命の大切さを伝える人/根本紹徹さん

根本紹徹さんは、インターネット上で自死対策の活動をされる僧侶として知られている方です。インタビューでは、根本さんが僧侶になられたいきさつや、自死対策に取り組まれるきっかけを伺ったのですが、予想外のエピソードが次々に飛び出してきて驚きました。まずは、根本さんが自死対策の活動を始められるまでのお話からご紹介してまいります。

大学から東京湾、そしてお寺へ

大学では哲学を勉強していたのですが、故・小阪修平さんが団地の集会所でやっていた『哲学的研究会』に参加してみたら、それがもう面白くてですね。大学では何十年も同じノートを使って講義しているのに、この研究会では大学の教授クラスのそうそうたるメンバーの前で発表して、ものすごいコメントをもらえたりするんですよ。それで、だんだん大学から足が遠のいて辞めてしまったんですね。

当時は、東京湾で行われている埋め立て工事が、水質を汚さずに環境基準を守っているかをチェックするという仕事をしていました。それで、働きながら『哲学的研究会』で勉強したかったことを勉強していました。働くのも面白かったし、やりたい勉強もできるし、そっちのほうがいいやと思ったわけです。

でも、ヨーロッパの思想が論理構築や論証を中心とするのに対して、アジアの思想って体験じゃないですか。今度は体験を基にしたアジアの思想を学びたいと思うと、お坊さんになるのが一番早いかなと考えていたんです。

新聞の求人広告で出家して

そうしたら、母が「僧侶募集! 未経験者可」っていう新聞の求人広告を見つけてね(笑)。当時は、宗派のこともお寺のことも全く知りませんでした。ただ、極真空手をやっているのですが、冬の合宿では必ず坐禅をするんですね。呼吸や気を整えて闘うとぜんぜん違うのは体で実感していたので禅には興味がありましたし、その求人広告には、禅宗と書いてあったので応募してみたんです。

府中の近くにある臨済宗系の単立寺院で、動物供養ですごく有名なお寺でした。面接を受けたら、30数人の候補者のなかから私がたまたま選ばれまして。一ヶ月間寝泊りしてお坊さんの務めを学んだ後、新入りのお坊さんとしてペットの葬儀や供養をすることになりました。

そのお寺では約3年間、毎日10数件のペットのお葬式をして、言われるままにマニュアル通りのお経を読んでお話していました。でも、小さい子がペットロストを体験したりするのを見ていると、自分のやっていることがよくわからないんです。自分の中でも葛藤が出てきて、これはいかんなあと思い始めました。

大きなお寺なので、お盆やお彼岸になるとたくさんの和尚さんたちが手伝いに来られるんですが、なかにはすごい修行をしてきた方もおられるわけです。修行道場に何年もいて、初めて臨済宗なら臨済宗のお坊さんになれるんだなということもわかって。

どうせなら古来からある修行道場でしっかり修行したいと思っていたら、そこに来ていた和尚さんが「在家からやりたい人がいる」と、関市にある梅龍寺に紹介してくれて、師匠になっていただくことになったんです。そこで約一年間、小坊主をしながら正眼短期大学に通い、鬼叢林として有名な正眼寺の僧堂に入りました。

本物の修行を求めて”鬼叢林”へ

正眼僧堂では、4年間修行をしました。あの僧堂は、薪でごはんを炊きますし、柴で炉をくべます。これはどこの僧堂も同じですが、読み書きは一切禁止ですし、三年間は白歯を見せて笑うどころかおしゃべりも禁止、歯医者にも行けません(笑)。

京都の妙心寺の僧堂も厳しいと言われていますが、月に4回『弁事』といって日帰りで外に出られるそうです。何か規律に反することをすると『弁事止め』って言って外に出ることを禁じられるのが一番重い罰だと聞いたときは「いいなぁ」と思いましたね(笑)。僕らは弁事もなかったんですよ。

