自分の役割を”育てる”人/退蔵院 副住職 松山大耕さん

松山大耕さんは、20歳になるまで「お寺を継ぐのは絶対に嫌」と思っていたそうだ。でも、いったん「お寺を継ぐ」と決めると、3年半の厳しい修行に打ち込み、修行後は600キロを托鉢しながら京都まで歩いてしまった。今は、大本山妙心寺山内の塔頭の副住職として求められる”役割”を、とらわれることのない自由な発想で捉えながらアイディアを実行に移している。穏やかで明るいお人柄に秘められた、力強い人生の歩みについてすべてお話いただきました。

少年時代はやんちゃな”若年寄”

少年時代は境内が遊び場で、塔頭の子供仲間や小学校の友達とお寺の中で野球をしたり、梵鐘を勝手に鳴らして「梵鐘ダッシュ」をして怒られたりしてましたね(笑)。今は境内で遊ぶ子は見かけなくなりましたけど、野球とかしたらいいと思うんですけどね。「梵鐘ダッシュ」なんかしたら、もちろん怒りに行きますけど(笑)。当時好きだったのは、「水戸黄門」「遠山の金さん」とかひたすら時代劇。「北斗の拳」や「星闘士星矢」なんて一回も見たことなくて、”若年寄”って呼ばれてました。

中学、高校は、カトリック系の学校に入ったんです。家から近かったからという理由もありますが、多感な時期に他宗教を知るということも大事だということで。宗教の時間がすごい好きでしたね。神父さんが、たとえば「神を証明してくれ」とか、多感な我々の無茶な質問にちゃんと答えてくれるんですよ(笑)。でも、キリスト教も仏教も、アプローチの違いだけで結局は何が大事かということは一緒やなという印象でしたね。部活は、中学校のときにバレーボールをしていました。これが思いっきり体育会系の部活で死ぬほどきつかったんです。中学の部活に比べると、大学受験や修行は自分のなかでは楽勝というほどでしたね(笑)。

レールの上を歩く人生に反発を感じて

両親からはっきりと言われてはいませんでしたが、周囲の人から跡継ぎとして望まれていることは小さい頃から感じていました。でも、私自身は「絶対にやったるもんか」と思っていましたね。レールを引かれた人生には自分の存在意義がないと思ってましたし、いくら努力してもそこじゃないかと思われることも、自分がそれに甘んじることも嫌だったんです。ですから、中学、高校で進学校に進んだことに対して「跡継ぎやのに何でそんなに勉強するの?」というような言われ方をすることが一番嫌でした。

大学を受験するときは、本当は京都大学に行きたかったんです。でも、うちの和尚が東京の大学に学んだこともあって「京都で大学に行ったら一生京都のままだから井の中の蛙になる。東京に行くなら学費を出してやる」と言われまして。ほんまにしぶしぶ東京大学を選んだんです。だから、京大のキャンパスにはいまだに若干憧れるところがありますね(笑)。

想定外!? 東京で”小僧生活”

東京では、学生生活の最初の2年間を広尾の光林寺というお寺に住まいながら修行をさせてもらいました。最初は「東京に行かせてもらうし親の言うことも聞いておこうか」と、下宿するくらいの気持ちで行ったら小僧生活が待っていてえらいことやった(笑)。毎朝6時に起きて門を開けて、お経を読んで、掃除して、雑巾掛けをして、お風呂洗って、ごはん食べてお茶碗を洗って学校へ行く。そんな生活でした。門限もあったので遊べなかったんですけども、バレないように夜抜け出して飲み会へ行ったりもしていました(笑)。

大学3年生になって周囲が就職活動をし始めると、私はそれにすごい違和感を感じましてね。結局、それは「私がやらなくてもいい」と思ったんですね。周りにいる優秀な人たちががんばれば世の中はうまく回っていくけれども、私はお寺の長男で、自分がそのポジションにつくことを望んでくださっているみなさんがいる。世の中には、望まれてなれる職業っていうのは本当にないですし、非常に光栄でやりがいがあると思うようになったんですね。

“MAKE”から”GROW”に発想を転換

お寺を継ごうと決心した特別なきっかけはありませんが、一つには3年生のときに経済学部から農学部へ転部したことが影響したのかもしれません。農学というのはものすごく応用力のある学問なんです。イメージで言うと、工学部や法学部、経済学部が”MAKE”だとすると、農学部は”GROW”なんですね。それまで持っていた「誰々になりたい」「自分をどういう対象にしたい」という考え方ではなくて、自分の発想次第でどうにでもなるから、自分でいろいろ育てていけば最終的に目標とするものになるんじゃないかなという印象はありましたね。お寺の住職という立場を生かしながら、何か社会に貢献できること、自分にしかなり得ないものが大いにあるなあと思ったんです。

跡を継ぐと決めたことを知って喜んでくれる檀家さんもいましたけれども、逆に「せっかく東大まで行ったのにもったいないなぁ」という人も多かったですね。そういうところまで行ったからこそ、戻ってくるのに価値があると思うんですけどね。

