『拝、ボーズ!!』のお坊さん/倉敷・高蔵寺 天野こうゆうさん

おそらく世界初(!?)の法話バラエティラジオ番組『拝、ボーズ!!』のパーソナリティとして知られる天野こうゆうさんを、倉敷の高蔵寺にお訪ねしました。天野こうゆうさんは、高野山真言宗の本山布教師として、法話を軸としたさまざまな活動をされているお坊さん。『拝、ボーズ!!』をはじめとしたラジオ・テレビ番組への出演、「見る法話」として発表される絵『ほほえみほとけ』、そしてフォークソングシンガー小林啓子さんの歌と法話のコラボレーション『うたかたり』など、日々活躍の幅を広げていらっしゃいます。実は、今回のインタビューは「天野さんのインタビューを『坊主めくり』で読みたい」というリクエストをいただいて実現したもの。よいご縁をくださった方に、ここで感謝したいと思います。ありがとうございました!

欽ちゃん大好き!やんちゃ坊主

——よくご自身のことを「やんちゃだった」とおっしゃいますよね。

やんちゃと言っても、『金八先生』や『ビーバップハイスクール』に出てくるような子ではなくて「小悪党」ですよ。いじめられっ子たちを集めて「守ってやるから言うことを聞け」と小さな「野生の王国」を作るようなね。その頃、僕が好きだったのは萩本欽一さん。子どもからお年寄りまでみんなを笑わせるけれども、けっこうキツイことを言ったりもする。かっこいいなぁ、この人はすごいなぁと思って「欽ちゃんに会いたい!」という一心で、『欽ちゃんの仮装大賞』という番組に応募したんです。

焼きもので作られた「ほほえみほとけ」

オーディションに受かって東京に行ったときは、もう「欽ちゃんに弟子入りするぞ」と腹を決めていましたね。でも、「なぜ君は私につきたいんだ?」と聞かれて、「僕はみんなを笑わせたい、喜ばせたい」と答えたら、「君は親や、周りの人を喜ばせているのか? それができていないんだったら、ダメダメ!」とスパッとキレイに断られました。やんちゃでしたから、父母が喜んでいる姿も何もなかったわけです。「わかりました」とあきらめて帰りました。

——高野山へは高校から上られたんですか?

毎日、欽ちゃんの番組に出るためにわーっとやっていたら、ある日先生が親を呼んで「今の成績では進学は難しいから、職業訓練校に行くか就職するしかない」とおっしゃって。僕としては「じゃあ働きます」みたいな感じだったんですけど、親はそれを許さない。すると、先代住職だった祖父が鶴の一声で「高野山高校へ行きなさい」と決めたんです。それから、一念発起して勉強して、無事入学することができました。

超バンカラな高野山高校へ

——将来はお寺を継ぐことは前提だったんですか?

ないない。野球部に入って、高野山でもガキ大将みたいになって、卒業後は就職しようと思っていました。高野山高校ってね、おとなしいお坊さんの子ばかりだろうとタカをくくっていたら全然違っていたんです。ビックリするくらい悪い子が三分の一、スポーツ特待生が三分の一、何も知らずに来たお寺の子が三分の一。そこで共同生活ですから、すさまじかったですよ。高野山でケンカしても、パンチが全く当たりませんでしたから(笑)。当時は、超がつくほどバンカラな学校だったんです。

高校時代は、音楽や映画に触れられないし、そういう意味では非常に抑圧された生活だったので、大学を卒業したらアメリカへ行くつもりでした。映画『アメリカングラフィティ』がすごく好きでしたし、アメリカ映画を見るチャンスがあれば、セリフ、音楽、背景に映る家具や食器まで忘れないほど真剣に、夢中で見ていましたね。

そんなときに、ロスアンゼルス別院に行っておられた先生に出会って、「お坊さんになんかなるもんか」と思い始めた僕に、「ええぞー。ロスでは髪の毛伸ばして、毎日エディ・マーフィの映画見ながら笑ってられるんや」と言うわけです。「いけるいける、日系の人もまだいるし」と。幸いなことに、英語がさっぱりできなくて落とされましたけどね。

暗夜行路のようにお坊さんへの道を歩いて

——じゃあ、いつの段階で「お坊さんになろう」と思われたんですか?