ただ、3年目の頃に、参禅のときに老師に怒鳴ったことがありました。「世の中には苦しんでいる人も、死んでいく人もいっぱいいるのに、毎日毎日坐っていて何になるんだ。昔の問答をなんだかんだと言ってなんの役に立つんだ!」とね。真剣に修行すれば修行するほど、いっぱいいっぱいになってしまって、「もういいや、本気で当てちゃおう」と殴りかかったんですよ。

すると老師は「あんたさん、人を救いたいと言ってもまだ一人も救っていないということがわからないのか」と言われましてね。そのときにガンとわかりました。私自身がちゃんと救われていないから、他に目が向いてそういうことを言っているのかな、と。

驚いたのは、私が本気で殴りかかっても、老師はまばたき一つしなかったことです。私は空手を20年程やっていますので、武道でなら相手を測ることができる自信がありました。でも、老師は私の間合いを見てミリ単位で少し下がっただけで、まばたき一つしなかった。この人は本物だと思って、それからはまた真っ裸になって一心に修行に励みました。

ハンバーガーショップで社会勉強やりなおし

修行4年目に、梅龍寺の師匠が危篤になられたので、せめてお礼奉公をと思い帰らせていただくことにしました。もう師匠はベッド際でお話できるかどうかの状態で、お礼奉公どころではなかったんですけども。それを機に、社会に戻ることになりました。

でも、小僧時代から約10年近く世の中から離れていたので、パソコンを開くとカラーになっていますし、テレビのニュースを見てもぜんぜんわからない。まるで浦島太郎みたいで、あまりにも社会とズレている感覚があったので、とりあえず社会勉強をしようと思って、国分寺のハンバーガーショップのバイトに応募したんです。

そしたらね、面接で顔を見た瞬間に「だめだ」と断られたんです(笑)。髪型がすごく厳しくて坊主頭はダメなんですよ。「これ以上清潔な頭はないと思います」と言ってもダメだったので帰ろうとしたら、「履歴書だけ見せてください」って言われたんです。履歴書の志望動機の欄に「もう一度社会勉強をしなおしたい」と書いていたら、「これはどういうことですか?」と。お坊さんがファーストフードに社会勉強に来るってよくわからないんですけど、みたいな(笑)。

「いや、実は修行が長かったものですから社会人としてもう一度勉強して感覚を取り戻したい」と説明したら、私と同い年の店長が「実はですね」と悩みを打ち明け始めたんですよ。残業は少ないときでも170時間以上あって家にまったく帰れないと。夜遅くまでメンテナンスして、朝いちでオープニングして、昼は休めるかと言ったらバイトの子は簡単に休むからフォローしなくちゃいけない。「人生ってどうしようもないんですかね?」って、禅問答の公案みたいですよね。

待っていても棚からぼた餅は落ちてこない

私もその店長と同じ質問をしたことがあるんですね。修行中に、老師と一緒にニューヨーク大菩薩禅堂へ行かせてもらったとき、大菩薩禅堂の嶋野榮道老師にいろんな意味をこめて「人間ってどうしようもないんですか?」と。すると、嶋野老師は「どうしようもないってあんたさんは言うけど、わしもどうしようもなかった」とおっしゃったんです。

嶋野老師は、誰も禅なんて知らないときにニューヨークに来て、駐車場で坐禅を始めたんですね。でも「こんなところに座るな」と言われるたびに、転々としながら坐っていくうちに、禅に興味を持った人が何人か坐るようになって、やがて空き地のオーナーが「ここを使っていいよ」と言ってくれたんです。そこにちょっとしたお堂ができて、今は企業がたくさんバックアップして大きなお寺になっているんですね。

「どうしようもないと言ってるけどね、棚は常に揺らしておかないとぼた餅は落ちて来ないからね」と言われて、ハッと気付いたことがありまして。元気になって帰ってきたという記憶があるんです。それで、この店長も同じ悩みなのかなと思って嶋野老師の話をしました。「もう一回、みんなとちゃんと話してどうしたらいいか考えてやっていこう。そんなに大変だってみんなは知らないだけなんだよ」と。そしたら、元気になってくれて。店長が「どうしてもこの人を入れたい」と本社に直接かけあってくれて、アルバイトをすることになりました。

