令和元年8月29日、わたしは『精進料理考』(春秋社)という書籍を上梓した。これは、これまでのわたしの精進料理(仏教と食)に関する研究成果をまとめたもので、WEB春秋での全連載分と中国新聞での連載の一部、そして大幅な書き下ろしを含めたものとなっている。
原稿を書き上げてしばらくし、本の体裁を成して自分の手元に見本が届いた。時間がある程度経過したこともあって、ある程度客観的に自分の書いたものを見つめることできるようになって気づいたのだが、まさしくこの本は自分自身が読みたいと思っていた内容であった。
その中身についておおまかに言うと、日本曹洞宗の開祖・道元禅師の記した料理を作る際の心構え『典座教訓』と、料理を食べる際の心構え『赴粥飯法』といった基本文献の解説、禅の食事作法と部派仏教の戒律の関係、インド・中国・日本の作法の違い、そして、仏教の文脈でよく耳にする「醍醐味」や「般若湯」の正体等、仏教と食に関する幅広い知識である。
これまで「禅仏教や心理学を全く知らない人にも伝わる分かりやすさ」を追求した啓蒙書ばかり書いてきたわたしだが、今回初めて、基礎知識を有した僧侶が読んでも新たな発見のある、学術書と啓蒙書の中間の読みやすさを狙った本を書かせてもらうことができた。これは、わたしとしてもチャレンジであったが、いつかちゃんとした研究書を書きたいとの思いもあったので、現時点での集大成的な本となったと思う。
そして、この本を書きながら一つ身に沁みたことがある。〝精進料理〟を語るには、仏教を理解していないと書けないということだ。果たして、わたしはどこまでちゃんと理解しているのだろうか…。確かに、膨大な量の研究論文、研究書、書籍を読み込み、頭の中で再構成しながら書いたには書いた。しかし、精進料理の文脈で、すでに語られ尽くされている『典座教訓』ひとつとっても、著者たる道元禅師の思想を理解しないまま、文字面を追うことに意味があるのだろうか。
というわけで、結局のところ、道元禅師の主著『正法眼蔵』を読み、その根幹をなす大乗仏教の龍樹の空の思想、のちの仏性・如来蔵思想、唯識などは、抑えておかなければならない。そして、こういうときには、原文にまずあたることが重要であることは言うまでもないのだが、内容や言語の難解さなどから早々に挫折することも多く、まずは読み解くためのきっかけを与えてくれる本、つまり、いくらか難解さに慣れておくための解説書から始めることが、経験的に良いと感じている。
そこで、ここでは2冊ほど紹介したい。
頼住光子『正法眼蔵入門』 (角川ソフィア文庫)
頼住光子氏の文章との出会いは、『道元の仏性論 「仏性」思想の展開の観点から』(2007)という論文であった。まさに、衝撃的な出会い。ネットで無料ダウロードできるので検索して頂きたいが、ここまで明快で分かりやすい道元禅師の思想論に出会ったことはない。仏教学者の論文は、論集の文字数制限の問題もあり、研究者間でしか共通理解され得ない不親切な表現が多いが、氏の論文は、難解な原文を引いたあと、必ず要約を併記し、読者に優しい構造になっている。
しかも、理路整然とした論調なので、内容自体は難しくても、じっくり読めばちゃんと理解に至ることはできる。
曹洞宗の僧侶でも、〝難しい〟という先入観から、ちゃんと読んだことのある人は少ない『正法眼蔵』。その理解の糸口を、まさにこの書は与えてくれること請け合いである。といっても、これまで全く禅思想に触れてこなかった人が読むには、それでも難解に過ぎるであろうから、角田泰隆『道元入門』(角川ソフィア文庫)あたりから入るのも良いかも知れない。
小川一乗『大乗仏教の根本思想』(法蔵館)
日本の仏教は大乗仏教の流れを汲んでいる。では、その大乗仏教の特徴とは何かというと、初期大乗経典で語られる〝空〟の思想と言っても過言ではない。その空思想を体系化したのが、西暦150~250年頃に活躍したインド人の論者龍樹(ナーガールジュナ)である。
今まで、この空の思想も、何となくの理解しかしていなかった。ぼんやりとは分かっているけども、明確に且つ詳細に説明できるかと言われれば、お茶を濁してきたところがある。しかし、本書に出会ってからは、その辺りも随分とクリアになってきた。龍樹が般若経のどこに重きを置いて論じたのかが分かったからである。
また、氏が真宗大谷派の僧侶でもあることから、この空の思想がどのように親鸞聖人にまで連なるのかまで論じているところも興味深く、宗派ごとの考え方と合わせて、大乗の原理原則を現代のわたしたちがどのように受け止めていけば良いのか、大いに参考となった。
文章もわかりやすく明瞭なので、本当にオススメだが、古本でしか見かけないので、若干手に入れにくいことだけが難点である。