「BONZE CLUB〜つきいちボンサンと語ろう会」「京都三条BONZE CAFE」など、人々との出逢いを求めて活動してきた杉若恵亮さんは、お坊さん界のみならず京都の街なかでも有名なお坊さんだ。宗派も関係なく多くのお坊さんとのおつきあいも深く、新たなお寺の在り方を考えるお坊さんたちのモデルケースにもなっているほど。今回のインタビューでは、杉若さんがお坊さんになるまでのお話から、「BONZE CLUB」20年間の歩み、そして杉若さんが考える「お坊さんの存在理由」まで、じっくりお話を伺ってまいりました。
僕は他の家の子とは違うねんな
僕の師匠である父(以下、師匠)は生まれは普通の家ですが、6歳のときに臨済宗の禅寺に入れられたんです。臨済宗のお坊さんやったんやけど日蓮宗の勉強もしたはって、日蓮宗のお坊さんだった僕のおじいちゃんに出会ったことから改宗して、母と一緒になり僕が生まれてきた、というわけです。
(写真:杉若さんがご住職を務められる法華寺の山門)
師匠は学校の先生もしていたから、最初にお坊さんとして感じていたのはおじいちゃんでしたね。そのおじいちゃんが、小学校1、2年生のときに子供用のお袈裟を作ってくれたのがうれしくてはしゃいだのを覚えています。でも同時に「僕は他の家の子とはちゃうねんな」とも思いましたね。
小僧の修行は、小学校4年生から始まりました。夏休みってみんな臨海学校とか行くでしょ? でも、僕はそんなん参加したことないね。終業式の次の日に小僧の開会式やから。5年生のときに得度しました。
僕は子どもでも坊さんのことちゃんとできてるつもりの生意気小僧だったから、他の修行仲間がじれったかったなぁ。どの鐘、どの鈴が鳴ったら合掌、叉手とか、決まってるわけだけども、何べん言われてにできない子を見ると「お前らいいかげん覚えろや」みたいな。6年生の頃には怒り役みたいになっていました。当時の後輩らは、今だに「杉若さん怖かった」って言われます(笑)。
晩ごはんは「涙の茶漬け」の日々
小僧の修行は厳しかったけど、師匠のほうがずっと怖かったですね。しかも禅宗の影響もあって、叱り方が精神論なんですよ。たとえば、窓ガラスを割っても怒られないけど、表札が歪んでいたら怒られる。なぜかと言うと、窓ガラスを割ると悪いことをしたと自ら反省するけど、表札が歪んでいるのに気づかないのは気の弛みで内なる罪やからなんです。いったん怒り始めると、もうわが子に対するものではないほど厳しい怒り方でした。
毎晩、師匠が帰ってくる頃になると、母と姉と三人でテレビを消してじっと耳をすませていました。玄関の草履はきちんと揃っているか、自転車はゆがんでないかとチェックして、車の音がしたら「帰ってきはった!」とみんなで迎えに出るわけです。それでも食卓でお説教が始まって必ず怒られるんですわ。怒られていると涙がボロボロ出てきて、「さあごはん食べなさい」って言われたときには、ごはんが涙の茶漬けになっているんですよ。父親やと思ったら腹が立つけど、師匠やと思ったらあきらめもつく。そう思って耐えていました。
師匠が厳しく戒めようとした罪深さが何であったのか、わかるようになったのはずいぶん後のことでした。盗みをしたら世の中の法で罰せられるけど、心の中で人を罵っていることは人にわからないけど罪深い。その心の罪を問われていたわけです。師匠はまだ健在ですから、いまだに前に出るとピリッとしますね(笑)。
「なんで葬式しますのん?」とよく質問してた
小学校4年生から小僧の修行に出て純粋培養されてきたでしょう。「お釈迦さんてすごい人やったんやなぁ!」と思ったり、師匠から話を聞いて「日蓮上人ってすごいなぁ!」みたいな(笑)。でも、うちの師匠は別として、先輩や大人のお坊さんを見ていたら、お釈迦さんの教えどおりの和尚なんかいないんです(笑)。
(写真:交流の広い杉若さんだけに、イラストにお知り合いのお坊さんを描かれることも多い)
だから、昔はいろんなお坊さんに「坊さんはなんで葬式しますのん?」って聞いてまわっていました。「そのうちわかる」とか言う人もいたけども、「葬式は大事なセレモニーなんや。生に関わっている仕事だからこそ、死も見届けてあげるんや。それが次の生に関わってるからや」と言う人がいて、なるほどと思いました。「でも、生に関わっていないお坊さんが多いですやん」と言うと「じゃあ君が生に関わるお坊さんになったらどうや」と言われたことが、今後の活動に生きています。