ハンバーガーショップに相談コーナーができる

ハンバーガーショップのアルバイトでは、最初はポテト担当からなんですね。朝からずっとポテトを揚げ続けて、汗だくでヘトヘトになったときに、高校生くらいの女の子が「根本さん、おつかれー! 飲んでくださーい」って氷を入れたお水を持ってきてくれて。「うっまいなぁ、これほんとありがたいなぁ」と(笑)。

修行中は、喉が渇こうが何をしようがずっと我慢し続けて、「とらわれるな、無だ、無だ」って言いながらやっていたので、人と人のふれあいと思いやりが生かしてくれる力になるなんだなぁと思って「がんばるぅー!」ってやってたんですけども。ここでの社会勉強はドラマチックで新しい発見が続く毎日を過ごしていましたね(笑)。

バイトの後は、店長はもちろん他のアルバイトの人たちとも話すようになって、気が付くとバイトしているより話している時間の方が長くなっちゃったんですよね。学生には学生の悩みがあるし、主婦層には法事とかお葬式について質問されたり、相談コーナーみたいになっちゃって、「いつまでも帰れないなぁ」みたいな。

特に、地方出身の学生が多いから、これから社会に出るのに悩んだり、葛藤したり、プレッシャーを感じているんですね。なかには、苦しんで死にたいと思う人もいて、いろんな話をしているうちに「お坊さんにもっと話をしてほしい」と言われて。彼らにも「SNS(ソーシャルネットワークサービス)があるよ」を教えてもらって、あるSNSで「死にたい人」というコミュニティを立ち上げたんです。

それで、いろんな死にたがり屋さんの集まりに参加して「自分もこういうコミュを作ったから」ってつないでいくうちに、話が大きくなって500数十人集まったんですよ。ただ、「死にたい人」のコミュニティは、何の前触れもなくSNSの会社に強制削除されてしまって。今は、承認制のコミュニティで『消えない人』という名前で活動しています。

死にたいという心の動きを知りたい

ハンバーガーショップでいろんな相談があったなかでも、やっぱり自殺だけはなんとか止めたいと思いました。僕自身も、親戚や仲の良かった友人を自殺で亡くした経験があり、放っておくとあっと言う間にいつのまにか死んじゃうという恐怖感があるんです。「なんとかしてあげればよかった。何か言ってあげたかった」という思いに苦しんだ後、そういう悲しみを生む世の中をなんとかしなくてはという思いを強く持つようになったんですね。

また、もともと哲学をやっていますので、人間は悩み続けて死に至るまでどういう過程を経て絶望して、あきらめて楽になりたいと死を考えるのかを徹底的に知りたかったんです。その運動をどう変更すれば、生きられる力になっていくのかにもすごく興味がありました。

誰もが悩みを持っているし、周りに苦しんでいる人がいたり、自分もそういう経験をしたことがあったりします。でも、どうしても自分だけが社会に置いていかれてうまく歯車に入っていけなくて、ダメだダメだって思う人も多いようです。

死にたいと思うほど悩んでいても、周囲にいる親しい人には話せないこともあります。でも、インターネットを通じて匿名で書くことならできるということもあります。悩んで死にたいと思う人、その周囲にいる人をインターネットを通じてつなげていくことで話す場を作り、生きる方へ流れを変えていけたらいいと思っています。

無住の荒れ寺を再建して住職に

ハンバーガーショップでアルバイトをしながら、お盆やお彼岸には師匠の寺に手伝いに行くと「もういい加減、ハンバーガー作るのはやめて寺に入れ。跡継ぎのいない寺や空いている寺はいっぱいあるんだ」と、お見合い写真を見せられるんです(笑)。「いや、もうちょっと社会勉強してもいいですか?」なんて言って1年ほどはアルバイトを続けました。