それはね、暗夜行路ではないけれど、目隠しをされて竹の棒の上をロープを持って歩いていたような感じですよ。「あれっ?」と思うと落ちそうになるんだけど、ロープを持っているから大丈夫という。とはいえ、「しないといけない」「修行して当然」という空気のなかに育てられているからという側面もあるんですけどね。

「ほほえみほとけ」作品。どことなくこうゆうさんの面影がある

今思えば「もっとあの時に深いことを学んでおけばよかった」「もっと相談すればよかった」ということがごまんとあります。でも、そのときはなりふり構わずですよね。ときどき目隠しを外されて「もう、あっちへ行くぞ」と気が迷うときがあると、目の前にロスから帰って来た和尚さんをはじめ、諸先輩方がかっこいいんですよ。「お大師さんを侮辱された」と泣きながら一晩中お酒を飲む人とか、高野山にしかいない不器用すぎるくらいに不器用で、ものすごく一色な人たちもいらっしゃって。「ああ、やっぱりかっこいい。やめないでもうちょっとついていこう」と思って、それがズルズルと。

——そのかっこよさは『アメリカングラフィティ』にも勝っちゃう?

そうそう。「お前が今持っている、絵や音楽の着眼点は、お大師様の目をいただいているからや」と言われたりもしてね。ある時までは、お大師さんという”メガネ”をかけるという「特技」を身につけて生きていこうと思っていました。だから、髪の毛を伸ばして、ちょっとええかっこうをして夜の町を闊歩して、拝むときにはきちっと拝む。「あんた和尚さんやったの?」と驚かれたかった(笑)。でも、それくらいのことはすでに他の和尚さんもやっているんじゃないかと思って、「それなら頭もキレイに剃ってきちんとやろう」とかね。でも、結局はどこまで走って行ってもお大師様という手のひらの上にいるお猿さん状態だと気がついたんです。むしろ、かけたり外したりしていたのは俗のほうだったんですよ。

——すでに、俗の側にはいないご自身に気がつかれたんですね。

そう。もう、無限の大きな風呂敷に包まれてしまっているから、どこまで行ってもお大師様の上にいるんですよね。

これからの和尚さんは「必殺技」が必要!?

——ご住職になられたのはいつですか?

先代住職の遷化を受けて、27歳で晋山しました。そのときに、近所の和尚さんに「これからの和尚さんは必殺技を持っとかんとあかん」と言われてね。真言宗の場合、必殺技と言えば、ご詠歌、法式、そして布教師。近くのお寺には、ご詠歌と法式のエキスパートの和尚さんがおられたので、ちょうど法話のポジションが空いていたんです。

高蔵寺の寺報にもこうゆうさんの挿し絵がある

布教師は、免状を取るまでに10年はかかるという狭き門。春と秋に本部講習があって、2週間ずつ高野山に上って徹底的にお話と受戒作法を教え込まれます。毎日、朝6時からお勤めがあって、夜11時ごろまで掃除とごはん以外はずーっとしゃべりますから、それぞれにプライドとスタイルが完全にできあがるんですね。また、そこで出会った師匠がまたステキな方でね。

その方は「かんたんなことでええよ。日常のなかでふっと思ったことをお話してさしあげたら、そこに仏さんの華が咲くから」とおっしゃって。「人が死ぬ、病気になるという非日常の話はいらない。お母さんにお風呂入れてもらったとかそんな身近な話から広げなさい」と。その先生のお話はね、三日間まったく同じ話を聴いても、毎回みんな涙が出るんですよ。

——同じ話をされているのに、ですか。

そう、まったく同じ表現方法でね。「これが講演や弁論とは違う、お説法というものです。あなたは、般若心経はもう飽きたからもうやめるとは言わないでしょう? 私の法話はお経と同じです」とおっしゃって。これはただごとではないと思いましたね。

——法話では、仏教の教えをこめて日常のお話をされるということですか?

