今回のご質問は、先日行われました京都での彼岸寺イベント「真夜中のラジオ vol.0 『お坊さんのススメ』 〜お坊さんってなんだろうワークショップ〜」で寄せられたご質問です。このイベントでは、参加費を「お布施(お金でなくても構いません)」という形でいただいたのですが、お布施はお金でなければいけないのでは?というご質問をいただきました。そこで今回はお布施について、お話をさせていただきます。
まずお布施とはなにか?ということですが、「布施」とはインドの言葉では「ダーナ」といい、慈悲の心から人に施しを行うことです。また仏教の実践の一種である六波羅密の一つにもあげられる行為であり、自分の所有するものを見返りを求めること無く人に与えることで、物に対する執着から離れるための修行の一つと考えられています。
そして「布施」には三つの種類があるとされます。一つは「財施(ざいせ)」と呼ばれ、金銭や衣服、食べるものを施すことであり、二つ目は「法施(ほうせ)」、これは仏教の教えを説くことです。三つ目は「無畏施(むいせ)」と呼ばれ、人の恐れを取り除くこととされます。また、物もお金もなくてもできるお布施というものもあります。「無財の七施」と呼ばれるものですが、優しい眼差しで人に接する「眼施(げんせ)」、にこやかで穏やかな表情で人に接する「和顔施(わげんせ)」、思い遣りある優しい言葉を使うという「愛語施(あいごせ)」、身体を使って奉仕する「身施」、人の気持ちを思い遣り、人の悲しみや苦しみを感じ取る心「心施」、席や立場を譲る「床座施(しょうざせ)」、人にひととき休む場所を提供する「房舎施(ぼうしゃせ)」の七つです。これらは誰でもが気軽に行える布施の行いです。
この中で私たちが一般的に使う「お布施」とは、このうちの「財施」に当たるもので、特にお葬式や法事などの仏事の際に、お坊さんに対して法礼として渡すお金のことを指すことがほとんどです。しかし、かつてはお米や野菜などの農作物でお布施をいただいていたということも聞きますし、托鉢するお坊さんは、その日の食べ物や、衣類などを施していただくということ思えば、お金を施すことだけがお布施になるわけではありません。
そしてもう少し掘り下げて考えてみますと、「布施」は、見返りを求めない純粋な「施し」であり、慈悲の実践や執着から離れるための訓練です。ですから何かに対する対価として差し出すものではありません。そう考えますと、仏事のお礼としてお金を渡す行為は、ひょっとしたら「布施」本来の意義とはズレがあるものであり、実践行としての「布施」と、私たちが一般的に使う「お布施」とは分けて考えるほうが、混乱しないのかもしれません。
つまり、仏事のお礼=法礼としての「お布施」は、お金として渡すのが適当でありますが、慈悲の実践や所有への執着を離れるための実践という「布施」本来の意義から考えれば、お金をあげることだけでなく、相手のことを思って行う行為そのものが「布施」であると言えるのではないでしょうか。