町に生き、子らと遊ぶ。現代の「良寛さん」/川口 良仁さん

大阪市平野区の全興寺は、ちょっと変わったお寺です。「小さな駄菓子屋さん博物館」「おばあちゃんの部屋」の展示室や、怖いお顔の閻魔さんがいる「地獄堂」など、大阪らしい「オモロさ」が感じられる境内はまさにワンダーランド。このお寺を守る住職・川口良仁さんは、いったいどんなお方なのでしょうか。第一回目は、大阪らしい「おもろさ満点」の境内案内、僧侶になられた経緯、そして川口さんのライフワークである「町づくり」との出会いについてのお話をご紹介します。

遊園地型境内!?「地獄行き判定」に思わずタジタジ!

「お寺を開く」ということは、お寺のなかにある「非日常的な世界」とお寺の外の世界の「日常」が交流できる通路をいかにたくさん持てるかということやと思うんですね。うちは難しい教えを説くというよりは体験主義で、遊び感覚のなかから何かをつかんでもらえるようにと考えています。境内には、地獄、極楽、涅槃を感じてもらえる場所があるんですよ。「地獄堂」では浄玻璃鏡(じょうはりのかがみ)を模した映像モニターで地獄の風景が見れますし、地下にある「ほとけのくに」では水琴窟の音が響くなか、四国八十八ヶ所のご本尊の石像に囲まれてガラスのチベット曼荼羅の上で瞑想してもらえます。「涅槃堂」では現代アート作家が作ったガラスの涅槃仏のあり、これは仏像に親しみのない人にもパッとわかるということがあるようです。いわば、誰にでも楽しんでもらえる「遊園地型」のお寺なんです。

「ほとけのくに」では、曼荼羅の上で小さい子が踊ってることもありますよ(笑)。でも、茶髪の中学生が出てきて「なぁ、ここめっちゃ落ち着くやろ?」て言うてることもありますし、いろんな人が来てそのときの気持ちで何かを捉えてくれたらええと思っています。地獄堂の「地獄度・極楽度チェック」なんかでも、真剣にやってる人もいますしね(笑)。ただ遊びに来られるだけでもいいんです。今は手を合わせなくても、将来どんなことで心が動くか、救われるかわからないという、淡い期待だけはありますけどね。一度もお寺に行ったことがなければ何も始まりませんから。

非日常的な空間としてのお寺は、開かれてこそ意味があるもので、閉じたままやったらもったいないわけですね。だから、お寺の敷居をなるべく低くして、日常的な世界から非日常的な世界へスッと入れるようにしてるわけです。ただ、宗教的な非日常というのは手離してしまってはいかんと思うんです。お寺のなかで非日常と日常のけじめはきちっとつけておかないとあかんと思います。

 

薬師如来さまと父の「誓い」に導かれて

このお寺は聖徳太子の建立と言われておりまして、1400年ほどの歴史があります。ご存知のように、真言宗は世襲ではなく弟子から弟子へと寺を継いでいくのですが、父はお寺の長い歴史のなかで初めて妻帯をしましたので、私はこのお寺で生まれた初めての子どもでしかも一人息子やったんです。それが、生後20日目くらいに腸カタルで死に掛けるということがありまして。そのとき、父はご本尊の薬師如来さまの薬壷を枕元に置いて「この子の命が助かったら5歳で得度をさせてお坊さんにします」という誓いをして、私も奇跡的に助かったと。まぁ、これは私がずっと聞かされていることなんだけれども(笑)。父の誓いどおり、私は5歳で得度しました。

大学は、浄土真宗の大谷大学でインド大乗論を専門にして他宗派の勉強もさせてもらいました。お大師さまの教えを学ぶには、いきなり真言宗の教えを学ぶよりも、八宗兼学やないけども幅広い知識がいると思いましてね。それから高野山大学の大学院で密教の勉強をした後にこのお寺に入りました。ですから、出家ということについては一本の道で来たと言えるかもしれません。ただ、どなたもそうだと思いますが、修行を終えて実際にお寺の世界に入ると、思い描いていた理想と現実は違っています。
大学時代から考えていたのですが「今の仏教にはどうも社会との関わりが無いのではないか」ということが、ずっと私のテーマになっていますね。お寺は「出世間」という世間から離れたところにあるという位置づけではなく、各地域の人たちが集まってお祭りをしたり、人の出会いがあったり、祈りの場であるというような本来の姿を、現代社会においてもう一度取り戻さないといけないと思います。