そうです。ただ、お大師様はすべてのことを網羅してくださっているから、どこから話しても「あの言葉もこの言葉も使える」ということになるんですよ。だから、真言宗の法話は、僕らがおこがましくも仏さまを見つけるのではなく、仏さまに気づいていただくための方便なんです。気づかせる立場の布教師が、自身のなかにある仏さまに気づかずに話していてはいけないよと教えてくれたのが、布教師の先生方だったと思います。

たとえば、般若心経を暗記する、学ぶと言うと師匠は怒るんです。「般若心経は生まれたときからわかっているはず、仏の子なんだから。生まれてきたどさくさで忘れているだけだから、一字一句詰まるはずがない」と。即身成仏というのは、極論で言うとそういうことなんですね。

災難続きだった住職生活のはじまり

——布教師の講習に通いながら、ご住職としてもスタートされて。

天野さんが毎朝欠かさずお勤めをする本堂

はい。祖父の三回忌が終わったら晋山式をと言われていたのですが、ちょうどその年に阪神大震災とサリン事件が起きて。しかも、親戚内での揉めごとまで重なってずいぶんと苦労した時期がありました。住職になって、いろんな体制を立て直そうと張り切っていたのですが、若さゆえ、白黒をはっきりしなくてはという焦りが周囲に歪みを呼びました。それがいろんな人に飛び火して……。晋山式も、結婚も決まっていて、しかも地震で客殿が傾いてしまって改修事業もしなければいけない。僕自身は「大変だなぁ」と客観的に物事を見ているつもりでいたのですが、気がついたらストレスで胃に穴が空いていました。

——いっぺんにいろんなことが降りかかってきて……。

本当なら、大歓迎されて住職になる予定だったのに、問題ばかりが起きてくるというような状況でした。そんなときに先輩の和尚さんが「揉めている相手のことを思って、毎日拝むときに一回でも『今はともかく、これまでありがとう』と言ってみなさい」とおっしゃったんです。そう言われても、トラブルになっている相手に対して「ありがとう」とはなかなか言えないのですが、先輩の言葉がどうしても頭をかすめるから、短くても「ありがと」と言うようにすると、行が終わった後が妙にさわやかでね。

すると不思議なもので、「病気が治った」「問題が解決した」と祈願しに来る人が増え始めました。親戚との和解も成立しましたし、檀家さんたちも「住職もがんばってるじゃないか」と言ってくれるようになってね。改修事業も、法隆寺の宮大工・小川三夫さんに新築をお願いできることになりましたし、法話の師匠にお会いしたのもその時期で。全部が「せーの」でいっぺんに起きました。ほんと、生きていたらなんとかなると思いましたね。

前代未聞のラジオ番組『拝、ボーズ!!』

——FMくらしき『拝、ボーズ!!』はいつ始まったんですか?

平成13年頃ですね。始めるときはすごく勇気がいりました。むちゃくちゃな状況が続いてもうズタボロでしたから。「もう失うものはないから怖いものはない」とか言いますけど、一回怖いものを見てしまうと怖いものだらけですよ。ただ、魂をガツンとぶつけてくる人を見ぬけるようにはなりましたね。

はじめは、辻説法をやろうと思っていたんです。何かやって、聞きに来てくれる人を相手に話したい一心で。誰かゲストを呼びたいと思っていたときに、現れたのが桂米裕さんです。企画を考えていると言ったら、米裕さんは一蹴ですよ。「あきまへんあきまへん。私は月に一回落語会やってましたけど人を集めるってどれだけ大変か。電波に乗せなはれ」ってね。