「石の上にも三年」の修行

大学院を出てからすぐに、埼玉県新座市にある平林寺というお寺で修行を始めました。毎日朝3時に起きて坐禅や作務をして眠るのは0時頃になります。もちろん睡眠不足ですから、坐禅のときはキョーレツに眠くてもうガン寝ですよ(笑)。でも、警策(棒)がボコボコ折れるほどフルスイングで叩かれて、起きてまた眠くなっての繰り返しです。

寝ないための工夫として、昔楽しかったことを思い出してみたり、頭のなかで歌を歌ったりしていましたね。それこそ煩悩だらけです(笑)。「心を無にせよ」と言いますが、1年目なんて1年中座っていても無になれたのは、トータルで1時間くらいやと思います。ひたすらに、寝ないようにしようということだけ心がけるのが修行1年目でした。

それが2年目になると、歌おうとしてもサビの部分しかわからなくなりますし、思い出も「これはこないだも思い出したなぁ」と思うようになってきて、3年目には歌のサビすらあやうくなって、思い出も全部思い出したことばっかり。「自分の人生ってこんなに薄っぺらかったんか」と(笑)。そのぐらいでやっと「もうええわ」と、だんだん無に近くなっていくんです。

まずは、全部出さないとだめなんですよ。我々の修行では、積み上げてきたものを全部崩すのが修行やと言われるんですけども、まずは全部いらんものを出し尽くすということから始まるんですね。「石の上にも三年」とはよく言ったもので、修行も3年は続けないと意味がないと思います。

修行後、600キロを行脚して京都へ帰る

修行が終わった後、埼玉県から京都まで中山道を通って托鉢をして徒歩で帰りました。今は交通機関もあるので歩いて帰る人は稀ですが、昔はそうやって帰ったんですよ。歩くことが修行にもなりますし、老師にも「こんな機会は一生のうち今しかないからやってみなさい」と言われて、やってみようと思いました。

一日に約20キロ、お寺に泊めていただきながら、28日をかけて中山道を約600キロを歩きました。托鉢のときは、袈裟文庫というカバンを首からかけるんですけども、袈裟、経本、食器、剃刀、合羽などを入れると約10キロの重さになります。これを持って、宿場町に入ると「ほーう」と声をあげながら托鉢をして歩くんです。あの声は「法雨」と書くんですよ。「法の雨」つまり「仏法が皆さんの上に雨のように降り注ぎますように、遍く行き渡りますように」という意味なんです。

道中は、その声をうるさいと言われたり、唾を吐かれたこともありましたけども、たいていは温かい目で見ていただきました。裸足で草鞋を履いているのを見て「痛いでしょう」と5つ指靴下をわざわざ家から持ってきてくれるおばさんがいたり、峠道でいきなりハーレーをギュッと止めて、すごいコワモテのおじさんに「DONATIONしますよ」ってお布施をいただいたり(笑)。ありがたかったですね。

ずっとひとりで歩いていると、自分の弱さがものすごいよく見えました。「ごっついきついなあ」と思っているときに限って空のタクシーがきたりとかね(笑)。「もう今日はここでやめとこか」と思ったこともしょっちゅうありました。そこが修行なんでしょうね。でも、まず一歩歩かないと京都には着かないわけで、がんばっていたら着くんやなぁというか。ほんまにやってよかったと思っています。

一番尊敬するお坊さんに会いに

京都に戻ってから、長野県飯山市の正受庵というお寺に一冬の間修行に行きました。正受庵は、檀家さんもいないし、観光もしていない、冬は雪が3メートルも積もるところで、和尚さんがたった一人で文句も言わず淡々と托鉢だけで守っておられるお寺です。和尚さんには学生のときにお会いして以来、私が一番尊敬するお坊さんなんです。

私が思うに、お坊さんだけじゃなくて「先生」と呼ばれる立場の人は、結局は安心を与えることが仕事やと思うんですね。病気を治すのは本人ですけど、安心を与えてその手助けをするのがお医者さんですし、我々もそれが仕事やと思います。

その和尚さんという人は、まさに安心感を与えているというか、その存在自体が安心なんです。その町にいらっしゃる詩人の方が和尚さんについて「和尚さんの托鉢の『法雨』という声を聞くと町全体に安心が広がる」という詩を書かれています。私はひとえにそこやと思うんです。お葬式や観光をすることも大事ですけど、安心を与えるということを実直にやるところがその和尚さんのすごいところやと思うんですね。

老若男女国籍問わず来てもらえるお寺に

退蔵院は、妙心寺山内でも早くから一般公開している塔頭寺院で、ある意味山内のパイオニア的存在です。私は老若男女国籍問わず、誰でも来ていただけるように敷居を低くして、わかりやすくお寺に接していただきたい。ただ、接していただくのは、たとえば坐禅のようにお寺でしか触れることができないことでないとね。