 

「町づくり」との出会い

今から約30年前、南海平野線の廃線に伴って66年間に渡って町の人に愛されてきた平野駅舎が壊されることになったんです。これを保存しようという運動が持ち上がりまして、お寺がみなさんの集まる場所になって「平野の町づくりを考える会」が発足しました。それまでも、お寺と社会の関わり方について勉強しながら試行錯誤しておりましたが、なかなか具体的にはならなくて。この運動を通じて町の人たちと話をするなかで「町づくり」という接点が見えてきたんですね。私が33歳のときでした。

町づくりをするとき、お寺を拠点にすると非常に動きやすいんです。たとえば、お商売の人やと「何かメリットがあるからやってるんやないか」などと見られがちですが、お寺は利害関係が無いと思われていて、台風の目みたいに無風地帯になれます。今までの社会運動なんかでも、お寺を拠点にしているケースが多いですが、私もまさしくお寺という衣を借りて町づくりを展開しておるというわけです。町づくりは、私とお寺の動き出すきっかけになりました。

 

 

「おもろい」「いいかげん」「人のふんどし」という三原則

「平野の町づくりを考える会」は、町づくりに関心のある人が集まって、会長、会則、会費がないフラットな組織として運営しています。このお寺は、みなさんの集まる場所の提供と事務局をしているだけで、私も会の代表というわけではありません。「考える会」では誰かが何かをやりたいと言い始めたら、リーダーを立ててプロジェクトを作って動いていきます。つまりは、仏教の基本的な考え方である「縁」によって展開していこうというかたちですね。
(図:中井孝章編/川口良仁・小伊藤亜希子著『街づくりと多世代交流』より。二 遊び空間「おも路地」――まちづくりと多世代交流P38 図2を引用)

行政は、よく「大きな建物や商業施設を建てたら人が集まって町になる」という発想をしますが、私たちは人が集まって町ができているんだから「町づくりは人づくり」やと考えています。人と人のつながりを高めていくことで、励ましあって生きていく地域にすることが「町づくり」やと。町というのは雰囲気であったり、そこに来た人が感じる目に見えないものが大切なんです。目に見えないもので一番大切なのが人とのつながり、つまりは「縁」ですね。

「町づくり」と「密厳浄土」

私にとっての「町づくり」は、基本的に「曼荼羅」という真言宗の考え方にのっとっていると思います。真言宗では、五感で真理を掴み表現していこうとします。また、生きているうちに仏さんの世界である「密厳浄土」を作っていかないと意味がないじゃないかということで、生きているものがお互いに縁を結び合いながら一歩でもそこに近づいていくようにと教えるんですね。
(図:インタビュー中に「町の人たちの縁に溶け込むことで伝える」というお話を伺いながら図に表したもの。どことなく曼荼羅をイメージさせる。)

町の人に対しては「町づくりには曼荼羅の思想が入っている」とは言うてませんが、何となく「宗教的な発想やな」とは感じてはるでしょうね。私は、町の人と生で触れ合うということもひとつの布教のあり方じゃないかと思うんです。人のつながりの中に入って縁に溶け込みながら、その縁を通じて何となくでも伝わるといいのではないかと思います。

英語で「宗教」のことを「religion」と言いますが、「もう一度関係を結びなおす」というのが元の意味らしいんですね。キリスト教において、神の思いから逸脱してしまった人間たちと神との関係をもう一度結びなおそうとするのが教会の役割やとすると、仏教でも同じやと思うんですね。お寺は、人と人、仏さんと人、仏さんと亡くなった人や自然とのつながりなど、いろんな意味で縁を回復するような場所ではないかなと思うんですね。これまでいろんなことを実践しながら考えてきて、今は「多世代交流」を作るという方向に向かいつつあります。

