:当初は、ここでの企画やレイアウトも含めて全部を二人でやっていたんですが、住職の方はお寺の法要や本山でのお仕事も増えてきて、そちらに重点が移りつつあります。でも、『おてらハウス』は単なるお店ではなくてお寺のなかの一部ですし、ここをどうするかを考えるのもお寺の仕事です。住職がいわゆるお坊さんの仕事が忙しくなっているなかで、どうしたら最初に思っていたかたちに持っていけるのかを、4年目にして今後のことを真剣に考えなければいけない時期を迎えているなと思います。

「紙芝居をする布教師さん」の説教ライブツアー

佐々木:ここ1?2年は、布教師としての仕事が増えています。他府県の教区を担当して10カ寺くらいに法話をして回っています。遠くはそういう北海道や九州などに行くこともあります。お説教はライブですね、同じ話をしても時と場所によって反応が全然違いますし。

また、お説教って話術というか職人芸みたいなところもあります。そこから講談や浪花節、落語が生まれてきたくらいですから。僕は難しい話ができませんし、話術もいまいちやし、中身もたいしたことないから、紙芝居を作ってるんですよ。美也子にも、一緒に色を塗ってもらったりして。

美也子:(笑)。

佐々木:「紙芝居をする布教師さん」というイメージは徐々に定着しつつあるようです。たとえば、『観無量寿経』の王舎城物語を現代風にアレンジしたり。王舎城物語って家庭問題なので「イダイケ」を「井田家」という社長一家の話にしてね(笑)。みなさん『観無量寿経』のお話はご存知ですが、紙芝居で見られるというのは無いかなと思って用意したんですけど、みなさんポカンとしてはることもあって、アハハハハ(笑)。

仏光寺の800年の歴史をクイズ形式で振り返る紙芝居もあります。全問正解される方はたいてい誰もおられないので「残念ですね。全問正解されたらすばらしい景品をご用意しておりましたのに」と言って笑いを取ります(笑)。難しいありがたい話をするより、どうしたら退屈せずに話を聴いてもらえるかと常に考えています。

みんなが退屈しそうやなと思ったら、いきなり地獄の話を始めるんですよ。そしたらみんなものすごいキューッと集中してくれはって(笑)。よく冗談で言うんですが「浄土の話は受けないけど、地獄の話は受ける」とね(笑)。怖いもの見たさでしょうかね?

坊守は住職への敷居を下げる存在

佐々木:『おてらハウス』では、私よりも支配人(美也子さん)の方がいろいろな相談事を受けることが多いんですよ。

美也子:「お寺の奥さんだから聞いてみよう」と思われるのか、みなさんいろんな思いを吐き出していかれますね(笑)。住職というのは、敷居が高すぎて近づきがたいところがあるようで。老人介護のことや福祉関係のこと、仕事に疲れた、精神的にしんどいとか、話される内容はいろいろ。アドバイスをすることもありますが、たいていは「そうやねえ」と話を聴くだけです。

昔ながらのイメージでは、お寺は地域ごとにポツポツとあって、地域の人に「ちょっとご縁さんに話を聞いてもらおうか」と言われて、夫婦喧嘩の仲裁をしたり、お金を貸してほしいと言われたりと地域の人の相談に乗っていたんだと思います。そういう意味では、『おてらハウス』で私がみなさんの話を聴くというのも同じですよね。

ただ、現実としては、お寺のお嫁さんとしての共通の問題は「お寺の運営にどう関わるか」ということではなく、やはり次の代を生み育てるということが一つの大きな役割であることは事実です。時代が変わっても、跡継ぎがないままに住職が先に死んだら、居住権すらないという世襲の問題は根強く残っていますよね。私自身が世襲の問題に悩んで家を出たにもかかわらず、またそれに悩まなければいけないというのは、やっぱり逃れられないなと思います。

今、再びお寺のあり方を問い直す

美也子:お寺を管理・運営していくには、お寺の家族構成や考え方、またそれぞれの時期に合わせたやり方があると思います。私は住職の妻として日常生活も共にしながらお寺の管理も一緒にやっているので、住職のサポートだけでなく自分自身もこのお寺で位置づけを持っていかないと意味がないのではないかと考えています。

でも、身の回りの世話だけしてくれたらいいという住職もおられるでしょうし、それはもう関係によりますよね。奥さんが住職でだんなさんがサラリーマンでというお寺もありますし、お寺のかたちはそこにいる人たちが作るものですよね。

私個人としては、残りの人生をここで過ごすなら草引きだけでは困りますし、自分も社会とつながりを持ち、一人の人間としてお寺の中で役割を持って生きたいです。お坊さんではないけれど、教団の教えも勉強して住職とは違った角度でお話ができたらいいと思います。まだ、その位置づけには迷いもあるんですけども(笑)。

佐々木:ここ4?5年の間にいろんなことを仕掛けてきて、ちょっと疲れてきたところもあるんですね。それで、ふと我に返ったときに「お寺ってなんだろう? 自分はお寺で何がしたいんだろう?」と思うこともあります。

最近「寺よ、変われ(高橋卓志 著)」という本を読んだんです。納得できる主張も多くある一方で、ふと「お坊さんってそこまでがんばらないといけないのかな?」と思ってしまいました。ここまでしなければいけないのがお坊さんだと言われると、正直言ってしんどいなぁと。憧れのお坊さんは、禅宗の方ですけども良寛さんなんです。囚われないし飄々としていて、40歳も年下の女性に慕われて……。

