伝説のお寺プロデューサー/誓願寺 本山課長 小島英裕さん

小島英裕さんと誓願寺のご本尊様

誓願寺は、京都市内で一番の繁華街・新京極通りのド真ん中にあるお寺です。お寺の門をくぐると、街の喧騒からホッと抜け出せる場所にあり、本堂の阿弥陀さまにはお参り自由。落語発祥の地として有名であり、また謡曲『誓願寺』から芸道上達の寺としても親しまれています。でも、今、この誓願寺で一番熱いのは、小島英裕さんという一人のお坊さんのハートです。今回も「えっ、こんなお坊さんがいるの?」と驚いていただけると思います(笑)。さて、演劇人であり名プロデューサーでもある小島さんの前半生からじっくり伺ってまいりましょう。

京都のど真ん中、芸能の町の寺に生まれて

にぎやかな新京極通りに面した誓願寺正門

僕は、秀吉さんが作られた寺町通りの東側、新京極の一本東にある裏寺町の宝蔵寺の長男になります。つまり、京都の町なかもド真ん中の、寺という特殊な環境に生まれて育って参りました。新京極通りは、もともと誓願寺をはじめとした寺町通りのお寺の境内地のなかに、見世物小屋や芝居小屋があったのが始まりらしいですわ。ところが、幕末の禁門の変で全焼して、お寺を再興しようかどうしようかというときに、見世物小屋や芝居小屋を見やすく復興しようということで、明治5年に新京極通りが作られたんですね。

僕が子どもの頃は、新京極に『京都花月』があって、桂文珍さん、桂三枝さん、明石家さんまさんらがよう来たはりました。新京極公園で遊んでたらね、京都花月の楽屋口が見えるんですよ。僕ら、滑り台の上から、さんまさんがサイン書いてはるのをよく見ていました。当時はまだ、さんまさんがさんまの絵をサインに描いてはりましたからね。「どんな風に描かはるんやろう?」って興味深々でした。

『京都花月』は、芸能の通りとして最後のシンボルやったんですけど、1987年になくなっちゃった。それでは寂しいということで、新京極六角のうなぎ屋『かねよ』さんが今でも寄席を続けてくれたはります。でも、誓願寺では、僕が来る前には60年の歴史がある『ピーチク寄席』以外は特に何もしていなかったんです。

誓願寺の第55世法主・安楽庵策伝上人という人は、お説教の達人やったんです。策伝さんがお説教の中で使う笑える小噺を集めて書かれた『醒睡笑』が落語のタネ本になったので、誓願寺は落語発祥の地とも言われています。我々のお説教と落語ってすごく近いものなんですよ。今現在、うちの宗派のお坊さんが策伝上人の影響を受けているかどうかは……、僕はそうとう影響を受けていますけどね(笑)。

昔、落語家さんが策伝さんから学ばはったように、今は僕が落語から学ばせてもらっています。大阪の『天満天神繁昌亭』などに出かけては面白い小噺を逆輸入して、アレンジしたものをお説教の場でやってみたら笑うてくれはるので、どんどん使っていきたいと思っています。

お坊さんに大変身! が快感だった少年時代

芸能の街の名残、うなぎの『かねよ』さんの寄席

僕は小学校5年生のときに得度をしたんですけど、その頃から衣を着て町を歩くのが好きやったんです。さっきまでランドセル背負って友達と遊んでたのに、衣を着て道を歩いたらまったく違う自分になれて。

今でも覚えているのは、冬の寒行で夕方の寺町通りを托鉢して歩いていたら、ものすごい人がみんなブワーッて見はりますやん? そんななかを、手を合わせてスーッと歩いていきますでしょ。「見てる、見てる!」いう感じで(笑)。友達がすれ違ってもわからないんですよね。まぁ、ある種の変身願望があったことは確かですね。

小学校の学芸会もすごい好きでした。小学校の5?6年生になって、他の人が学芸会とかしらけてきはる中でも、ひとりだけ「やります!」って主役して燃えてたんです。見られるのが好きやったんかもしれませんね(笑)。それが、大学に入ったときに開花して、演劇を始めることになったんです。

最初は、時代劇に出られるような俳優になろうかと、太秦にある東映の俳優養成所入ったんですけど、大学で演劇サークル『劇団紫』に出会って、つかこうへい、野田秀樹、鴻上尚史の存在を知ったらもうハマッてね。養成所のほうはやめて、小劇場の世界にまっしぐらですわ。

『劇団紫』では、自分らで台本を読み解いて解釈して、大道具、小道具、衣装から全部みんなで共同作業をして一つのものを作り上げていきました。それが面白くて、惹かれてしまったんやと思います。僕自身、俳優も演出もしましたし、脚本も書いていましたよ。