いろんな世代がつながりあう『場』に

第一から第四土日の午後1時から4時まで、境内の「おも路地」で駄菓子屋さんや紙芝居の出る「あそび縁日」を開いています。お母さん、お父さんに連れられた乳幼児から上は70歳代まで、いろんな世代の人がにぎやかに集まってきますね。私も子どもと一緒にベイゴマを回したり、紙芝居屋に扮して街頭紙芝居を演じたりしています。紙芝居を演じるのは、変な話ですがお説教をするよりはるかに緊張します。子どもは正直ですから面白くなかったらどっか行ってしまいますし(笑)。自分の立場を何もかも捨てて、丸裸になって人前に立つっていうのは難しいものです。
(写真:元気いっぱいに子どもが遊ぶ「おも路地」あそび縁日のようす)

子どもたちには「じゅうしょく!じゅうしょく!」て呼ばれています(笑)。親しんで言うてくれてるんやと思いますけど、お袈裟を着てお参りに行く途中に会ったりすると「どうしたん、今日はえらいええかっこして。何してんの?」って言われたりして(笑)。「これがおっちゃんの本体の姿やで」とね。え? 良寛さん? ハハハ(笑)。そうなれば一番いいんですけどね。

今は子どももストレスがたまっている時代でしょう? みんな行き場所がないんですよ。「あそび縁日」には、中学、高校くらいになってもまだ来る子もいて、駄菓子食べたり小さい子を遊んでやったりしてるんですね。考えてみたら、小学校の高学年から中学生にかけて、町の中でコンビニくらいしか行くとこがないですよね。また、高齢者や大人にしても、各世代が集まる場所があっても、世代間が交流する場所がありません。多世代が個人個人としてつきあえる場所を作ることが、私の最終的なテーマかなと考えています。

お寺のあり方としては、子どもにおつとめや写経をさせたり、教えをわかりやすく説くような日曜学校もしたほうがいいのではないかと思うのですが、遊びに来てる子どもたちに「さあ集まって手を合わせて」とは私は言えないんですね。そうやなくて、みんなワーッと集まってきてそのエネルギーのなかで、子供同士で鍛えあっていく場所を提供するほうが大切やと思うし、それもまたお寺がやるべきことやと思うんですね。私はもう手一杯になってしまいましたので、他にそういう場を作るお寺が増えてほしいですね。

昔は、病気や貧困が宗教に向かうきっかけになったんですね。でも今は、豊かな生活のなかで孤独感や行き場所のなさ、存在のむなしさをどう埋めるかという、宗教に向かうまでもいかないエネルギーが違うところへ行ってしまうように思います。ほんまに難しいことですが、子どものときからいろんな世代の人と触れ合いながら人間形成していくという原点に戻って地道に積み重ねていかないと、今の世の中のむなしさは解き放たれへんのやないかなと思います。

 

目的と評価を持たない

「町づくり」の活動については、次の世代に受け継いでほしいとは思いますが現実的には難しいでしょうね。息子はもうお寺に入ってますが、息子には息子の考えや宗教観がありますから。私たちの世代がやってきたことを、引き継いでいくのがいいのか、別な方向に行くのがいいのか、時代によって変わってくることやと思います。それは次の世代の自由にまかせないとあかん。ともすれば、どうしても一つのことに執着してしまうことは、私にももちろんありますから。縁に身を任せられるかどうかは、自身の信仰や教えが問われるところですね。

私はいつも「目的と評価を持たない」という不思議なことを言うてるんです。目的を持ってしまうと幅広く心の受け入れができないし、評価をすると切ってしまうことが出てきます。縁に任せるならば、それが良い結果になるか、悪い結果になるかは予想できないし、予想した上で動くというのは任せることにならないと思うんです。たとえば駅舎の保存はうまくいかなかったけど、それが町づくりにつながったということは、要するに結果やなくてプロセスが大事ということです。自分の心を開いて偏見を無くさないと縁はつかめないですよ。自分の欲望や執着があると、もっと良い縁があっても逃げてしまうんです。オープンな状態でいて、その縁にどれだけ委ねられるかということが大切やと思います。

縁というのは、必ずしも永遠に続くものではありません。最近、私は「やむなし」という言葉が好きなんです。縁があるということは、良い縁も悪い縁も次から次へと来るということです。そうすると立ち止まらないで次から次へと判断していかないとあかん。縁は結ばれることもあれば、離れることもありますし、人生「止む無し」っていうね。終わることもないからずっと続いていくんでしょうし、苦しみもまたずっと続いていくんです。