外国人のための禅体験を始めたのは、学生の頃に海外を旅行するなかでこういうニーズは確実にあるだろうと思っていたからなんです。今は、年間約300人の方がいらっしゃっています。ホームページなどを見て自主的に申し込みをされる方もいますし、政府や民間企業がハーバード大学やスタンフォード大学のような世界中から人が集まる大学の方を日本に招いて、日本を知っていただくことに力を入れていますので、そうした機会に日本文化の一端である禅や書道を体験していただくこともありますね。

修学旅行生も、年間約1万5000人来ていただいています。中学生・高校生を座らせるのは大変なこともありますけど、反応は概ね良好ですよ。しゃべらせないくらいの迫力と声でやらないといけないので、ものすごく疲れますけどね(笑)。彼らや外国人の方を指導することで、お坊さんに触れてもらう、話を聞いてもらう機会を設けることも大事なことやと思います。今の世の中では、悪いことはすぐに伝わりますが、いいことはなかなか伝わらないことが多いです。いいことを伝えることも私の役割だと思っています。

今、お寺に求められていることは

入りやすい、親しみやすいお寺にするためには、いろんなバリアを取っていかなくてはならないとも思います。言語のバリアをなくしていろんな国の方に来ていただく、言葉の難しさのバリアをとってわかりやすくお話する、境内をバリアフリーにしてご高齢の方にも来ていただきやすいようにしていくということもありますね。退蔵院は檀家さんのサポートで成り立っているお寺ですから、檀家さんが「ちょっと休みできたから墓参りに行こうかな」と思ってくださるお寺じゃないといけないとも思っています。

今、お寺に求められていることは、一言で言うと安心ということやと思います。お寺に行くとホッとする、話を聞いて安心する、ご先祖様を守ってくださっているということもあるでしょうね。ただ、かつてと今では求められている安心感が違うと思うんです。一例として挙げると、昔は家族がたくさんいてお墓があってそれを守るというのが檀家のスタイルでしたが、核家族化した現代では「自分自身を預けたい」と思うお寺が求められているのではないかと思います。お寺のほうでもみなさんのニーズの変化をを捉えていかないといけません。今のお坊さんは宗派のことや、お檀家さんや周囲のお寺にどう思われているかとか、お寺の世界のことばかり考えているような気がします。もっと広く世の中のほうを向いたほうがいいと思いますね。

 

■坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。
Areosmith「GET A GRIP」、Candy Dulfer、Dew

2)好きな映画があれば教えてください。
「Back to the Future」子供の頃、ビデオが擦り切れるくらい見ました。
「阿弥陀堂だより」

3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
「深夜特急」沢木耕太郎

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
サッカー、ソフトボールなどはやります。

5)好きな料理・食べ物はなんですか?
お豆腐、じゃこごはん、きのこの味噌汁

6)趣味・特技があれば教えてください。
サッカー観戦

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
絵を描くこと。楽器を演奏すること

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
インドネシア、ミャンマー

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
電車の切符を切る人

10)尊敬している人がいれば教えてください。
正受庵の和尚さん
恩師の生源寺眞一先生(現、東京大学 農学部長)

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
バレーボール(中学校)

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
なか卯のホールスタッフ、ドラマのエキストラ
官庁の研究請負、家庭教師、塾の講師

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
週刊プレイボーイは毎週読んでます。

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
ほぼありません。(休みがあれば)嵯峨野にサイクリング

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
特にしたいことはありません。逆に困るかも……。

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
Now or Never

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
???
なりたいものは、風かなぁ。

18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください
お坊さんになってなかったら、何になっていましたか?

19)前のお坊さんからの質問です。「何でお坊さんしてますのん?」
自分の天職だと思うから。

プロフィール
松山大耕さん/まつやま だいこう

1978年生まれ。東京大学大学院農学生命科学研究科修了。1990年、11歳のときに得度。大学在学中は光林寺にて2年間の小僧生活を送りながら大学に通い、卒業後は埼玉県新座市にある平林寺にて3年半の修行生活を送った後、中山道を600キロ徒歩で托鉢をしながら京都へ戻る。2006年より退蔵院副住職に就任すると同時に、外国人に禅体験を紹介するツアーなどを企画するなど、新しい試みに取り組まれている。外国人への禅指導は通訳を介さずに松山さん自ら英語で行われている。日本文化の発信・交流が高く評価され、2009年5月、政府観光庁YokosoJapan大使に任命される。

退蔵院

臨済宗妙心寺派 大本山妙心寺の塔頭寺院。1404年に建立された、妙心寺山内にある46の塔頭寺院のなかでも屈指の古刹。狩野元信が作庭したとい絵画的な優美さの庭園『元信の庭』、国宝『瓢鮎図』などを有している。昭和の名園として名高い広大な『余香苑』は、水琴窟や鹿威しなども配されており、四季折々の表情を楽しみながらゆっくりと時を過ごすことができる。境内ではお抹茶とお菓子の接待(500円)も受けられる。

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。