サリン事件に問われた”お坊さん”の立場

大学卒業後は、百萬遍知恩寺に就職させてもらって、自分の劇団『小島エイユウプロデュース』を立ち上げました。劇団だけで続けた人は、やっぱり東京行って活躍してはりますけど、僕は「アルバイトしながら劇団だけやろう」というレベルじゃなかったんです。

僕もお坊さんやなかったら、完全に劇団の世界にぼーんと行ってたはずなんですけど、どうしてもそう行けなかったんです。就職するかどうか、結婚するかどうか、いろいろな分岐点がありました。演劇だけを選んでやっていった人はどんどん上のレベルに行かはったけど、僕は就職をして、20代後半で結婚をして、普通のまっとうな道に進むなかで失速してしまったんですね。

そんななかで、オウム真理教の地下鉄サリン事件があって、ものすごい打撃を受けました。阪神大震災もあって「人を救うためには、芝居やってる場合ちゃうやん。もっと普通に人を救うことができるやん」ということになってきて。

演劇人のなかには「いやいや、芝居で人は救えるよ」と言う人もいました。でも、僕は麻原彰晃があんなことをして、同じ宗教家としてどうしていいのかわからないときに筆を持てなかった。結局は、劇作家ではなく宗教家という立場を選んでしまったんです。

法話演劇で脚光を浴びる

中川学さん作の看板から、小島さんがこんにちは

オウム事件の前年、1994年の平安建都1200年記念事業『芸術祭典・京』では、演劇部門の参加作品として『映る街 改訂版』を木屋町の元立誠小学校で公演もしましたし、”法話演劇”という新しい分野にも挑戦して軌道に乗り始めていました。

お寺には襖や畳があって、ライトを仕込むだけで舞台になるし、襖を開けたら役者が出てくるってもう完璧やん! とか言うて(笑)。話を聴くだけやなくて、生の役者が動いたら面白いですしね。仏さんの教えが面白くわかるよーとやっていたら、マスコミからもぱぁっと脚光を浴びましたしあの頃は絶好調でしたね。

法話演劇時代の代表作は『幻のお爺さん』というんです。夏の昼下がりにそうめんを食べていたら、亡くなったおじいちゃんが帰ってきて「うわっ、おじいちゃんどうしたのー!?」って言いながら普通に話が続いていくんです。おじいちゃんが「しっかり念仏称えとけよー」ってお坊さんに聞いたような話をして、「わかりました、称えますから早く往生してください!」って(笑)。

この作品がヒット作になって、奈良や兵庫のお寺にも巡業しました。「この勢いで東京も行こうか」なんて気楽なことも言うてたんです。お父さんが元気でお寺をしてくれたはりましたから、お寺の仕事をかたわらにして。お彼岸の忙しいときにも「ちょっと来てくれる?」って言われたら「予定空いてます!」なんて言って行ったりね(笑)。

事実上のラスト公演は、知恩院の和順会館という大舞台でした。いい感じで上に登ってきて「いよいよ知恩院まで来たか!」みたいな。でも、結婚して子どももできていましたし、どんどんまともな思考回路になりますやん。結婚と子育ては現実そのものやから、夢見ることができなくなっていって。それでも無理してやっていたけど、作品レベルが落ちてるかなあと思い始めていました。

そんなときに、思い切り風邪を引いて体力的にも限界が来てしまって。とりあえず一回活動休止するわ、と言ったのが1997年のことでした。ちょうど、この年の8月に誓願寺に勤め始めて、知恩院での公演が12月で大きな節目の年になりました。

紫色の阿弥陀さまの前でクラブイベント

劇団を辞めた後は、誓願寺でいろんなイベントをやりましたよ。なかでも、面白かったのは『タブーナイト』というクラブイベントでね。これは、もともと瑞泉寺の中川学さんが、木屋町を騒然とさせたクラブイベントを「今度はここでやろう」って持ってきた話やったんです。実は、中川学さんと僕は小・中学校と大学の同級生なんですよ。

おじいちゃんやおばあちゃんは、自分の命がなくなるとわかってからお寺に来るけれども、自分の寿命とか考える前からお寺に来てもらって手を合わせてもらうことが大事やと、芸道ゆかりのお寺やからと拡大解釈してクラブイベントしてみたら、若者がボーンとたくさん来ましたやん(笑)。

クラブイベントをっていうのは、どこのお寺でもできることじゃないかもしれませんわ。でも、誓願寺は鉄筋コンクリートの本堂で、畳めくったらフローリングになるから靴のまま上がってもらえます。めくった畳を10枚くらい重ねたらDJブースになるし、完璧やんこれって(笑)。何もかもがクラブイベントに対応できる本堂だったんですよ。

