「地獄の道場でアフロ仏に出会うの巻」松島靖朗さんインタビュー(1/3)

ひさしぶりの『坊主めくり』は、『彼岸寺』の人気連載『ITビジネスマンの寺業計画書』の松島靖朗さんをめくることにしました。私が松島さんのことを知ったのは『Twitter』でした。「おもしろいお坊さんがいるよね」と、弓月さんと話していたのをよく覚えています。お会いしたのは、2年前に弓月さんが登壇した『仏教とコンピューティング』の会場。その後、しばらくして連載の企画をいただいたのでした。※トップ写真はお坊さんになるために退職するときに、アイスタイル社内で”断髪式”をする松島さん。

ウェルカムおつとめで「仏さまにご挨拶」

インタビュー当日は春の嵐。ビュウビュウ吹き荒れる風のなか、松島さんのお寺・安養寺を訪ねました。しずかな街並みのなかにあるお寺は、境内も堂内もキレイに整えられていて「大切にお寺を守っている人がいる」感じ。お袈裟姿でりりしく現れた松島さんは、「どうぞ本堂へ」と案内してくれました。「ちょっとお勤めしましょう」と。

お坊さんインタビューの前に、「お勤めしましょう」と言っていただくのは初めてのこと。わくわくしながら松島さんの後ろに座り、朗々とした声であげられるお経に聴きほれました。お念仏パートでは、私も懸命に「南無阿弥陀仏」を唱和。ところが、後半に入った頃でしょうか。「杉本家」という言葉が耳に飛び込んできたのです。

「えっ、松島さん、わたしの先祖のご回向をしてくれているの?」とビックリ。いったいどんな「お勤め」をしてくださったんだろう? インタビューは、まず「お勤め」について教えていただくところからスタートしました。


——今日のお勤めはどういった内容だったのですか?

浄土宗の「日常勤行」といって、朝昼晩にお勤めする「差定(さじょう)」――わかりやすく言うと”お経のセットリスト”かな。阿弥陀さんは「南無阿弥陀仏と自分の名前を呼ぶ人すべてを救う」仏としていらっしゃるので、その教えを信じて「南無阿弥陀仏」とお名前をお呼びするのが、浄土宗のお勤めの肝になるところです。そのお念仏の功徳を「振り向ける」って言うんですけど、杉本さんのご先祖さまと一切の衆生にご回向させていただくというお勤めをさせていただきました。※左写真:安養寺の本堂にて。

——じゃあ、私の先祖だけでなく今生きているすべての人に「振り向ける」をされたんですね。すごい、ピースフル!

ははは、そうなんです。まさに大乗仏教です。

——どうして、最初にお勤めをしてくださったんですか?

来ていただいた方にはなるべく本堂にお参りいただくので、それと同じ気持ちです。お迎えさせていただくというか、なんとなくご本尊さんにお参りいただこうかなという。

——お勤めをさせていただくと「お坊さんが仏さまに私を紹介してくれた」というか、「仏さまにちゃんと挨拶できた」感じがすごく新鮮でした。ありがとうございます!

管理職から住職への”転職”と発心

みなさんもご存じのように、松島さんはお坊さんになる前はITビジネスマンとして東京で活躍されていました。時代の先端にあるIT業界から、日本最古の業界とも言える仏教界への”転職”は、「職が変わる」ことに加えて仏教に帰依するという”発心”もセットであるはずです。松島さんは、いつどんなふうに「お坊さんになる」ことを決められたのでしょう?


——松島さんは、いつの段階で「阿弥陀さまに帰依する」気持ちになられたんですか?

やっぱり、急に変わったわけではないんです。何かきっかけがあって「救われた感じがした」とか、「念仏を唱えていたら阿弥陀さんが出てきた」とかそういうことはなくて。じわじわと道場生活のなかで、法式やお経の意味を聴きながら「阿弥陀さんってほんまにいたはるんかもしれんなあ」という気持ちが芽生えてきたというのが正直なところです。

それは今も現在進行中で、特にお葬式のような場でお坊さんとしていろんな作法をするには、信じている自分ではないと何もかもが成り立たないですし、信じている自分でないといけないという気持ちにもなっていきますね。ずーっと、いろんなことを学んできたなかで「阿弥陀さんはいるんだ」と強く信じられるようになりました。※右写真:IT業界で文字通り「バリバリ」仕事をしていた頃の松島さん。

——IT業界でご活躍されていたのに、どうしてお寺に帰ろうと思われたのでしょう。

「お寺に帰る」というよりも「お坊さんになる」という生き方がすごくユニークになるだろうと思って。そもそも東京に出たのは、お寺という特殊な環境で育った自分がイヤで、普通の生活を送りたかったからなんです。「周りと同じようなことをしたい」と歩み、そのなかで世の中を良くするためにネットを使う仕事をしてきたんですけど、なんかやっぱり普通のなかにまぎれてしまうと「ちょっと面白くないな」という気持ちになって。