高校や大学ではお坊さんの学校は選ばずに普通の学校へ行きました。周りがお坊さんばかりになるのも怖かったし、一般の社会に出て行くいろんな人の中で、自分を磨きたいという思いもあったのかなと思います。デザインが好きだったので、大学を卒業してから2年間デザイン専門学校に行きました。今も、イラストは描き続けていて、いずれお坊さんのイラスト集を出そうと思っています。
本当に厳しい修行は「娑婆」のほう
デザイン専門学校を出た後に、35日間の修行に入りました。日蓮宗には世界三大荒行のひとつ「日蓮宗大荒行」もあることから、修行が厳しいイメージがありますが、厳しさでは天台宗の四種三昧がダントツやと思いますよ。
僕らの修行では、朝3時から夜11時まで一日中ひたすら水をかぶってお経を読む「大荒行」まではいきませんが、寒いときに桶でくんだ水をかぶる水行はあります。でもね、体の痛みや冷たさは別にどうってことないんです。修行場にいると、殺人事件も放火事件も、野球がどうなったかもわからない。食べたいものがあっても、望んでもしかたないから望まなくなるし、心が乱されることがないわけ。朝起きて水かぶって、御堂に上がってお経拝んで、またお経拝んで、水かぶってってしてると、痛いとか冷たいとかは全然オッケーになって、心が浄化していくのが心地ようなってくるんです。「これはええわぁ、このままずっと山におろう」と思ってたもん(笑)。
でも、どの修行も「もう帰りたくないな」と思った頃に帰らせるんやね。お釈迦さんも言うてはる通り、清いところで修行するのは誰にでもできることで、ほんまの修行場は娑婆のほうやから。仏教のみならず、宗教の目標はこの地球上に居合わす命あるもんがどういう風につながって、この環境のなかで円滑に暮らしていくかっていうことでしょう。僕らはその「つながり」のパイプになったりするために、娑婆に飛び込んでいくわけやから山から降りなあかんわけです。
町なかでお坊さんと話をする「BONZE CLUB」
26歳のときに修行が終わって、いよいよ自分で布教しようと思ったときに「町なかに出て行って、喫茶店でも借り切ってお坊さんと一般の人のコミュニケーションの場を作ろう」と、宗派の青年会を通して提案したんです。僕らはまだまだひよっこだしお寺で待っているほど偉くない。膝付き合わせてしゃべる空間を作ろうと言ったら、青年会の偉い先輩方に「お坊さんはそんなことしなくてもお寺で待ってたらいいんや」と蹴られてね。「勝手にやれ、お前は!」「やりますわ!」って喧嘩してね。僕もまだ若かったから、えらい勢いやったわ(笑)。それで「BONZE CLUB」を始めたわけ。今はもう、その先輩らも認めざるを得ないよね。よく続いてるなあ、みたいな。
僕は普通の高校・大学へ行ったから、苦しい思いのなかで自分と闘って悩んでいる人は、なかなかお寺に相談に行こうと思えないと知っているし、「お寺で待ってたらええ」という視点にはなれなかったんです。こっちから「どうやー?」と声をかけるアクションをしなくてはと思っていました。
でも、最初の3年は風前のともしびで(笑)。多いときで10人、少ないときはマンツーマン状態ということもあったんですよ。でも、3年目に「なんか面白いことやってますね」と京都新聞の取材を受けたら、記事が出た後の「BONZE CLUB」に人がいっぱい来てるわけ。僕らはそんなこと予想してなかったから「何かあるんですか」って聞いてみたら、「ここでお坊さんがいろいろしゃべってくれはるらしいですわ」って(笑)。
これ以降は、京都新聞を見た他の新聞や雑誌社が取材に来たりして、若い大学生からおじいちゃん、おばあちゃんまで、全国から来るようになりました。そしたら「杉若さんに会いたい」「杉若さんの話を聞きたい」という人も来るようになって、僕もちょっと錯覚してきて調子に乗るじゃないですか(笑)。
お坊さんは見かけによらずスゴかった
それで5年目に、神戸・大阪・京都で、お坊さんと一般の人の大交流会をしようということで「ミッション・ライブツアー」を開催したんです。50人の和尚にステージに上がってもらって、会場から集めた「お坊さんへの質問」にそれぞれ答えてもらおうと考えました。
当時はまだ、坊主畑をまっすぐ歩いてきた小僧の生意気さがあって「坊主は何もしとらへん」と文句言うてた時代で(笑)。でも「BONZE CLUB」のスタンスは「話せばわかる」でしょう。この機会に、気に入らんと思う和尚に敢えて自分から話しかけに行ってアプローチしたわけです。