紫色にライトアップした阿弥陀さまの前で、仏縁のない若者たちが山ほど来てめちゃくちゃ踊りまくってました。「ありがとうございます。僕が死ぬときはこんなお葬式してくださいよ!」って帰って行ってね。「ええこと言うた、それでええねんや。お経ナムナム言わんでも、こんなお葬式でええねんやぁ」みたいな感じでね(笑)。僕たちはそういう若者の意見を聞くと、涙が出るほどうれしかったんです。

ただ、さすがにやりすぎて、宗派からストップをかけられましてねぇ。伝説になってしまいました。まぁ、これはもうほんまにタブーでいいと思いますわ(笑)。

若い人にお寺に来てほしい

ご本尊の前にDJブース(DJは僧侶ではないそうです)

そもそも、僕がお寺で法話演劇をやり始めた理由は、若い人にお寺に来てほしいからなんです。何とかきっかけを作って、若い人に手を合わせてもらうということが僕のテーマなんですよ。

僕は、桂よね吉さんの話を聴いて落語に興味を持ちました。よね吉さんの仕入れて来る小噺は若々しくて僕らにも身近やったし、お客さんはみんな若い女性ばっかりで、「これやん!」って思ったんですね。今の若い人たちは、僕らのことをすごい雲の上の人に見たはって、イベントのときに「何か質問ありますか?」って聞いたら「お坊さんはお酒飲んでもいいんですか?」「お肉食べてもいいんですか?」とか、そんなレベルなんですよ。

いやいやそうじゃなくてというところで、若い人と会話をする場はまだまだ欲しいですね。また、僕らのほうでも若者に対する偏見ってあったんかなぁと思います。若者は僕らが想像するよりずっと真面目ですわ。本堂に入った瞬間、何も言わなくても正座して、手を合わせてお賽銭入れたりするしね。浄土宗では、在家の方との対話がものすごい大事ですから、もっとできていたらうちの宗派もわーっといくはずなんですけどね。

 

PTA会長が小学校でクラブイベント!? の理由

誓願寺のご本尊・阿弥陀如来像は、寄席やクラブイベントをごらんになっているせいか懐深いお顔に見える

僕は、どこにいても何もしていないということはまずないですね。20代は演劇に夢中で、30代は誓願寺でのイベント、40代の今は小学校のPTA会長をしているんです。僕は演劇をしていたし、お坊さんだから話はできるでしょう。入学式や卒業式の祝辞でも笑いのとれる挨拶を考えて話したら、600人くらいの人がどぉっと笑ってくれて「ええやん、これ!」って(笑)。

そしたら、なかなか辞めさせてもらえなくてね。でも、ついこないだ小学校の創立記念にクラブイベントをさせてもらったんです。子ども向けに音量は抑えていますけど、DJを入れてノリノリの曲にしあげていってね、効果音もピュンピュン入れて(笑)。子どもたちもわぁーって踊りまくっていましたよ。

ただ、踊るだけじゃあかんから、ちょっと芝居仕立てにして挨拶の大切さを伝えるというテーマで演出をしました。僕がひとりでやるんじゃなくて、PTAのみなさんを4年越しで巻き込んでいって一緒にやったんです。今は、プロデューサーとしての力をPTA会長として発揮してるんですね(笑)。

西山深草派の教えでは、すでに阿弥陀さまのお慈悲に包まれていることを感じながら感謝の気持ちで手を合わせてお念仏をしましょう、一回でもいいから阿弥陀さまにありがとうの気持ちを表しましょうというんですね。また、お釈迦さまの教えを取り入れていますから、人のためになるようなことをして働きなさいとも教えます。

感謝のお念仏に包まれながら、人のために尽くすという教えをいただいていたら、PTA会長もやりますよーとなるんですね。人生の節目節目では、阿弥陀さまが導いてくださるときがあるんです。PTA会長を引き受けるかどうかというときも、どうしようかなぁと思って阿弥陀さまの前に座って尋ねていました。そういうときは、涙が出そうになったりしてねぇ。

阿弥陀さまは、僕らみんなが死んだら行く極楽浄土にいたはって、そこからすでに私たちを「いつでも助けたるさかいなぁ」と思ってくれたはる。「そやから、しっかりやりやぁ」と言われてるんやなと思うと、しっかりやるしかないしね。阿弥陀さまってね、あの仏像とか、ここの仏さんではなくて、自分自身をなんとなく包み込んで導いてくださる大きな存在なんです。

策伝上人の再来を目指して

今年、僕は宝蔵寺の20世住職に就任したけど晋山式はまだなので、2011年の法然上人800回忌に合わせてしたいと思ってます。ものすごい”お練り”をやりたいんですよ。新京極通り、蛸薬師通りを歩いてね、”出雲の阿国”の念仏踊りを復活させて先頭で踊ってもらいたいんです。もちろん、桂よね吉さんの落語会なんかもしてね、まだ何もかもが構想段階ですけどね(笑)。

