『お坊さんはじめました』新章突入/彼岸寺 創設者 松本圭介さん(1/2)

7年前、まだ立ちあげ間もない『彼岸寺』を友人から教えてもらい興味深く読んでいました。日本に上陸したばかりの『MovableType』でお坊さんがブログを書いていることに驚いたし、各種コンテンツもいい意味でお坊さんのイメージを裏切っていて。余談ですが、今回のインタビューのために光明寺に行くと、そこはかつて私が勤めていた会社の真向かい。「えっ、ここだったの?」とビックリしました。

実は、『坊主めくり』の企画を『彼岸寺』に持ち込んだのは、当時の『彼岸寺』を読んでいたから。「いよいよこの人のお話を聴く日が来ちゃったか」と思うとホント感慨深かったです。インタビューでは、改めて『坊主めくり』的に聴く「お坊さんになった理由」、インドのビジネススクールでのお話、そしてMBAホルダーとなった松本さんが今後どんなことをしようと思っているのか、などを中心にお話いただきました。全3回みっちり聴かせていただきましたので、ぜひぜひ最後までお読みください。

※タイトル画像は、松本さんがインド留学中のもの。

いつかはお坊さんになりたいな


——小さい頃からお祖父さんのお寺で遊び、そこで仏教に触れておられたそうですね。でも、大学では西洋哲学科のほうに?

その頃、ニーチェが好きだったんです。「神は死んだ」とか言っちゃっているのが、面白かったんですね。ただ、西洋哲学科に進んでも、仏教に関係する講義を何かしらとっていました。小さい頃からこと人生の問いに関しては、もうやっぱり仏教なんだろうなっていう直感は持っていて。だから、リタイア後とか、漠然と遠い未来のいつかにはお坊さんになりたいなという気持ちはずっとありました。

でも、大学卒業後はふつうに就職しようと考えていて。自分の好きな業界はどこかな? と確かめたくて、ウェブ・インターネット関係の仕事をしたり、広告代理店の企画の手伝いをしてみたり、いろんな世界を見ていました。あと、政治の世界も絶対に見たかったので、衆院議員の事務所で約2年間ウェブサイトを作る仕事もしましたね。

——ずいぶんいろんな業界を見てみたんですね。

いろいろ見ましたが、どの業界でも「いいな、面白いな。やりがいありそうだな」と思いながらも、どこかでふっきれないものがあったんだと思うんですよね。一方で、”自分のやりたいこと”を見ると、実は腹のなかでほぼ決まっているのは「いつかお坊さんになりたい」ということなんです。じゃあ、そこが決まっているんだったら、先延ばしにしないでやっちゃったほうがいいんじゃないか、と。

——「いつかなりたい」から「今やろう」になったのはどうしてでしょう?

自分が仏教に感じている魅力と、小さい頃から見てきたお寺の暮らしの間にはギャップを感じていたんです。せっかくこんなにいい教えなのに、もっとたくさんやれることがあるんじゃないかと。今でこそ、若いお坊さんの間でいろんな新しい動きが出てきていますけど、そういうのもほとんどなかった時だったので、やっぱり誰かがやらなきゃいけないんじゃないかなっていう勝手な使命感を持って飛び込んでみました。

そういえば大学4年の春頃、すでに銀行に就職が決まった仲のいい同級生と、この先どうしようかなぁみたいなことを相談しながら根津神社を散歩していたんですよ。そのときに彼から、「そんなにお寺が好きならすぐにお坊さんになっちゃえば?」と言われて、決心がついたんです。今思えば、神社で決心したんですね(笑)。

あと、これまた同級生の小池龍之介さんの存在もやはり大きかったですね。語学のクラスが同じだったこともあり、学生時代はけっこう親しくしてさせていただいてました。彼のおかげで思想・宗教への興味を広げることができましたし、宗教の分野で将来やってみたいことなど語り合って、大いに刺激を受けました。

“仏教業界入り”を決意したホントの理由

——松本さんが仏教に感じていた魅力はどういうところだったんでしょう。

いろんな思想哲学がいろんなものの見方をしますけれど、仏教はまず出発点がリアルな人生で、「生きる」っていうところにしっかり目を向けて余計なことを考えないというか。「どうやってこの苦しみを克服するのか」と、問題設定がすごく明確だし正しいなって思ったわけですよ。それを解決しようとする道筋も、きわめて理路整然とプラクティカルですごいなって。