美也子:そこやね(笑)。

佐々木:まぁね(笑)。そのことも含めて世間がどう見るかとかこだわりがないですよね。たぶん、良寛さんのように何もかも捨てて、モノを持たずに庵で暮らしながらやさしい言葉で法を説くという境遇が理想なのに、今の自分がいろんなものを持ちすぎて、関わりすぎているという矛盾があるのかもしれません。

今は、お寺やお坊さんのあり方について敢えて問い直している時期ですが、いずれまた一本の道が見えて、思い切って行けたらと思います。

坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。
癒されるのはリチャード・クレイダーマン。カラオケでは演歌から浜田省吾まで。

2)好きな映画があれば教えてください。
「レオン」。好きなシーンは、「レオン」の最初の場面で、こわもてのギャング達を、アジトに忍び込んだレオンが、プロフェッショナルな手口で次々と倒していくところ。あとの、心優しく不器用なレオンとのギャップが面白い。しかも命を奪っていないし…。
ちなみに大善院のサイトでは、映画と仏教の融合?を目指したコーナー「シネマ青色青光」を作っていました(途中で挫折しましたが…)。→大善院サイト・住職の部屋
3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
中学・高校時代は、SF関係。フレドリック・ブラウン、レイ・ブラッドベリ、星新一など。最近は京都を舞台にファンタジーな作品を書く森見登見彦などがお気に入り。
ちなみに、住職も昔ショートショートなどを書いていました。(上記・住職の部屋)

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
小学校から京都の踏水会という古式泳法も教える水泳道場に通い、高校時代は水球部に所属していたので、立ち泳ぎが得意。

5)好きな料理・食べ物はなんですか?
野菜、魚系が好き。特にアゲとジャコと大根おろしがあれば、それだけで、ご飯のおかずに充分。その他、スーパーでかき揚げを見ると必ず買ってしまう。

6)趣味・特技があれば教えてください。
元々絵が好きで、最近はコンピューターを使って作品を創っています。現在の目標は、「現代版地獄絵」を描いて「おてらハウス」で展覧会をすること。(ちなみに作品の一部は上記・住職の部屋でも紹介しています。仏教には関係ありませんが。)

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
花や野菜の名前を覚えること。

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
ブラジル、イタリア、ブータン

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
やはり漫画家かイラストレーター。「巨人の星」「あしたのジョー」より先に、アダムズやペイネや長新太の作品に出合っているので。

10)尊敬している人がいれば教えてください。
あこがれるのは良寛さん。立派だと思う人は大勢いる。

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
高校時代/水球部、大学時代/アイスホッケー部、児童文学研究会

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
学生時代に喫茶店のボーイや鉄筋屋の手伝いなど。

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
「飲む・打つ・買う」の生活にあこがれること。

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
完全にオフという日はないので、合間を見て映画に行ったり、美術館に通ったりしています。

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
海辺の小屋に泊まり込んで、ミステリーを読んだり、流木を使った創作活動などしてみたい。

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
最近あこがれている言葉は「柔軟心」(にゅうなんしん)。

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
前世はアメリカ人(アメリカに行ったことはないけれど)。来世は南海の漁師(立ち泳ぎが得意なので)。

18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください
お坊さんはやはり正座をするべきでしょうか?

19)前のお坊さんからの質問です。「結婚されている方へ→それでも出家者と言える理由は?」「結婚されていない方へ→その意義は?」
浄土真宗では「出家者」という位置づけがされていないもので…ということを言い訳にしています。

プロフィール

佐々木正祥さん/ささき しょうしょう
1953年11月12日生。龍谷大学文学部仏教学科卒業。大善院第24世住職。養護学校(特別支援学校)付属寄宿舎の指導員を13年、盲学校で10年勤めた後、2001年に退職。2003年『第一回佛光寺花まつりコンサート』を企画・開催。2005年、境内に『おてらハウス』をオープン。社会福祉法人『アイアイハウス』理事長。

佐々木美也子さん/ささき みやこ
1955年4月8日生。日本福祉大学卒業。浄土真宗大谷派の寺院の長女に生まれる。就職先の養護学校で正祥さんに出会い結婚。女子高に転職し、社会科教師として23年間教壇に立つ。退職後は、正祥さんと二人三脚で新しいお寺のあり方に取り組む。『おてらハウス』支配人、社会福祉法人『アイアイハウス』後援会事務局長。

住職と坊守の日常を綴るブログ『おてらハウス日記』はこちら

大善院
建武年中(1334?5年)、佛光寺第七代 了源上人の長弟・武田明信によって開かれた。佛光寺六院家のうちの由緒ある一ヵ寺として、江戸時代には末寺45ヵ寺を持つ中本山であった。現在は、境内の一部にギャラリーカフェ『おてらハウス』を併設、佛光寺山内に新たなムーブメントを呼ぶ塔頭寺院である。

京都市下京区新開町397-9
Tel/Fax: 075-351-4883
通常非公開(『おてらハウス』の営業時間は下記参照)
大善院ホームページ

阪急烏丸駅・京都市営地下鉄四条駅 下車徒歩7分

おてらハウス

境内に作られたギャラリー&カフェ。窓から庭の木々を見える吹き抜けの空間が心地よく、街なかとは思えないゆったりした時間が流れる。ギャラリーでは、アーティストたちの作品展示のほか、仏教や福祉に関連する展示・ワークショップ、講演会なども行われている。カフェでは、美也子さんがコーヒー・紅茶(4000円)やカプチーノ(430円)を出してくれる。ギャラリー利用は水?金 1万円/日、土日祝 1万5000円/日、1日から使用可。イベント情報などについては、ホームページにてご確認ください。

11:00AM?18:00PM 月曜定休(8月休業、不定休あり)
Tel: 075-351-4883
http://www.oterahouse.com/

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。