PTA会長を終わりにして、こちらに拠点を移したらまた誰かと出会いがあって、新たな幕が開くのかなと思います。そしたら、ほんまに布教師としてちゃんと話ができるようになりたいんです。今まではごまかしごまかし、演劇やイベントをしてきましたけども、やっぱりお話がちゃんとできないといけないなと。落語家さんが30分、40分のお話を全部暗記してしゃべるように、原稿も全部覚えてひとつの芸として説教を演じられたらいいなというのが、僕の永遠の課題なんですね。

面白いところは今までだいぶ勉強してきたので、そろそろ一番大筋のところに柱を通していかないとあかんなと思っています。仏説を紐解いて、たとえ話をして因縁話を一段語るという本来の説教スタイルが滅びてきてしまって、ただ単にしゃべるだけになると学校の先生の授業になっちゃいますよね。

策伝上人やないですけど、伝説のお説教の復活ですわ。桂よね吉さんの落語に僕が衝撃を受けたように、現代の若者にガンとくるようなお説教をやりたいですやん(笑)。よね吉さんにもよく言われるんです。「小島さんは説教、僕は落語でコンビ組んで一緒にやりましょう」って。そんなんできたら、僕これで生きていけるんちゃう? みたいな(笑)。これから40代の課題は「小島さんの説教が聴きたい」って言われるようなお坊さんになることなんです。

 

坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。
jジョン・レノン、ビートルズ

2)好きな映画があれば教えてください。
「ドラゴンへの道」別れを告げ去っていく、ブルース・リー。
勇気を持って歩き続ける後ろ姿が堪りません。

3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
「寺山修司演劇論集」
「台詞の風景」別役実

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
プロ野球

5)好きな料理・食べ物はなんですか?
中華料理、お寿司

6)趣味・特技があれば教えてください。
落語会に行くこと

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
パソコン、算数

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
イタリアなどのヨーロッパ旅行

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
雪舟のような水墨画家

10)尊敬している人がいれば教えてください。
野田秀樹さん、唐十郎さん、桂吉朝さん

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
演劇部

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
ロッテリアでの調理・清掃、百貨店での器具運搬

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
「餃子の王将」に行くこと

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
溜め撮りした映画やドラマをソファーに座って見る

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
お寺の掃除と模様替え

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
人生、趣味に生きる

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
テレビのプロデューサー

18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください
出された食事は全部食べますか?

19)前のお坊さんからの質問です。「お坊さんになって良かったことは?」
人との出会いがたくさんあること。

プロフィール

小島英裕さん/こじま えいゆう
1967年3月26日、京都の裏寺町・宝蔵寺に生まれ育つ。1989年、佛教大学・佛教学科卒業と同時に劇団『小島エイユウプロデュース』を旗揚げ。作・演出を手がける。1994年、平安建都1200年記念事業『芸術祭典 京』演劇部門参加作品として、『映る街 改訂版』を元・立誠小学校にて公演。また、お寺を取り巻く日常や人間関係を題材にした”法話演劇”を多数の寺院で公演する。1997年12月、『檀信徒の皆様へ』を知恩院・和順会館で公演した後、劇団の活動を中止。同年8月より誓願寺に勤務。クラブイベント『タブーナイト』、女の子が満月を見ながら楽しむイベント『十三夜』、ファッションショー、演劇、映画など多数のイベントの企画、運営に携わる。2009年、宝蔵寺第20世住職に就任。

誓願寺
浄土宗西山深草派 総本山 誓願寺。667年、天智天皇の勅願により奈良に創建。法然上人が法相宗の蔵俊僧都から当寺を譲られた後、浄土宗になり現在は浄土宗西山深草派の総本山として約280ヶ寺の末寺を持つ。鎌倉初期に奈良より一条小川に移転し、その後豊臣秀吉の寺町整備の際に現在地へ移される。清少納言、和泉式部、秀吉側室・松の丸殿が帰依したことから女人往生の寺としても名高い。また、第55世法主・安楽庵策伝上人(1554?1642)は、教訓的でオチのある笑い話を千あまり集めた『醒睡笑』を著し、落語のネタ本ともなったことから落語の祖と称されるとともに、誓願寺も落語発祥の地とも言われている。

京都市中京区新京極桜之町453
TEL:075-221-0958 FAX:075-221-2019
開門時間:午前9時?午後5時(境内自由、無休)
http://www.fukakusa.or.jp/

阪急 河原町駅/地下鉄 市役所前駅より徒歩5分
京阪 三条駅より徒歩10分

杉本 恭子

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。