一方で、お寺を見てみると先祖供養ばかり。意味もわからず音楽みたいにお経を読んでいるんですよ。お坊さんになる前には「これって何の意味があるんだろう?」と思っていました。

——自分の生き方の指針として仏教に惹かれる気持ちと、仏教というコンテンツの持つ魅力とお寺での発信形態のギャップを埋めたいという気持ち。ふたつの気持ちは、最初から同時にあったのでしょうか。

仏教ってすごく個人的なものじゃないですか。やればやるほどに。仏教徒として、自分と仏教としっかり向き合っていく方向性においては僧侶か僧侶でないかなんて関係ないし、特に浄土真宗の場合はお坊さんにならなくったっていいと思うんです。ただ、仏教というすごくいいものの魅力をイマイチうまく伝えられていないように見える仏教界は、誰かがなかに入ってやっていかないと変わっていかないんじゃないかっていう気持ちが強くありました。浄土真宗本願寺派で得度するご縁をいただいたのは、社会のなかでのプレゼンスが大きい宗派で先陣を切ってやっていくという面からもありがたいことでした。

——つまり、個人として仏教を選ぶだけならお坊さんにならなかった。松本さんの場合は、出家というのか、仏教界入りというのか……。

「仏教業界」入り、ですね(笑)。本にも書きましたけど、日本の仏教界の風通しを良くして、仏教の魅力をきちんと外に向けて広げていくような仕事に携わるには、お坊さんという立場がないと何も始まらないんです。残念ながら、日本の仏教界には、在家の人が積極的にお寺の運営に関わる余地がほとんどない。だから、お坊さんになったんですね。

——在家からお坊さんになる人は、仏教の世界に理想を描く傾向があると言いますが。

私はほとんどそういうことはなかったんじゃないかな。跡継ぎではないけれど住職の孫だったので、お寺というのがどんなものかだいたいわかっていましたし。最初からそんなに期待もしていませんでしたから(笑)。だからこそ、みんなが期待できるようなところ、みんなの期待に答えられるようなところに、お寺を変えていきたかったわけです。

お坊さんデビュー後は試行錯誤でGO!

——お坊さんになろうとしたときは、仏教界にコミットするお坊さんを目指していた?

お坊さんになる動機としてさっき話していたことを裏側から言うと、世にあふれる怪しげな新宗教関系の本とかがすごくいやで、「なんだこれ?」っていうのがあって。明らかに仏教とかけ離れたものも仏教の看板を掲げていたりして、これ放っておいていいのかなと。

お坊さんたち、やられっぱなしでいいんですか?
と。くやしいじゃないですか、せっかくいいもの持ってるのに。それぞれの宗教がいろんなことを主張するのはどうしようもないとしても、せめて伝統仏教が自分たちが持っているものの価値をしっかりと伝えていかなければ、本来なら良い仏縁を持てるはずだった人も、他所へ行ってしまいます。伝統仏教にはそういう社会的責任もあるんじゃないかと思いました。だけど、具体的にどうすればいいんだろうっていうところはまだ見えていなくて。最初のうちは試行錯誤しながら手当たり次第にっていうことですよね。

——その試行錯誤のなかに『彼岸寺』もあったわけですね。当時のブログは、お坊さんになるという体験をシェアするというか、そういう気持ちがあったのかなあと。

生まれつき、マーケッターなんですかね(笑)。ブログで外からの目線で見る仏教界をシェアしたいっていうのは。

——今、「マーケッター」という言葉が出たということは、「みんなはどう思うの?」と問いかける気持ちもあったのかな?

