人間として生きる道

システムへの適応不全。私の人生の始まりを表現するとしたら、その言葉がしっくりとくる。

私はお寺を営む家族のもとに生まれたが、その身近な社会のあり方に言葉にならない違和感を抱いていた。小学生になってからも、華麗な不適応体験を重ね、小学校2年生の際には不登校デビューを果たした。周りの人たちは「なぜ、学校に行かないの?」としきりに尋ねられたが、それに対する答えを持ち合わせておらず、黙秘を貫いた。言わなかったのではない。聞かれるたびに頭がショートしてしまい、言えなかったのだ。そんな状態でありながらも、身体は明確にそのシステムに拒否感を抱いていた。
 
ちょうど20年前は、私が小学校から中学校に進学した年だ。ここから大学生まで、なんとなく生きる指針もないまま、小学校、中学校、高校、大学と、教育システムに順応していった。「大学に進学することが当たり前である」という素朴な信仰に、無自覚に私は動かされていたように思う。

大学卒業の間際になると、別の信仰を享受するようになった。「就職することが当たり前である」というものだ。周りの就活生は黒スーツ、黒髪になり、インターンや志望企業についての話題をよく話すようになったが、私はどうもその流れに乗っていくことができなかった。そして、就職活動自体を辞めた。結局、たまたまご縁があったアート系のプロジェクトを行っている会社で働くことになった。最初はアルバイトで、のちに契約社員になった。私は、稼げるお金の多寡よりも、率直に「面白いと思えることをしたい」という気持ちに支えられていた。

働き始めてから数年経って、再び、システムへの適応・不適応に向き合うことになる。会社で一年半働いた後、鬱になり退職した。その後、個人事業主になったが、経済という流れの中で、どうしても居心地の悪さを感じていた。この居心地の悪さはどこか教育システムに順応していった頃の感覚に似ていて、次第に自分の感覚が骨抜きにされていくようだった。

ある時点で、恐れを伴ってシステムへ適応していこうとすることをやめた。ちょうど新型コロナウイルスの影響で、多くの経済活動がゆらいだことが、私にとっては好機となった。私は経済活動を放棄し、自分なりの生き方を求めていくことにした。
 
仏教界と経済界。両方のシステムに違和感を覚えていた私は、「おふせ」を扱ってみることにした。

仏教界のお寺では、「おふせ」というと「法事や弔事の後に差し出されるもの」という認識が定着している。お経という贈与に対する返礼として、お金という贈与が差し出される形だ。
 
一方で、経済界では、「商品を提供し、売る」ということがコミュニケーションの基本形だ。仏教界よりも、見返り(リターン)に関する規範が強いように思う。
  
私の解釈によると「おふせ」は「執着を手放す、ほどこしの実践」だ。お寺と経済の世界から自分自身をズラすために、法事や弔事の外で、「おふせ」され、「おふせ」する生活を営んでみることにした。それを始めたのは2021年7月7日のことで、そこから二年の歳月が経った。

多くの出会いに支えられて、今、息をして、生きることができている。「生かされて生きている」という言葉が実感として出てくるようになったのは何とも感慨深い。
 
以前と比べると、ずいぶんと身体の感覚が軽くなり、システムへの適応・不適応という観点で囚われることが減ってきた。大事なのは、歪な自分自身を受け入れながら、命を全うすることだと思うようになった。
 
2年間、出会った方々から大量の贈与を受け取ってきたのだが、不思議と「守られている感覚」が生じるようになってきた。特に、布切れを法衣店の方に頂いた作務衣に縫い付け、常用の服にして着ているうちに、これまで感じたことがない安心感を抱くようになってきたのだ。この流れは、自分だけのものでありながら、贈ってくれた方々のものでもあると思っている。大きな流れから切り分けることができない自分を生きている感覚だ。
 
現在は、「おふせ」の実験が3年目に入り、創作する時間を増やしている。この2年間で生まれてきた感覚を、作品にしていくことができたらと思っている。

たくさんの方に頂く布を糸に分解し、その糸で大きな大きな布を再構成していく。制作に長く時間がかかりそうだが、焦らず、着実にやっていこうと思う。


私の指針になっている、たまたまスペインに行った時に見つけた詩を紹介させてほしい。 

This is Planet Earth which has a system on it.
(地球、その上にシステムが存在しています)
 
This is not a system which has Planet Earth in it.
(システムの中に地球が存在しているわけではないのです。)
ㅤ              
I am Human. My origin is Nature.
(私は人間で、自然を起源としています。)
I was born on Planet Earth.
(私は地球上に生まれました。)
ㅤ                 
Robots need a system to run.
(ロボットは動かすのにシステムを必要とします。)
A Robot belongs to the system.
(ロボットはシステムに属しています。)ㅤ                
I am Human, I am alive.
(私は人間です。生きています。)

So it should be a human right, to have the choice,
(だとすれば、このような選択をするのが人間の権利であるべきです。)
If you want to live in a system or not. “
(あなたが、システムの中で生きたいのか、そうでないのかを。)

私は、たまたま仏教界と称される、お寺を営む家族のもとに生まれ、教育界を経て、経済界に触れた。そして、世界に張り巡らされているシステムとの関わりが常に問題になってきた。ただ、私がやりたいことは属するシステムに率なく適応していくことではない。

真にやりたいことは、国家、経済、宗教、文化など、地球上にひしめく、たくさんのシステム群に翻弄されず、”人間”として生きる道を模索することなのだ。踊るのはシステムの上じゃない。あくまで地球の上なのだ。

1991年お寺生まれ。京都大学卒。持続可能な世界へのトランジション(移り変わり)をリサーチするインデペンデント・リサーチャー。特に人の内面の世界が移り変わることへの興味から、内的なトランジションをサポートする 1on1 セッションの実施やプログラムの実施、哲学をはじめとした領域とのコラボレーションをおこなう。文化を継いでいく人たちがゆるやかな連帯を紡ぎ、ともに持続可能な継承を探求・実践するコミュニティ「Sustainable Succession Samgha」を運営している。共著に『トランジション 何があっても生きていける方法』(春秋社)。