小林啓子さんの歌と天野さんの法話がコラボする『うたかたり』

でも、電波に乗せるにはスポンサーが必要でしょう? どうしようかと思っていたら、カメラマンだった父と長年おつきあいのあった葬祭式場のいのうえエヴァホールさんが引き受けてくれたんです。そこの社長に「おもろいやんか、葬儀屋とお坊さんのコラボなんて」と言われて、「あぁ、それは禁断の扉やぁ」とハッとしたんですけど、やはり和尚さんたちから非難轟々でしたね。漫才じゃないか、葬儀屋と組むのはどうなんだ、とか。ワンクール持てばいいだろうと言われていたんですが、今年の秋で10周年を迎える長寿番組になりました(笑)。

——桂米裕さんとは以前からおつきあいがあったんですか。

いや、まったく。同じ本山布教師ではあっても、むしろ相反する流派にいましたから。彼は人間国宝・桂米朝さんのお弟子として鳴り物入りで高野山に来て、あの話術で高野布教の流れを変えた人でした。僕は、むしろそれに反発して「あいつだけは認めたらあかん」と(笑)。かつて、僕と米裕さんの間にあった壁は、ベルリンの壁より厚かったですよ。最近になって、「なんで僕と組んだんや?」と聞いたら、「いやぁ、僕の経験したことない人生経験をしているから面白かったんや」と。彼もすごい苦労人なんだけどね。

目の前の問題に向き合う和尚さんに

——こうゆうさんのなりたいお坊さんって、どんなお坊さんですか?

使い込まれていることがひと目でわかる柄香炉

僕は、両手を広げた範囲に、正面に立ってくださったことに関してはやろうと思っています。そして、目の前に出てきた問題に向き合う和尚さんでありたい、と。かなりの自信と信心がないと「私が拝むから治します」「悩みをなんとかいたしましょう」とは言えませんよね。

真言宗に関しては、牛が逃げても、指輪を失くしても、嫁さんが浮気しても加持祈祷をお願いされます。そんな下世話なことまで? と思うけれども、案外お大師さんの頃って、そういうものだったんじゃないかな。この人に頼めばなんとかなるというのが加持祈祷だから。しかも、安心させると同時に、成就させないといけない。加持祈祷ってね、魔法みたいに言われるけれども、気づきと赦しと、ちょっとしたスミマセンの気持ちをうまく調和させていくものなんじゃないかなと思いますね。

坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。特定のアルバムなどがあれば、そのタイトルもお願いします。

Oldies全般、特にサムクック。日本なら原田郁子ちゃんと日出克さん、そして小林啓子さん。アルバムは自分が手がけた『高野山への道/サントラ盤』と『うたかたりvol.1』。

2)好きな映画があれば教えてください。特に好きなシーンなどがあれば、かんたんな説明をお願いします。

不動はアメグラ(『アメリカン・グラフィティ』)ですが、『恋しくて』のエンディングと『世にも不思議なアメージングストーリー/幽霊列車』のお爺さんが孫に別れを告げる場面。

3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。

入門・真言密教の常識-弘法大師のおしえをどう生かすか/田中千秋著
横山宏Ma.K.モデリングブック/横山宏

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?

プロレス。その他、採点スポーツ以外は何でも観戦します。野球をしていましたが、今はしてません。

5)好きな料理・食べ物はなんですか?

ビールがおいしく感じられるもの全て。人も会話も含む。

6)趣味・特技があれば教えてください。

何でも例えて話せる。絵や造形も得意。

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?

ラリルレロの発音。

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。

ファーストクラスに乗れるならどこでも。

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。

テキ屋さん。

10)尊敬している人がいれば教えてください。

尊敬が最高最深の単位なら『お大師さま』

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?