そしたらね、意外といろんなことをしてはったり、すごい人やなと思う人に出会うんやね。「人は見かけによらんもんやな」とビックリして(笑)。それぞれの和尚のモチベーションというのは、自分のお寺を何とかしようという人もおるし、檀家さんとの親睦を深めて交流していこうという人もいますよね。表に出ないだけで、ほんまにすごいことをやったはるお坊さんがいるんですよ。
結局50人は無理でしたが、いろんなお坊さんにステージに上がってもらいました。当日は、テレビ、新聞、雑誌と全メディアの取材が入りましたが、会場はいっぱいにならなくてこけまくり(笑)。でも、取材の効果でその後の「BONZE CLUB」に来る人が大幅に増えて大変なことになりました。
この頃から「何か違うな」という気がしてきたんですね。もともと「BONZE CLUB」は、「言いたい放題の語り場、俺らも勉強したい、お互いに交流しましょう」というスタンスなので、人が来るのはいいことやけど人を集めるためにやっているわけじゃない。それで、DMの送付先を整理したりして何回もリセットしました。お互いに話をすることを考えれば、15人前後が集まるかたちが面白いと思うので、今もそのくらいの人数で集まるようにキープしています。
結果的に「蓮の教え」を実践することに
日蓮宗の布教姿勢は世直しに連鎖してくるんやね。「キレイな場所でキレイな花を咲かせよう」じゃなくて、「泥の中でキレイな花咲かせましょう」という蓮の教えです。「不染世間法 如蓮華在水(世間の法に染まらざること蓮華の水に在るが如し)」と言いますね。世の中を直すことは難しいけれども、自分の中の蓮の種に気づくことによって、乱れていく世の中のなかでも乱れずにおれるということです。さらに、乱れずにおれるようになったら、次は乱されかけている人に「乱されたらあかんよ」と声をかけなあかんという使命があるんですね。
これは参加者のみなさんのおかげも大きいのですが、「BONZE CLUB」を20年間続けることで、いろんな人と出会うことができました。死刑制度反対活動や、絶滅の危機に瀕している動物を救う「All Spiecies Day」に関わっている人から「協力してくれませんか?」と言われて参加したりとかね。でも、今はフィリピンで戦死した人のご遺骨を日本へ持ち帰る「空援隊」という活動に力を入れています。
初めは「出逢い、語り合い」をテーマに「BONZE CLUB」を始めたけれど、結果的に世直し的な部分にも関わっていくようになって、宗派の教えにも合致してきてるはずなんやけど、なぜかうちの日蓮宗からは評価されないという(笑)。結局みんな宗派のために何ができるかみたいな考え方をするんやね。
「BONZE CLUB」にはいろんな人が来るので、今はもう僕が楽しませてもらっています。やめたくなったこと? 全然ないです。それはやっぱり、僕のなかでは必然なんやね。「坊さんなんでやってるんですか?」って質問をされたら、僕の答えは「坊さんのいらん世の中になるため」なんやね。坊さんの存在理由、宗教の存在理由は、それがいらない社会になることが理想でしょう。どうもまだ必要みたいやけどね(笑)。
■坊主めくりアンケート
1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。
R&B
日本のアーティストでは、サザンオールスターズ(僕が高三のときにデビューしてからずっと見てきたので、桑田と育ってきた、みたいな)。海外はいっぱいいるけども、あえて言うとマーヴィン・ゲイ。テンプテーションズのマイガールとか古い音楽は大好き。Motownにはずいぶんお世話になりました。
2)好きな映画があれば教えてください。
ラジオ番組で映画コーナーを担当するほど映画好き。一つあげるなら「卒業」。
この映画はいろんなジャンルにおける教科書・バイブルです。俳優では、スティーブ・マックイーンが大好き。
3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
「友情」武者小路実篤
和田誠「ピープル」(画集)中学生のときに感激して買った。シンプルなラインでどこまで描けるかというきっかけを作ってもらった。
4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
テニス、野球。バレーボール以外はなんでもやる。かなりスポーツマン。
5)好きな料理・食べ物はなんですか?
