みなさん、こんにちは、稲田ズイキです。彼岸寺20周年おめでとうございます。
忘れもしませんよ。修行を満行して僧侶になり、ノリと勢いだけで大学院を中退して、生半可ヒッピーどもが夢の跡、例にも漏れず何かを求めインドへ旅立つ直前のこと。初めて彼岸寺さんに記事を寄稿させていただきました。
もともとは実家のお寺のHPに載せるために書いた原稿だったんです。ところが父母に見せるや否や、「これは出すべきところに出した方がいいのでは…?」と、親バカをいかんなく発揮され、言われるがまま「出すべきところ」を探してインターネットを駆けずり回った挙句、たどりついたのが彼岸寺でした。
とはいっても、当時の彼岸寺は連載コンテンツを中心に運営されていて、今のように寄稿ができる仕組みがありません。それでもなぜか、「ここに掲載されるべきだ」と信じても疑わない確信があり(若さって恐ろしい)、問い合わせに下記のメールを送ったのでした。2016年のことです。
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(原文そのまま)
彼岸寺 編集部様
初めまして、稲田瑞規と申します。
現在、京都の称名寺というお寺の副住職をしております。
いつも彼岸寺のコンテンツを楽しく読ませていただいてます。中でも一番のお気に入りが「お寺の未来」というコーナーでして、記事を読みながら刺激を受け、自分でも仏教の未来について考えるようになりました。
この度は誠に厚かましくて恐縮なのですが、自分が書いた「お寺の未来」の読みものを貴メディアに掲載していただけないかとお願いに参りました。
記事のタイトルは「釈迦の教えを完全に学んだ人工知能が誕生したとき仏教はどうなるか」というものです。もともとテクノロジーの分野に興味があったのでそこに関わる内容を書いてみました。
本文は長文になりますので、この度は控えさせていただきました。もしアドレス等がございましたら原稿のファイルを添付して送付いたします。
誠に厚かましいお願いで恐縮なのですが、ご検討していただけると幸いです。
よろしくお願いします。
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自分も今、雑誌の編集長をする立場になったからわかるのですが、もしこんな文面が自分のメールボックスに届いていたら、もう怖くて怖くて仕方がないですよ。「お願いに参りました」じゃあないんだよ。
それでも編集長の日下さんをはじめ、編集部のみなさんは、どこの誰かもわからない野良犬のような僕のコラムを受け取り、そして審議のうえ公開までしてくださいました。日下さんから返信が届いたときは本当に嬉しかったです。自ら突撃しておいてなんですが、その風通しの良さや、柔軟な姿勢はさすが、彼岸の寺なのでした。
公開された記事は、自分でもびっくりするくらいバズりました(当時はバズるって言葉がまだ一般では使われていなかったと思います)。アクセスが集中して、彼岸寺のサーバーがつながらない状況がつづき、バイト先のデンマーク人に「稲田は寺のサーバーを落とした!罰当たりだ!」と言われたのを覚えています。
実はその後もいろいろありました。実際に友達と仏教のAIチャットシステムをつくったり、なんか大変なことに巻き込まれたりいなかったり、思い出の尽きないコラムです。
それから、僕は就職して早々に会社員をリタイヤし、フリーランスになるのですが、そのときにお会いしたのが、彼岸寺で数々の連載をつとめられている杉本恭子さんでした。なぜにどういう経緯でお会いすることになったのかはあんまり憶えていないのですが、どういうわけか鴨川の河川敷を歩きながらお話したんです。そのときの景色を今も思い出します。
その2年後、ありがたいことに杉本さんに取材していただく機会がありました。『大法輪』という雑誌のインタビュー記事だったのですが、杉本さんが書いてくださったその原稿は、僕の宝物の一つです。大事に引き出しにしまっていて、ときどき読み返しています。
原稿を読んで母も感銘を受けたらしく、知らん間に杉本さん宛にお手紙を書いていました(手紙を書きたい!と思い至ったものの、杉本さんのお名前をど忘れてしまったみたいで、名前の部分が空欄になっている世にも珍しいお手紙)。
今思えば、杉本さんが書いてくださった記事は、自分の活動の一旦の節目となったように思います。それからコロナ禍があり、自分がどうしたいか考えることもたくさんあって、過去の自分とも何度も出会いなおした結果、今は「やっぱこっちだね」と思える方角が見えはじめ、少しずつ歩を進めている毎日です。
つらつらと思い出を綴っていくうちに、なんだか全部、3日前の出来事なんじゃないかと思えてきました。でも暦の上では、はじめての寄稿から7年が経っているわけで。
7年かぁ(感慨深い)。この7年の間に、すっごく大きな冒険をした気もするし、何一つ変わっていない気もしますね。