お見合いの話には、非常に大きなお寺との縁談もあったのですが、逆玉の輿で出世コースを選ぶのは違うだろうと思いました。頭を剃って出家して何を目指したかったかというと”本物の道”を究めることですし、そのためにはまず師匠への恩も返さないといけないんじゃないかと。自殺問題もどんどんやりたかったし、大きいお寺の先頭に立つことは私にとってはあまり魅力的ではなかったんです。

「え? そんないい話を蹴ってどこへ行くの」と思っていたら、ボロボロの寺だったのでみんなもうビックリですよ(笑)。大禅寺は、当時7年間ほど無住でしたし、本堂は柱に割り箸がプスプス入るほどボロボロだったんですよ。でも、ここは私が修行した正眼寺と師匠の寺である梅龍寺のちょうど中間地点にあり、これもご縁なのかなと思いました。

再建にあたっては、檀家さんの有志と力を合わせ一軒一軒を回って説得しました。「残したいのか、もういいと思っているのか、ここではっきり決めましょう。そうでないと、自分もここでどれだけ力を入れていいのかわからない」と言ったら、みんな「残したい」と言ってくれて。「それなら今まで生きて稼いできたお金の一部を後につなぐために分けてもらえないか」とお願いして。なんとか寄付金も集まって、晋山式と落慶式をするところまでいきました。

式には、お稚児さんが約340人も集まりましたし、その家族や檀家や縁者を含め全部で1500人から2000人くらいが参加してくれました。見た人によると、一種異様な空気だったそうです。私の後にお稚児さんがずらーっと並んで、ご詠歌を歌いながら歩いていて。神秘的な、不思議な光景だったと。初めてこの村と地域がひとつになれた日だったんです。

今まで、いろんな争いもあったけれども、一つになってお寺ができたと大喜びした瞬間ですね。その後も、お寺の掃除をするときなどには、仲が悪い人も喧嘩している人も「いちおうお寺さんのことだから」と集まってくれます。汗だくになった後に、仲のいい人もそうでない人もみんなでお茶飲んでゲラゲラ笑っているのを見ると、ほんといいなぁと思いますね。

自死対策の相談はしんどくないですよ

自死対策関連の相談者の方も、多いときは毎週のようにお寺にも訪ねてこられますが、基本的にインターネットで対応するようにしています。直接のメール、SNS経由のメッセージ、それにブログ経由でもメールも来ますし、緊急性のある人には携帯のアドレスも教えていますので、携帯にもメールが来ます。電話も毎日最低2?3件はありますね。

今のところは、私は相談していた方が亡くなられたという経験はないです。連絡が来なくなって長く経っている方はいますが、もし亡くなったら私とメールのやり取りをしていますので、私のところへ警察が来ると思うんですよ。最後に近い時期に話していた人のことは、警察はいちおう疑いますから。

よく「しんどくないですか?」と言われますが、私はあまり苦にはならないですね。ただ、空手をやっていないと生命力が落ちてくるので、道場には週二回は通っています。それはある意味、リストカットする人たちとあまり変わらないと思うんですね。リストカットすると、脳が危険だという信号を出しますので一瞬生命を取り戻して元気になるんです。武道も同じで、下手をしたら死ぬかもしれないぎりぎりでぶつかり合って、アドレナリンとかが出て爽快に元気になるんですよ(笑)。

お坊さんにもっと自死対策をしてほしい

自死対策をしても何のメリットもないし、ヘンなことを言って人を死なせてしまったらどうしようと心配されて、活動しない方もいらっしゃいますけれども、誰だって身近にしんどい思いをしている人はいるわけですし、ちょっと様子がおかしいと思ったら話を聴いてあげるべきだと思います。

特にお坊さんは、気持ちを吐き出せるいい対象です。後ろに仏さまがいると思うと、何か全部この人に話しちゃってもいいんじゃないか、みたいな。位置的には非常にいいと思うんですね。お坊さんによっては、苦痛に感じる人もいるかもしれませんが、出家しているのであれば一人一人の苦しみに向き合う気概は持って欲しいですよね。

実際に、死の現場で枕経をあげて話をするわけですよ。特に交通事故で亡くなった若い子供がいるところなんて凄まじいですよ。わんわん泣いている人がいるなかで、気持ちを吐き出させてどうしようもない苦しみを軽減していくということを現場でやっているわけですから、ためらうことはないと思うんです。