高野山高校宗教行道部。法要一式の執行から幼児布教までを実践で学ぶクラブ。

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。

喫茶店主任、宿坊給仕、バーテン、土木行、居酒屋、プラモデルのフィニッシャー、プロレス興行補佐、デザイナー助手など多種多様。

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。

『拝、ボーズ!!』のパーソナリティ。いつも辞めたいと思ってます。

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?

境界を感じないので、いつも(ぜんぶ)「遊んでる」感覚。だからいつも休日。

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?

いつもと同じだと思います。

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。

他の追随を許さず、完膚無きまでに、淡々と

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?

明治排仏毀釈で闘っていた。その前はドイツ人としてビールを飲んでいた。
また時代の最先端に生まれ変わりたい。そして真言行者でいたい。
18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください。(次のインタビューで聞いてみます)

「坊主と先生という呼び方に抵抗ありませんか?私は「和尚さん」と呼ばれるのが好きです。貴師はいかがでしょうか?」

19)前のお坊さんからの質問です。「坊さんのハゲ頭と剃頭は、やっぱり違うと思いますか。」

先日、小学生と本気で語り合いましたね。彼らは同じだと言いきります。私は違うと反論しました。すると頭頂部が寂しくなってきた先輩和尚が「同じということにしといてくれ」と苦笑い。ということで「同じ」です。

プロフィール

天野高雄/あまのこうゆう
ようまいり.com
昭和43年6月7日生まれ。15歳の時、高野山に入る。祖父の後を継ぎ、平成7年3月に高蔵寺晋山。住職を勤めながら、近県を中心に布教活動を展開。寺院だけではなく、団体、学校、企業などでも講演を精力的に展開。自坊では寺報を制作配付、「明るく、わかりやすく…」をモットーにウェブサイトや法話会、各種行事を季節ごとに開催、特に月2回の子供を中心ごとした寺子屋を開校し、注目を集めている。また、画家として仏画を制作。毎年各地で個展を開催し、目で見る法話として喜ばれている。平成13年よりラジオのパーソナリティーとして、新しい法話の可能性を示し、ギャラクシー賞を受賞した。高蔵寺伽藍復興の為、根本道場再現の為、法を説くことに全力を注ぐ。

医王山 持明院 高蔵寺(いおうざん じみょういん こうぞうじ)
http://www.kozoji.jp/
承応3年(1654)開山。開祖は海誉上人。本堂「瑠璃光殿」の中に安置されている本尊は、秘仏とされている薬師如来。本堂中心には護摩壇があり、黒く煤けた堂内は信仰の歴史を物語っている。客殿「施薬殿」は平成十七年に完成。法隆寺宮建築の伝統を継ぐ小川三夫棟梁が手がけた。堂は持仏として大日如来、不動明王、弘法大師が祀られる。施薬殿は、主に法話会、寺子屋、勉強会、法事などに使用される。

天野こうゆうさんの活動

拝、ボーズ!!
http://www.haibozu.com/
FMくらしき(82.8MHz、倉敷エリアのみ)で毎週金曜日11:30?12:00(再放送火曜日19:00?)に放送している『法話バラエティ番組』。法事についてのあれこれ、身にしみる仏さまの話、お坊さんの素顔などなどをわかりやすく親しみやすく紹介。ポッドキャストでも配信している。パーソナリティは、、天野こうゆうさん、桂米裕さん。ギャラクシー賞受賞。

うたかたり
http://www.utakatari.com/
天野こうゆうさんが、フォークシンガー・小林啓子さんとともに、歌とお話で仏教説話をわかりやすく説き、今を生きる人への「心のみちしるべ」を示す新感覚ライブイベント。寺院のみならず、カフェやギャラリー、ライブハウスなどでも精力的に活動する。つい先日、『うたかたり』から生まれたオリジナル法話フォークソングをCDとして発売。

こうぞうじ寺子屋
小学生を対象に、毎月第2、4土曜日朝7時から開く寺子屋。読経、境内の掃除、坐禅、天野こうゆうさんの法話などを行う。会費や入会料等は無料、入退校は自由。

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。