お坊さんは悩んでないとあかん

宗教的な実践というのは、天台宗の「千日回峰行」のように非日常的な世界に完全に徹することで人を救うということと、日常的な世界に身を置いて非日常的なところに橋渡しをするというのがあると思います。非日常世界に徹して人を救える人は本当にすごいと思います。でも、私みたいに非日常的な世界に徹することができない人間は、日常性と非日常性を行ったり来たりしながら、その橋渡しをできればええかなと思っています。日常生活のなかで仏の実践をするというのがお大師さんの教えなんです。

非日常性は体験していなかったらだめやけど、行ったきりになってもあかんのです。山に入って世間から隔絶すると、修行に集中できますし本人は幸せなんですよ。でも、解脱に憧れるあまり、仏教で一番戒められている慈悲の心を絶って、日常生活に戻れなくなる恐れがあります。お釈迦さまが、悟りを開いてから逡巡しはったというのはそこやと思うんです。そやけど、苦しんでいる人は教えを欲しているから伝えなあかんという慈悲の心が仏教の始まりですからね。

お坊さんはね、日常生活のなかで修行せなあかんのです。雑音のなかで修行するほうがよっぽどむずかしいですよ。お坊さん自身が、悩んでなかったら布教は成り立ちません。社会との触れあいのなかで、自分にわからないこと、苦しいこと、どうしたらええかわからないことを、人に教えてもらったり感じながら進んでいかないとあかんし、その縁によって自分も変わっていかないとあかん。難しいのはね、時代によって変わっていかなあかんけど、流されていくのはだめなんですよ。宗教的なものを持っているか持っていないかというのは、自分を写す鏡を持っているかどうか、自分の立場や持っている場所をナビゲートできるものを自分に持っているかどうかやと思います。

 

■坊主めくりアンケート


1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。
ノイズテクノ

2)好きな映画があれば教えてください。
「ブレードランナー」(好きなシーン:SF未来都市の風景)

3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
高橋和己作品

4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
特にありません

5)好きな料理・食べ物はなんですか?
精進料理

6)趣味・特技があれば教えてください。
玩具蒐集、笙の演奏

7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
飲み会

8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
チベット

9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
仏教学者

10)尊敬している人がいれば教えてください。
空海上人

11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
書道部(大学時代)

12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
ありません

13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
ありません

14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
不定期にあります。読書、音楽鑑賞をする。

15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
旅行

16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
「のぞみ」はないが「ひかり」はある

17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
前世のことは分かりません。次(来世になりたいの)はデザイナー。

18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください
回答なし


 

プロフィール

川口良仁さん/かわぐち りょうにん

1947年、大阪市平野区全興寺に生まれる。大谷大学文学部でインド大乗仏教を修めた後、高野山大学大学院修士課程修了。1980年、南海平野線廃線に伴う駅舎保存運動をきっかけに「平野の町づくりを考える会」を結成、以後事務局を担当。1991年に晋山、全興寺住職に。『おも路地』などの活動を通じ、地域の子供に「じゅうしょく」のあだ名で愛されている。

全興寺

真言宗高野山派 野中山 全興寺。約1400年の歴史ある古刹。聖徳太子の作と伝えられるご本尊の薬師如来像を安置した薬師堂を中心に町が作られたことから、「平野」発祥の地とも言われている。1615年、大阪夏の陣で本堂の一部を消失。1661年に再建された。境内には『薬師堂』『一願不動尊』など古くからの参拝所のほか、『地獄堂』『ほとけのくに』『涅槃堂』など現代的なアイディアで仏教の教えを表現したユニークな施設や、『駄菓子屋さん博物館』『おばあちゃんの部屋』などの遊びごころあふれる展示館もあり、境内は子供から大人まで自然に仏の世界に触れられる「ワンダーランド」になっている。

大阪府大阪市平野区平野本町4-12-21
拝観時間:6:00AM?17:00PM
拝観料:なし
http://www.senkouji.net/
JR大和路線 平野駅南口から徒歩12分
大阪地下鉄谷町線 平野駅4番出口から徒歩12分

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。