それはそうですよね、もちろん。外から見てわからなかったのは、お坊さんの価値観ってどういうものなのか、何を軸に生きているのかということでした。当然、仏教なんだろうけれども、もう少し生活レベルで「お坊さんは何を考えているのか」をあらわにして目に見えるかたちで共有したかったんです。やっぱり、価値観のわからない人とは何も一緒にできないじゃないですか。お坊さんが大事にしていることを伝えることから、共通点が見えてくると思ったのでそこを意識していたんですよ。

——お坊さんってこんな感じだけどどう思う? お寺ってこんな場所だけど来てみたらどう思う? と問いかけるなかで、『神谷町オープンテラス』や『誰そ彼』のようなイベントをしていたのは、マーケティング的な意味もあったのでしょうか。

そうですね。ただ、そのマーケティングは、まずこっちから材料を投げ出してしまって、「受け取り方はご自由にどうぞ」という実験的なもので。何かしら引っかかるものがあれば良くも悪くも反応が返ってくるでしょうし、そのなかでダイナミズムも生まれてくるだろうなと思っていました。

だから、たとえば『神谷町オープンテラス』や『誰そ彼』も、「まずやってみよう」というところでしたよね。先に綿密なプランを立ててそれを正確に実行しようというよりは、スタッフやお客さんが楽しんで充実感を持ってやれるのか、そこが場としてどういう雰囲気を持つようになって行くのかが重要でした。人と人とのことですし、スタッフも一人ひとり違えば組み合わせもそれぞれなので、まずは動きながら展開を見ていくしかないなと思っていました。

——「お寺でイベントをやりたい」ということが最終目標ではなく、「お寺に注目が集まると何が起きるのか」を見ようとされていたのかなと思うのですが。

そうですね。やる内容自体にはそんなにこだわりはなくて。『神谷町オープンテラス』なんて極端に言えば場所に名前をつけただけですから。どこのお寺にもスペースがあるわけですけども、そこに”お寺カフェ”というコンセプトで『神谷町オープンテラス』という名前をつけた。すると、まったく同じものなのに、人々の受け取り方が変わってくるわけですよね。お寺で過ごすということが、「お寺詣り」から「カフェに行く感じでお寺で過ごせばいいんだ」と、急に身近な生活様式に引き寄せられた。意識のなかのフレームをちょっと切り替えたっていうだけなんです。

 

「どんなお坊さんになろう?」とMBA留学

——振り返ってみると、お坊さんになってからインドへMBA留学するまでは”実験期間”みたいな感じでしょうか。

そうですね(笑)。実験期間だったし、自分自身もお坊さんになってみたはいいけど、どういうお坊さんになったらいいのかわかんなかった時期でもありますよね。

——大学3年生のときに、「就職する前にいろんな業界を見よう」と行動していたのと似ていますか?

似ていますね。おかげさまで、お坊さんとして4、5年あれこれ自由にやらせていただく中で、仏教業界をひとまわりできた気がしました。ひとつのお寺としてもいろいろやったし、本山職員として組織のなかに身を置くことで見えてきたこともあったので。でも、そういった経験を踏まえて、お寺の経営や運営、マネジメントを良くしていくにはどうすればいいんだろう? ということをズバリ学べるところはないんですね。結局、いろんな人に相談してビジネススクールが一番学びたいことに近いし、やるなら海外のほうが修行になっていいと考えました。でも、アメリカじゃないよなと思って。インドが好きだし、インドのビジネススクールもレベルが上がってきているので、最終的にハイデラバードのIndian School of Businessに行くことにしたわけです。

——松本さんがMBA留学をすると聞いたときは「今からどうして?」と驚きました。プロデューサー的な立ち位置の方というイメージがあったし、マネジメントや経営の方に向かわれたのは意外に思われて。

そうですか? プロデュースをするにしても、それ自体を大きな絵柄のなかに位置付けながらやっていきたいし、ちょっと頭を整理したかったというのはありますね。

——インドから帰国された後、『彼岸寺』で「お坊さんとして日常のことを一つひとつていねいに大切にしようと思うようになった」と書かれていましたね。どういった心境の変化があったのでしょう。

インド留学中に振り返ってみて、プロのお坊さんとしての自覚がまだまだ足りないなと思ったんですね。仏教界は、変化の少ない昔ながらの業界ですし、そこにイノベーションを持ちこもうすると、人一倍、二倍一生懸命働かないとできないです。新しいことをやろうという人が外から入ってくれば、自然な感情として「なんなんだこいつは?」という反発もあるでしょうから。自分の行動やアイデアにはどういう意図やビジョンがあるのか、お寺文化の歴史的な背景も踏まえていることも説明して、どれくらい本気なのか姿勢でも示していかなきゃいい仕事ができないと思うんですね。

お寺で新しいことをやろうと思ったら、普通にやるべきことをより一層ちゃんとやれていないとちゃんと評価してもらえません。「イノベーションとか言っても基本ができてないじゃないか」と言われてしまうと話がはじまらない。だからこそ、今までやってきたことを一つひとつていねいにやりながら、なおかつ新しいことに取り組まないといけないなと思います。

仏教を「受け取る側」の目線で見ると?

