梶田真章さんインタビュー「お寺は自分の存在する意味を問う場所」(松本紹圭)

有名寺院がひしめく京都、東山の地にひっそりと佇む名刹・法然院。

そこまでの知名度ではないかもしれませんが、知る人ぞ知るお寺です。
多くのお坊さんの口から「あのお寺はいい!」「あそこのご住職はすばらしい!」とよく話題になるのが、法然院です。
京都ツウの観光客にも人気のお寺で、京都の老舗や伝統芸能の方からも「良いお寺」として名前が上がります。
もしも「お坊さんが選ぶ好きなお寺ランキング」があれば、トップに入るお寺だと思います。
私もこちらの梶田真章住職にはいつも学ばせていただいています。

先日、梶田住職に、お寺に対する考え方を聞かせていただきましたので、
皆さんともシェアしたいと思います。

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(法然院・梶田真章貫主、以下敬称略させていただきます)

【松本】 ずばり、お寺とは何でしょうか?

【梶田】 自分の存在する意味を問うたり確かめていく場所のひとつです。問うための鏡として仏さまがいらっしゃったり、集まる人がいらっしゃったり、周りの生き物があったり。いろんなご縁、仏縁や、他人との縁や、生き物の縁、そのようなご縁を見つめる中で、私という者の意味を確かめたり、これからどう生きていくべきかということを問い続け、実践できることがあれば、それをしようということを心に留め誓っていく場所でしょうか。

従来だったら先祖との関係の中で、先祖の家を大事にするという儀式があったんでしょうし。意識されるかされないか分かりませんが、家を守ることが私の生きる意味だということで、寺を守り、墓を守り、仏壇に参ることも守られてきた。家を守ることは意味のあることだということを確かめていくひとつの装置としてあったんじゃないでしょうか。そして、地域なら地域の、地域共同体の幸せは皆の祈りで培っていこうと。地域共同体としての和などは神社を核にしてやってきたんだろうし、お寺も年中行事のお祭りをするのであれば、地域共同体の一員としての私というものを確かめていく場所になってきました。

「家」ということが強く意識されるようになったのは、ここ数百年のこと。室町時代以降から高度経済成長までです。それ以前は、個人が持つ苦しみを意味付けて、どうして苦しいのかを教えてもらったり確かめたりするというのが仏教でした。どうやって安心を得るのかを聞かせていただくような、個人の生きていく意味、あるいは目標、願いみたいなものを教えられたりそこで確かめていくものです。苦しいけれども生きていくことは意味があるのか、という問いに向き合うのです。阿弥陀仏は希望の仏だと思うんですけど、私でもいずれ世界の本当の有り様が分かる日が来ると信じ、今は分かっていないけど今を問い直しつつ未来を信じるということと、出会っていく。

それがお寺でなければいけないのかというと、必ずしもそうではないかもしれない。そういうことを教えてくれる人がいればいい。ただ、そのように大切なことを伝える器としての人の意味はあるけど、人がどのように集うかというシンボルとしては、お寺とか境内は意味があったのかもしれない。そこへいけば平静になって、モノを、心を見つめることができるというような意味において、お寺の本堂なり境内が意味を持つのであれば、それなりに大事なものだったんじゃないでしょうか。ふだんとは違う自分を問うことができるのであれば、そういう場所があっても意味があるんじゃないかと思う。

それは何も、大きな空間である必要はありません。ただ、他者との縁を確かめていく、共に念仏する仲間と出会う場としては、一緒に念仏できる場所があるということが意味がないわけではない。結局、どういった人や空間が相手にとって教えてくださるものとして意味を持つのかには決まりはないし、多様であっていいと思う。

お寺を預かっている人間が、何を伝えたいのか、何のためにお寺をやっているのか常に問い続けることが、訪れる方にとっては大切なことかと思います。たとえばこの法然院も、別にひとつの可能性じゃなくても、いろんな人の思い、ニーズに答えるいろんな面があって、住職もその交通整理をしたり、プロデューサーであっていいのではないかと思う。人に応じて対応できるのが、住職という存在のいいところです。

【松本】 どのような思いで法然院を預かっておられますか?

【梶田】 能力っていう言い方は好きじゃないですが、住職がそういう力を持っていれば、お寺の意味や可能性がより広がるのかなと思います。だから、こうでなければいけないということは、私は思っていない。もちろん、一番伝えたいことは私なりにある。結局人間は一緒や、という法然上人が仰った人間の見方に触れていただくということ。良い人と悪い人がいる、というわけじゃないんじゃないだろうか、というような人間の見方に触れていただきたいと、法然院においては思っています。

人の中に眠っている「仏になれる可能性」を、共に目覚めたいという悲願を共有しているということを、それぞれの心の中に育てていくというか。そのことを信じていただくよう、すぐにではなくても、これからのずっと長い長い時間をかけて培っていくための場所であっていいんじゃないか、と。法然院がずっとあり続けなければならないんじゃなくて、それぞれの場所にあるお寺が、各人の中にある仏性に目覚めていく場があればいい。共に悲願に生きる人が、他者を分かり、共通の願いを培っていくっていう。今は分かり合えなくても、共通の悲願が眠っているということを、一緒に培っていくことができればいいと思っています。

実現はできないけど、実践はする。こんなに違う人ばかりなのに、何か一緒のものがあり得る仲間同士だ、と。つながっているというより、重なっているという言い方で表現したいと思っています。死者の心も、法然院なら法然院という場所に重なっている。そこをずっと重ね重ねて、ここまで来た。亡くなった方が今、何を願っているか。少しでも向こうからも悲しんでくださっている、ということを伝えていく場所じゃないかと。

【松本】 そのような場において、僧俗(僧侶と一般)の別はどうお考えですか?