私も最初はわからないことばかりでしたので、精神疾患を経験した人や、自殺未遂をした人の話を聞かせてもらって「ああ、なるほど」と思うことばかりでした。そういう経験のある人に話を聞いてみることから始めてもいいと思います。みんな、特にお坊さんにやってほしいなと思っているんですよ、自死対策を。自死対策というと大げさですが、それを通じて世の中の苦しみや人々の苦悩に立ち向かっていってほしいと思うんですね。

面倒くさくて嫌なことかもしれませんが、それを言ってはお坊さんである意味がないんじゃないかなと。和尚さんって、いろんな家に行っていろんな人と接していますから、幸せになれるんじゃないかなという方向を一緒に探してあげるという気持ちでいって欲しいと思います。一緒に自死対策活動したい僧侶は歓迎しますので御連絡ください。ぜひ仲間になってもらいたいです。

坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。
「パープルレイン」Prince

2)好きな映画があれば教えてください。
「炎のランナー」ラストに走るシーン

3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
「ツァラツゥストラはかく語りき」ニーチェ

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
スノーボード

5)好きな料理・食べ物はなんですか?
ひきわり納豆

6)趣味・特技があれば教えてください。
カラテ・坐禅

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
整理整頓

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
インドと未開の地

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
宇宙へ出る仕事

10)尊敬している人がいれば教えてください。
故・小阪修平氏、故・大山倍達氏

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
バスケット部

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
飲食店、船舶関連、環境調査、運送業、築地市場……等々、20数種のバイトをしました。一番楽しかったのは19歳夏休みのとき、沖縄離島にて空手留学とマリンスタッフをやってた時です。

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
タバコ

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
基本的にはありません。空いた時間に温泉へ行くことがあります。

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
海外旅行

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
常にゆらしていないと棚からぼた餅は落ちてこない。

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
前世は少林寺で武道、生まれ変わったらボーカリスト。

18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください
お坊さんやってて、一番良かったことは何ですか?

19)前のお坊さんからの質問です。「剃髪に使用する剃刀とシェービングクリームの銘柄を教えてください」
剃刀は地元の貝印で、シェービングクリームは使いません。

プロフィール

根本紹徹さん/ねもとじょうてつ

1972年1月21日、東京生まれ。大学で西洋哲学を学ぶうちに、故・小阪修平氏の『哲学的研究会』に参加。数年の社会人経験ののち、26歳で出家。府中の臨済宗系単立寺、梅龍寺を経て、正眼僧堂で4年間修行する。僧堂を出たのち、自殺を考える人たちを引き止めるためにインターネット上に交流の場を開き、コミュニティ運営やオフ会の開催に取り組む。2005年、大禅寺の第15世住職として再建に着手し、2007年、晋山式・落慶式を行い第15世住職に就任。現在は、大禅寺の住職として務めるとともに、インターネットおよび超宗派で僧侶たちとともに自死対策活動に取り組む。

大禅寺
神宮山 大禅寺。1341年(暦応4年)、鎌倉・建長寺第13世大応国師の法嗣溢正宗大暁禅師塞翁一大和尚により開創される。1690年(元禄3年)、梅龍寺第11世話堂和尚のとき末寺となり、妙心寺派に転派。2005年(平成17年)4月に、第15世根本紹徹和尚が再建した。ご本尊は6本の腕を持つ如意輪観世音菩薩。”如意”は如意宝珠、”輪”は法輪を意味し、如意宝珠の三昧にあって意のままに説法し、六道の衆生の苦を抜いて世間・出世間の利益を与えるとされる。心の傷を癒し生きる道を共に探そうとする根本さんにぴったりのご本尊だ。中濃八十八ヶ所霊場の第42番。

岐阜県関市上大野355
TEL: 0575-29-0422
daizenji@live.jp
東海環状自動車道 富加関IC から700メートル
JR高山本線 美濃太田駅下車 車で15分

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。