麺類。京都で一番好きなラーメンをあえて一つ選ぶなら「新進亭」の白味噌ラーメン。
6)趣味・特技があれば教えてください。
バイク。ツーリング。
7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
おべんちゃらを言うこと。
盛り上がってるところに入って溶け込むこと。(いつもテンションが高い人だと思われているので、遅刻してもすぐ追いつくことを期待されるのがしんどい)
8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
アルメニア。キリスト教の発祥地らしいんだけど、世界一の美人国らしい(笑)。
美しいものを見るということは、基本ですから。アルメニアは西洋と東洋のいいパーツがミックスされてるから、両方から好まれる骨格になってて。だって、アルメニアがなんでうちの国には美人が多いかっていうことを研究してるんやで!!
9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
あと身長が20センチ高かったら絶対プロ野球選手になってたと思う(ファースト)。打つのもすごいですよ! お笑い芸人、俳優、、学校の先生、漫画家を目指したことも。(師匠が学校の先生してたし、別な職業も持たないとあかんかなと思ってたから)
10)尊敬している人がいれば教えてください。
両親
11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
テニス。フリーガイドクラブ(観光地に行って外国人を案内するクラブ)。
実質は演劇部で、一年間ほとんど学園祭のための練習をしていた。シェイクスピア「ベニスの商人」のアントーニオを演じたり、演出も担当した。
12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
コーヒー専門店、家庭教師
13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
恋かなあ? 人は常に恋せなあかんよ。大事なことでしょ。
すべてにおいて恋は大事ちゃうかなぁ、
14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
基本的にはなし。休みがあれば間違いなくバイクで走っている。
15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
やっぱりインドかな。NPO活動に力入れたいよね。
問題を抱えている村を訪ねて、どうされましたか? と聞いてまわったり、カタロワ村というところに井戸を掘るプロジェクトをやろうとしているので。
16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
「いろいろ思わない」(杉若)
「我を非として当う者は我が師なり」(荀子)
吉川英治の「宮本武蔵」を読んで知り、高校の生徒手帳にはいつも書いていた。
17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
前世は悪いやつやったと思うね。極悪非道で。だからお坊さんになってやり直して来いって送り込まれてきたんちゃうかな。来世はやっぱり人間かな。作り手、クリエイター。
18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください
怒られそうやけど「何で坊さんしてますのん?」ということ。
プロフィール
杉若恵亮さん/すぎわか えりょう
http://bonzeclub.net
1959年12月24日生。1970年出家得度。1986年最終修行終了。1986年4月に晋山、京都府亀岡市の日蓮宗 法華寺第三十五世住職に。1988年2月より「つきいちボンサンと語ろう会?ボンズクラブ」を毎月開催。京都三条ラジオカフェ(コミュニティFM 79.7)では、毎週火曜日に法然院貫主 梶田真章さんとともに「京都三条ボンズカフェ」に出演するほか、テレビ・ラジオでも活躍中。2007年より、フィリピンに残されている日本兵の遺骨を持ち帰るNPO法人「空援隊」の理事も務める。京都外国語大学英米語学科卒業。龍谷大学聴講1年、その後デザイン専門学校にてグラフィックデザイン2年専攻。
長栄山 法華寺
寛正5年(1464)開創。日蓮宗身延派本圀寺末寺。亀岡城主小早川秀秋の保護を受けて現在地に移された。昭和20?30年代、戦後事情により一時は荒れ寺となっていたものを、杉若さんの父である第三十四世住職が再建。亀岡の旧城下町、本町通から一歩入ると50メートルほどの路地に法華宗本門寺、浄土宗寿仙院、日蓮宗法華寺と3つの寺院が並ぶ。山門脇には本町妙見堂(元妙見)が鎮座する。
京都府亀岡市本町67
Tel/Fax: 0771-22-1292