——ビジネススクールで学んだことで、松本さんが身を投じた日本の仏教界への考えが整理されたのでしょうか。

整理もされましたし、そのなかで自分は何をやっていくのかがずいぶんクリアになりましたよね。ビジネススクールではマーケティングとストラテジー(戦略論)を専攻しました。今までは、漠然と「お寺は仏教を広めていく場所だろう」と思っていたのですが、「お寺はどういう価値をご縁ある人に届けていくのか」と顧客目線にシフトしました。

——伝える側の目線から、受け取る側の目線に。

そう、受け取る側の目線を基本にしなくちゃいけないと身にしみて思いました。「仏教を伝えるためにお寺がある」のではなく、「仏教から取り出されるであろう価値を提供するためにお寺がある」んですね。仏教自体が提供すべき”商品”ではなく、仏教をツールとして”どう使うか”。そして、お坊さんの役割は「仏教から価値を取り出してご縁ある方々にお渡しする」ことなんです。

私は、仏教から取り出される価値(バリュー)は「心の安心」「心の豊かさ」「心の成長」の三つが重要なところかなと思っています。そういう風に考えるようになったのは、私にとっては大きな転換でした。

それまで、私のなかでもやもやしていたのは、仏教思想の魅力とお寺が日常やっていることがいまいちつながらないことでした。しかも、浄土真宗では先祖供養を教義上にどう位置付けたらいいかわからない。でも、バリューということに目を向けると非常にスッキリします。お寺にやってくる門徒さんやお檀家さんは、全員が仏教そのものを求めて来るわけではなくて、大きく言えばこの三つのバリューのようなところだと思うんですよ。

たとえば、先祖供養も「安心」を提供するひとつの方法だと思います。一番近しい家族を亡くされて、死者と新しい関係性を結んでいかなければいけないときに、重要な場を提供して安心を与えていると思いますし。ドグマの方から考えるとよくわからないところが、受け取る側の目線から徹底的に考えると全然別な意味づけが出てきます。

——「心の安心」「心の豊かさ」「心の成長」の三つのバリューはどのようにして見いだされたんですか?

昔からあるご法事、お葬式、ご祈祷や、今だったらライブやヨガ、カフェなど、お寺がやってきた活動をとにかく書きだして、眺めながらあれこれ分類したりしました。また、歴史的にも遡って考えていくと、この三つに収まるかなというのが出てきたんですね。

——こういう言い方が良いかどうかわかりませんが、お寺をひとつのサービス業と捉えるということでしょうか。

ある意味そうだと思います。ご法事は英語では「Buddhist memorial service」ですからね。ただ、お寺はビジネスと違って、経済社会の枠組みにありながらも、依って立つ価値の基盤は人の心です。お金儲けが目的ではありませんし、提供する側にも覚悟が必要です。お寺が生み出す価値の源泉は仏教ですから、お坊さんがどこまで宗教者としての自覚を持って行動できるのか突き詰めないと、価値あるものの提供はできません。お寺が伝えるバリューが、受け取る人の人生にとって重要なものであるなら、お寺を支えようという動きも自然と生まれてくると思います。

仏教は長くつきあうほど価値が引き出せる

——これらのバリューがお寺で提供されることと、社会のなかでビジネスベースで提供されることの大きな違いはなんですか?

