『今日は泣いて、明日は笑いなさい』秋田光彦 著

お坊さんが普段どんな本を読んでいるか興味がありませんか?

「難しい仏教書ばかり読んでそう」「空海とか親鸞とか伝記物が多いんじゃないの」 そのようなイメージをお持ちの方が多いかも知れませんが、いえいえお坊さんも皆さんと同じように話題の本やベストセラー、自己啓発書やビジネス書に至るまで様々な本を読みます。日中お寺にいる時間が長いので、人によっては皆さんよりずっと読書量が多かったりします。そんなお坊さんの書棚を覗いてみませんか?

『仏書講読』では仏教書に限らずお坊さんが気になった本、最近読んだ本をレビューしていきます。レビューで興味がわいたら皆さんもどうぞ手に取ってご覧ください。そのようにして読書の輪、学びの輪が広がっていけば素敵なことですし、私たちも嬉しいです。

さて記念すべき第1回目は仏教界をリードするあの方の本からスタート。

『葬式をしないお寺』として有名な大阪・應典院の秋田光彦師による新著『今日は泣いて、明日は笑いなさい』のレビューから始めましょう。

書名から想像されるように著者のエッセイ集とも言うべき、生身の日常を綴った46編の物語です。著者が住職を務める浄土宗大蓮寺とその隣の應典院は、伝統的なお寺とモダンなお寺という実に対照的なお寺です。著者が大蓮寺の住職として、あるいは應典院の代表として、加えて併設するパドマ幼稚園の園長として、さまざまな場面で出会った人々との出来事が綴られています。應典院が「劇場型寺院」を標榜しているものの、エピソードの多くは劇的な何かではなく、むしろ著者がただ寄り添ってきた人々の日常風景が丁寧に、しかも意外なほどコンパクトにまとめられています。

著者のことをよくご存知の方もそうでない方も、著者に対して実践家と理論家の二面性をイメージしているのではないでしょうか? 主に應典院の活動から「お寺を開く」実践家としてのイメージをお持ちの方も多いと思います。反対に、講演や應典院の多種多様なプログラムから理論家としてのイメージの方が強いという方もいるでしょう。

かくいう私も著者に面会するたびに、両方のイメージが入れ替わるように交差するように感じています。どちらがどうという訳ではありませんが、私の場合はまず理論家の一面に強いインパクトを持ちました。著者の講演や應典院でのディスカッションは印象的なキーワードやフレーズ、斬新で考えさせられる造語などに溢れ、聴き手に否応なしに自問自答させるような語り口にも圧倒されます。話し手に必死についていこうと頭をフル回転させるので、いつも脳ミソが沸騰する思いをして、終わるとぐったりと疲労感が残ります。それを何度か経験するうちに、著者の考えの根底に流れるものがなんとなく分かり始めた、そんな気がしているのが今の状態です。

そんな私にとって本書は理論と実践の融合とも言えるような実例集であり、それが実に平易に語られていることに驚かされます。「そうか、そうだったのか。それでいいんだ」とある意味安心するようなエピソードの連続です。著者がよく言う「寄り添うことしかできない」「立ちすくむしかない」という姿勢が単なる謙虚さだけではなく、現場での著者の姿として浮かび上がってきます。もちろん、そこには著者の「何があっても最後まで寄り添うんだ」という強い覚悟があります。その覚悟なしには何も実践できないのは当然ながら、いつもより少し人間らしい著者の姿に親しみを感じるのです。

その象徴的なエピソードが、突然水子供養に訪れた若い夫婦の物語です。泣きはらす女性を前に読経も法話もままなりません。ところが、女性が帰り際に小さな笑みを浮かべながら感謝の言葉を述べました。その微笑の意味が分からず困っている著者にズバリと答えを提示したのは、なんと著者の奥様だったのです。僧侶としてそこに立ち会っていたはずの著者の理解を超えたところで、奥様がサラッと真実(と思える答え)を言ってのける。著者の立場、特に家庭での立場を心配するのは余計なお世話でしょうか。
ともかくそんな著者の日常、つまりはお寺にまつわる人々の日常が、肩の力を抜いた文章で綴られており非常に読みやすい一冊となっています。どうぞ皆様も手にとってご覧ください。 合掌

彼岸寺は、仏教とあなたのご縁を結ぶ、インターネット上のお寺です。 誰もが、一人ひとりの仏教をのびのびと語り、共有できる、そんなお寺です。