【ブックレビュー】『仏教思想のゼロポイント―「悟り」とは何か―』魚川祐司/著(by松本紹圭)

出版後、2ヶ月くらい経ってからジワジワと周囲のお坊さんの話題に上ってきたこの本。すぐに買って読みましたが、とても良い仏教テキストでした。著者の魚川さんは1979年生まれ(同い年)の東京大学思想文化学科卒(同学科)なので、学生時代に本郷キャンパスですれ違っているはずで(自分がもっと真面目に学校へ行っていればよかったのですが・・・)いずれあらためてお会いしてみたいなと思いました。

『仏教思想のゼロポイント』は、論理的・構造的に仏教の基本を理解したい現代人に、打って付けのテキストだと思います。およそ仏教である限り、あらゆる宗派に通底する仏教の基本的なコンセプトが、現代(知識)人に共通する課題意識に照らして(←ここ重要なポイント!)順序立てて無駄なくコンパクトにまとめられています。それも、書名に「ゼロポイント」と掲げるくらい、できるだけ慎重に、個人の独断を排したフラットな視点から仏教の軸を可視化しようと努められているので、誰にも読みやすいのではないでしょうか。

これをテキストとして、仏教を基礎から学ぶ入門講座などをいろいろなお寺で開いてみてもいいんじゃないかと思います。(自分もやってみようかな?)

少し意外だったのは、こうした仏教の入門テキストが、伝統仏教コミュニティにおいて、少なからぬ数のお坊さんに、「衝撃の本」として受け止められていることです。

このようにわかりやすくコンパクトに仏教の基礎をまとめた魚川さんの筆力に衝撃を受けるのなら、それは分かります。でも、その内容は、魚川さんが誰にも分かりやすく仏教の「ゼロポイント」を示そうと努力して書かれたものですから、およそ仏教の僧侶なら学んだことのある仏教コンセプトばかりです。仏教の僧侶であるなら、基本的な内容において衝撃を受けるべきものは何もないはずで、魚川さんもそのような想定で書かれているはずです。(ディテールにおいては議論の余地もいろいろあると思いますが)

なぜこれが日本仏教のお坊さんにとって「衝撃の本」なのか。もしかしたら、日本仏教の学びの体系の中で、「宗祖の教え」(浄土真宗ならば親鸞聖人の教え)と、「仏祖の教え」(釈迦牟尼ブッダの教え)とが、きちんと接続されて理解されていないのかも?とふと思いました。

伝統宗派においては、その宗派の宗祖の教えを中心に学びながら、ところどころで釈迦牟尼ブッダの教えを断片的に学ぶような感覚が強いです。そのため、学びの中でたとえば親鸞聖人と釈迦牟尼ブッダの教えがまったく重ならない、あるいは矛盾するように見えるときがあっても、その違和感がそこまで強く課題として主題化することなく、解決せずにそのまま済ませてしまいがちです。

でも、とりあえずはそれで済んでも、課題は残ったままです。「宗祖の教え」と「釈尊の仏教」がどのように接続し、重なっているのかが実感を伴って構造的に理解できていないと、今まで(断片的に)学んだはずの仏教の基本がこの本のようにコンパクトにまとまったものに出会ったとき、これまで棚上げしてきた課題が一気に主題化されて、衝撃を受けてしまうということなのかもしれません。

宗派関係なく志で集う「未来の住職塾」では、受講者が自分のお寺を内からだけではなく外から見る機会を持つことによって、あらためてその良さに気づき、ブレイクスルーを見出していきます。

そして実は(これはもともと想定していなかった未来の住職塾の成果ですが)、少なからぬ卒業生が、宗派関係なくさまざまな仏道のあり方に触れることで、お寺だけでなく自分の宗派の宗祖の教えを客観視し、あらためて宗祖の教えの良さに気づく体験をしています。一旦、宗祖の教えから離れて外側から見るプロセスを経て、あらためて宗祖に出会い直すような感覚です。

今どきは、ほぼすべての宗派のお寺が世襲制であり、家業的なお寺運営のあり方をしています。なぜその宗派に帰依し、その宗祖の教えを説くのかといえば、
「だって生まれちゃったんだもん」
というのが前提です。私はそれは特に悪いことだと思いません。
「その家(寺)に生まれちゃった」というのも、深い因縁によってそうなったことであり、縁のきっかけとして非常にパワフルなものです。

ただ、その教えにもしどこか納得できないところがあるのであれば、課題を棚上げにせず、いろんな角度からその課題を検討してみるべきです。

たとえば、浄土真宗のお寺に生まれて、浄土真宗の僧侶としてお寺の日々を過ごしているからといって、道元禅師の著作を読んではいけないことはないでしょう。

私自身、インド留学を機に、仏教から少し離れて、同級生に教えてもらったラマナ・マハルシ師の著作や、その他のインドのグルの本をいろいろ読みました。そして、そちら側から改めて日本仏教や浄土真宗の教えを照らしてみたときに、深く理解できたことがたくさんありました。

本当のところでは理解・納得できていないまま、建前として「わが宗祖の教えこそが仏教の最高峰」と自分に言い聞かせるようなあり方でお坊さんをしていても、かえって宗祖の教えを矮小化してしまいます。

最近いわゆる「超宗派」の活動は盛んですが、いろんな宗派のお坊さんが集まって何かしています、ということが重要なのではなくて(それも刺激的ですけど)、自分自身が超宗派というより「脱宗派」的な立ち位置から色眼鏡をかけずにいろいろな人や価値観に出会うことがとても大事だと思います。

伝統仏教の僧侶に必要なことのひとつは「宗祖との出会い直し」です。

求める答えは宗祖にしかない!という僧侶業界的リミッターをあえて一度外して、魚川さんの言葉を借りれば「ゼロポイント」から探求を始めてみた先に、きっとまた、今までと変わらず私を待ってくれている宗祖と新鮮な気持ちで出会い直せるのではないでしょうか。

その意味で、仏教入門者だけではなく、宗祖と出会い直したい伝統仏教僧侶にとっても、オススメの一冊です。

(未来の住職塾塾長 松本紹圭)

掃除ひじり。良き習慣づくりの道場、お寺でお坊さんと一緒にお参り・掃除・お話から一日を始めるテンプルモーニング。noteマガジン「松本紹圭の方丈庵」・ポッドキャスト「テンプルモーニングラジオ」・満月と新月の夜に開くオンライン対話の会「Temple」 #未来の住職塾 #postreligion #templemorning https://twitter.com/shoukeim https://note.com/shoukei/m/m695592d963b1