ひとつは、仏教的な価値観にのっとってやっているので、お坊さんなり、在家の人なりがお寺に関わる動機の源泉がグリード(貪欲さ)であってはいけない。建前じゃなくて、本当に本当にですね。そうじゃないと、「人の心を支える」お寺としての本質的なサービスが出せないでしょう。だからこそビジネスベースではできないんです。仕組みではなく動機の問題です。

もうひとつは、ビジネスは短期ですぐに回収しちゃおうとするからです。仏教から最も多くの価値を取り出す方法のひとつは、長くつきあうことだと思うんですね。一瞬かじっただけで全部取り出せるかと言うと全然そんなことはなくて、人生を通じて照らし合わせながらやっていってはじめて「なるほど、そうだったのか。前に読んだときには全然ここは引っかからなかったけど今やっとわかったような気がするな」ということがあるじゃないですか? そういう喜びを長いスパンで提供していくのが大切だよなと思っていますね。しかも、心の問題は長い時間つきあわないといけないし、担当者がどんどん変わるのではなく、願わくばひとりの人がずっと寄り添って信頼関係を作っていくほうが良いですしね。

今、ほとんどのお寺がやっているのは「安心」の部分、しかも家族と言う単位での顧客に対してのことです。「豊かさ」「心の成長」という部分に力を入れていこうとすると、仏教の本質的な部分、真骨頂の部分にどんどん入っていくと思います。そこでの顧客単位は個人になるでしょうし、これからはお寺対家族という関係性から、お坊さん対個人という一対一の関係性をもっと強化していなかければいけないという意識もあります。

そういえば、以前どこかで檀家制度批判をしていると書かれたような気がするんですけど、していないんですね(笑)。いや、批判する部分もあるんですけど、決して否定はしていません。むしろ、すごく大事なんですよ。

——長いスパンでおつきあいしていくという意味では。

そう、長いスパンでのお付き合い、しかも家族という安心の基盤を提供するすごく重要な切り口からお付き合いするものですので、檀家制度は大事なんです。ただ、家族という枠組みそのものが揺らいできてますから、お坊さん対個人という新しい関係性を開拓していく必要もあるだろうと思います。私自身の方向性としては、自分が勉強してきたことを活かしてライフコーチングやビジネスコーチングをやってみたいです。

——お寺でお坊さんに仕事の悩みを相談するって新しいですね。インドでいろいろ考えて、これからしばらくはやりたいことがバーンと見えている感じですか?

そうですね。留学前よりもかなり頭はすっきりしています。課題がはっきりしてきた分、やらなきゃいけないことの数が多いので、それなりに大変ですけど。

——お坊さんになって約5年間の試行錯誤、MBA留学を経てのこれからはいわばお坊さん第二期というか……

そうですね。『お坊さんはじめました』新章突入! みたいな感じですね(笑)。

→「松本さんがこれからやろうとしていること」の話へと続きます

プロフィール

松本圭介/まつもとけいすけ
1979年北海道生まれ。浄土真宗本願寺派僧侶、布教使。東京大学文学部哲学科卒業。2004年、超宗派仏教徒のウェブサイト『彼岸寺』を設立し、お寺の音楽会『誰そ彼』、お寺カフェ『神谷町オープンテラス』を運営。ブルータス「真似のできない仕事術」、Tokyo
Source 「東京発、未来を面白くするクリエイター、31人」に取り上げられるなど、仏教界のトップランナーとして注目される。2010年、南インドのIndian School of BusinessへMBA留学。今春卒業し、現在は東京光明寺に活動の拠点を置く。著書に『おぼうさん、はじめました。』『”こころの静寂”を手に入れる 37の方法』 『お坊さん革命』など。
https://higan.net/apps/mt-cp.cgi?__mode=view&id=32&blog_id=66
twitter: http://twitter.com/#!/0tera
Everything But Nirvana(英語版彼岸寺での連載) http://english.higan.net

光明寺
http://www.komyo.net/
浄 土真宗本願寺派 梅上山 光明寺。1212年創建。かつての山号は真色山常楽寺。創建当時は天台宗だったが、関東滞在中の親鸞聖人の教化をご縁に浄土真宗に宗旨を改めた。室町時 代、 疫病の流行に際し、常楽寺の本尊・阿弥陀如来像が光明を放って人々を救ったと信じられたことから、常楽寺を改め「光明寺」と称する。さらに、江戸時代には 徳川家康が境内の梅を喜んだ故事に因み、三代将軍・家光から「梅上山」の山号を贈られて山号も改称した。現在は、東京・神谷町、千葉の君津、埼玉の草加に お寺を構え、昔からのご門徒(お檀家)のみならず、あらゆる有縁の方々に「わたしとお寺の新しい関係」を結んでほしいと願い、その機会を作るべく積極的な 動きを見せている。

杉本 恭子

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。