彼岸寺から始まった寺嫁生活のゆくえ

彼岸寺さん、20周年おめでとうございます。

私がコラム「木魚とメサイア」を更新していた時期からあっという間に10年ほど経過しました。あの頃は主人と婚約中で、クリスチャン家庭からお寺に嫁ごうとしている私を杉本恭子さん(「坊主めくり」を担当されていました)が面白がって下さり、「書いてみない?」と声を掛けてくださったのが始まりでした。

その当時、私はお寺の生活が謎に包まれていて「私で大丈夫なの?」と必死に情報収集していた気がします。彼岸寺のサイトは貴重な情報源で、PCを立ち上げる度に真っ先にチェックするのが日課でした。色んなお寺さんがあるんだな、色んなお坊さんがいらっしゃるな、若いお坊さんたちが頑張っておられる、お寺って楽しそう!…そういう世界を教えていただいて、本当にお世話になったと実感しています。

今では「寺嫁(超宗派で使えるお寺の奥さんの意)」という造語が生まれ、SNSで発信されるお寺の奥さんが本当に増えて、時代は変わったなぁとしきりに思うばかりです。

さて、こんな私ですがお寺の生活にはすっかり慣れたようです。

嫁いだ当初は「お経ってなんて早口言葉なの!」と思ったり、「阿弥陀様って実在した人物じゃないの⁉」というレベルの事を口走っていたわけですが、気が付けば我が子に「ほら、仏さまに手を合わせに行こう」と毎朝仏間へと声を掛けるようになりました。

思えば「なぜ信じるのか?」という問いは私の中にずっと引っかかっていました。

無宗教と認識している人が周りには多い環境で、クリスチャンからお寺の奥さんという突拍子もない経歴に皆驚くわけです。そこで「なぜ?」と聞かれてもよく分からない。

ですが、ここ最近は「出会ったから!そういうご縁だったから!」という回答が自分の中でとてもしっくりきています。私の両親が偶然熱心なクリスチャンだったこと、ギター教室で主人と意図せず出会ったこと、そして浄土真宗に出会ったこと…その全てが自分の力を超えている部分なのでどうしようもない事です。その事実を偶然私が喜べているというのが「信じている」に繋がるのでは?と今は感じています。

また「カタチから入るのも良いじゃない?」というのが最近の私の手応えです。

何かとてつもなく勉強したり、経験を積んだから立場が決まるという事もあるかもしれませんが、そうじゃなくても良いなと。「手を合わせる」という格好から入って、心があとから付いてきたって何も問題ない。早口の呪文と思っていたお経も何度も声に出しているうちに気になる箇所が出てきたり、分かる単語が増えてきたり、ちょっと仏教が分かった気になったり、やっぱり全然分からないと揺れ動いたり…。

そんな風に思えるようになってから「息子と同じタイミングで得度してみようかな」という気持ちも沸々と湧くようになってきました。自坊の真宗大谷派は9歳で得度なので、近々私もカタチから入るお坊さんデビューになりそうです。そんなことは嫁いだ当初は全く想定していなかったので、お寺に嫁ぐってつくづく面白いものです。

結婚当初は見知らぬ名古屋の地に嫁ぎ、知り合いが誰もいない中での生活で、寂しい想いもしました。ですが、子育てをしていく中で友達も徐々に増え、気付けばお寺が子育てサークルの活動拠点になり、本堂の片隅にお参りに来られるファミリーにも楽しんでもらえるオモチャの部屋が増え、イベントの企画をしたり…と同世代の知人そのまた知人がお寺と接点ができ、喜んでもらえたのはとても嬉しいことです。

また、最近は「終活」というものにとても関心を持つようになりました。

終活カウンセラーの勉強で、自分自身のエンディングノートを作成してみたら、思いのほか良かったのです。これは死に支度ではなく「今をどう生きたいか」「自分にとって何が大切?」に向き合うワークなのだと知って、若い人にもぜひお薦めしたいと思いました。なので今後は、そちらの提案や発信もしていけたらと思っています。

お寺というのは「想いの集まっている場所」だと思っています。仏様のもと、多くの人に護持されて受け継がれてきた大切な場所。そんな場所をこれからも多くの人に大切だと思ってもらえるように守っていけたらと思います。そのためにもまずは私自身がお寺の魅力や生活をたっぷり満喫し、その楽しさが伝染して地域の輪、サンガの輪が広がっていけばいいなと思っています。

滋賀県出身。キリスト教(カトリック)を熱く信仰する家庭で育つ。6人兄弟の長女でクリスチャンネームはマリア。 2014年春、お坊さんと恋愛結婚しお寺に嫁ぐことに。現在名古屋市にある真宗大谷派・開闡寺(かいせんじ)の若坊守として日々奮闘中。京都の老舗木版画店「竹笹堂」の元店長。