また、働き過ぎで体調を崩したこともあり、普通を求めて全力疾走してきたところを立ち止まって、ユニークな生き方ができる自分の環境があるじゃないかと。徹底的に普通を求めてきた結果、お坊さんになるという選択肢が出てきたというか。

——「普通を求めて全力疾走する」というのは、ちょっと普通じゃないですね(笑)。

あっ、確かにそうですね。だから、僕はそれを力んで求めないといけない環境にいると思っていたのだと思います。

東京に出ても、お寺生まれということを誰にも言わなかったし、どういう過去があったのかも一切ひた隠しにしていました。親にも「もうお寺を継がない」と言って出てきたので、ある意味で自分自身を否定しているところがあって。じわじわと身体のなかで、心のなかで、なんかストレスになっていたのかもしれない。それがあるとき、一気に出たような気がします。まあ、ホントのところはどうかわからないんですけどね(笑)。

地獄の道場で出会った”アフロの阿弥陀さま”

「お寺に帰ってお坊さんになる」と決めた松島さんは、「2年後に帰って修行します」と宣言。それからは、吹っ切れてさらにバリバリ仕事を楽しみます。やがて約束の時がくると、共に働いた仲間たちに別れを告げて奈良へ戻り、いよいよお坊さんになる修行に入ることに……。

——IT業界は若い人が多くてリベラルな世界ですよね。そこから、上下関係が明確でビシバシ指導される修行道場への移行はすごくギャップがあったのではないでしょうか?

最初の修行は、くろだにの金戒光明寺で冬の道場からはじまりました。寒いし、怖いし、もう地獄でした(笑)。今思えばね、とってもいい環境やったんですけど、当時は畳一畳文のスペースに敷かれたせんべい布団のなかで震えながら泣いてました(笑)。※左写真は「アフロに近い髪型だった」時代の松島さん。

自分のなかで覚悟を決めてきたとはいえ、「この歳になってなんでこんなに怒られなあかんねん」と。でも、そんな感情は最初の道場でキレイに取っていただきましたね。そうそう、そのときに金戒光明寺の”アフロ仏”と呼ばれている五劫思惟阿弥陀如来像に初めてお会いしたんです。「こんな面白い阿弥陀さんがいるなんて、阿弥陀さんは絶対いるにちがいない」と確信を深めました。

このアフロの阿弥陀さんがいてほしい。「いてほしい」ということはつまり、阿弥陀さんはいるっていう気持ちがあって。つらい道場の日々のなかでお会いできて、ちょっと気持ちが変わりました。それで、僕はあの阿弥陀さんを『Twitter』のアイコンにしているんです。毎日見ておかないといけないので(笑)。

金戒光明寺にある五劫思惟阿弥陀如来像。松島靖朗さんのTwitterアイコンに使われている。

——修行もそうですけど、お寺の生活そのものが東京での生活とは180度と言っていいほど違いますよね。

そうですね。お坊さんになろうと決めた当時、ネットでいろいろ調べたり、松本圭介の『おぼうさんはじめました』を読んだりもしたんです。ネット業界にいた僕の感覚では「ネットにないものは世の中に存在しない」くらいに思っていたので、お坊さんになろうとする人のための「情報がない」のはまずい。※右写真:松島さんが修行中に出会った”アフロの阿弥陀さま”こと五劫思惟阿弥陀如来像。

だから、お坊さんになるなかで経験したこと、いろんなカタチでコンテンツにして発信すれば、後から続く人の情報になり得るだろうという気持ちもあって。生活の変化も「おお、こんなにちがうんだ」という視点で見て「これはネタになる」と思っていたので、ちょっとわくわくしている自分もいました(次回へつづく)。


プロフィール

松島靖朗/まつしませいろう

法性山専求院安養寺所属。1975年奈良生まれ。早稲田大学商学部卒。新卒で株式会社NTTデータに入社。ビジネスインキュベーションセンター勤務の後、 株式会社アイスタイルでアットコスメのWEBプロデュースに従事。2008年退職後、実家のお寺を継ぐべく奈良で修行生活を送る。2010年12月伝宗伝 戒道場成満。

法性山専求院安養寺
奈良県磯城郡田原本町八尾四十

寛永十年(1633年)創立の浄土宗寺院。本堂・地蔵堂・鐘楼などの伽藍は当時からのもので、地元の檀信徒のための檀家寺として護持されている。昭和六十年(1985年)に安置されていた阿弥陀如来像が鎌倉時代の仏師快慶作のものであることが判明し、国・重要文化財の指定を受ける。以来、檀信徒のみならず全国より参拝者が訪れるお寺に。
檀信徒向け法要の他に、一般の方も参加可能な写経会、阿弥陀堂参拝、念仏会などを開催中。予約が必要ですので電話等でお問い合わせ下さい。(0744-33-0753)
Facebookページ: http://www.facebook.com/anyouji 

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。