【梶田 僧侶であろうとなかろうと、関係はありません。維摩居士みたいに、たとえ世俗に生きていても、それこそが私の人生の意味だと、人と人との間にあるような悲願を伝えていくことができれば、僧か俗かということは関係ない。そういう方のほうが衣をきているより仏道を歩んでいるかもしれない。でも、僧侶として衣を着ている方は、できれば、悲願を信じてそのことを伝えようとする努力を重ねていただければ、ありがたいと思います。

【松本】 いわゆる「葬式仏教」としてのお寺と、そのような悲願を聞かせてもらう場としてのお寺には、乖離がありますが、どう思われますか?

【梶田】 亡くなったら仏になるのか、先祖になるのか。一切衆生の成仏が究極の目標なのか、先祖になってこの家を守ろうということが当面の目標なのか。あえて「葬式仏教」と言ってしまうから、仏教じゃないものが仏教と呼ばれていることになって、仏教というものの理解を妨げているんじゃないでしょうか。だからあえて、仏教ではなく先祖教、坊主はこれまでずっと先祖教の儀式を担ってきたと言ったほうが、すっきりするんじゃないか。

坊主が先祖教をやることに関しては、日本においてある種の日本人的な宗教心を形成する役割を担ってきたということ、時代的な意味は持っていたということ、仏教ではないけれど宗教者としての役割を担ってきたということは、それはそれでひとつのあり方だったと言えます。それは日本人の暮らしがそうだったからで、それに合わせなければ寺は残ってこれなかったと思いますし、その結果、寺が7万以上もできたわけです。

そのような現実をまず受け止めて、これからもそういう意味でのお寺の役割を期待される方には、そういう役割を果たしていけばいいでしょうし、仏教寺院としては、改めて仏法を伝える場としての役割を住職が担っていけばいいんじゃないかと。多くの檀家さんは先祖教で良くて、別に仏教寺院を期待していないということも確かです。それはそれで、ある種の存在理由にはなっているわけで。伝えようとはしていますが、伝わらない、信心が変わっていかないのも、それまたご縁ですし。そちらに向かず、その人にとって家が頼りになっているということは、それはそれで幸せなことです。家が頼りにならない人には、私が説くべきこと、安心を説き続けています。

【松本】 「家」が頼りにならない人が増えているということは、お寺が先祖教から仏教に戻るチャンスとも見えますね。

【梶田】 はい、仏教をもう一回見直していただけるチャンスではありますね。ただ、簡単なことでもありません。家が頼りにならない方に、仏教のもともとの存在意味を知っていただくことが、大事なことです。けれど、どこで仏法と出会っていただく機会を提供するのか、並大抵の努力でできることではないです。

【松本】 法然院さんでは様々な催しもありますが、何か判断軸のようなものがあるのですか?

【梶田】 私の役目は交通整理です。お貸しする場合は、あまり判断していません。音楽なら、うるさいかどうか、とか。聞きたい人がいて、この場をその人が必要としているのであれば、いいのです。特にコンサートとかは、私が好みのものばかりやっているわけではありません。連れ合いもスタッフもおりますので、私だけの判断というわけでもない。ですから、私は法然院の全責任を持っているとは思っていません。最終責任はありますが。長年培ってきた信頼を一晩で壊すこともあるかもしれないですし、最終の責任は持ちます。そして、最終の最終は南無阿弥陀仏です。人間としての最終責任は私ですが、凡夫としては、最後はおまかせ、ということです。

毎日頑張っていたら続いていかないと思っているんです。続いていくことは続いていくだろうし、このあたりで、となったら変わっていくこともあるだろうし。たとえば、もう震災から3年も経つから悲願会もそろそろいいんじゃないかという思いがある人もいるだろうけど、私は当分続けていくつもりです。あまり、皆が心ひとつにしてとかいうことは期待していないし、やれるところはやる。それぞれに許容範囲があるので、すべての方の許容範囲に収まるわけにはいきません。先代の住職から、私が変えて来たところもありますし、もし先代の住職が生きていたら「何やっているんだ」と思うようなところもあるかもしれない。

【松本】 法然院として守っていくべき伝統など、意識されていますか?

【梶田】 伝統ですか? う〜ん。守っていくべきことは、何なんでしょうね。法然院に皆様が期待する環境を保全していく責任はあると思っていますが、絶対にそれができるかといえばそうでもなくて、できる範囲の中でやっていくしかないですし。でも、法然院にそれを求められている人が何年後かに来られた時、がっかりされるのも不本意ですし、その人にとっての存在意義が何らかのかたちで継続していれば、それでいいと思っています。原風景ですよね。この辺りに昔暮らしていた人が、戻ってきたときに、法然院がそのままあって「ただいま」といえるようにする。そういう意味では伝統というものもありますが、まったく変わらないかというと、その保障はとくにない。

環境がそうさせる、というところもあります。山につながった場所にありながら、京都の街にも連続している。山でもないし、里でもない。法然院は、微妙なバランスの中に位置しています。

その方の気持ち、何を求めているのかを捉えた上で、お寺はどういうことを伝えようとしていくか。今や、「法然院は神社ですか?」という質問から始めなければいけない、ということを知らなければなりません。一方的に私が伝えようということを伝えても、始まらない。その人が求めているものを、対話によって知り、培っていくしかない。
ご縁のままに、法然院を30年預かってきました。だから余り振りかぶらずできている、ということかもしれません。

彼岸寺 編集部

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