Q. 占星術や、手相占いなどたくさんの種類の占いってありますが、仏教には占いはないのですか?

A. 本来的には仏教には占いはありません。

新聞、テレビ、雑誌、インターネット、どんなメディアを見ても、占いの無い物はないんじゃないかと思うくらい、世間には多種多様な占いが氾濫していますよね。これだけ科学が発達し、物事の考え方の基礎となっている時代に、科学的とは言い難い占いが、これほど人気なのは不思議な気がいたします。

で、仏教に占いはあるのか?と言うご質問ですが、本来的に仏教には占いはありません。なぜかと申しますと、仏教は、物事の因果関係を正しく見つめる教えだからです。

因果関係を正しく見る、というのは、結果が起こるのには必ず原因と、様々な間接的な要因(=縁)によって起こる、ということを、正しく捉えると言う事です。

例えば、花が咲くという結果には、種と言う因があります。しかし、いくら種があっても花は咲きません。花が咲く為には、土の養分や水、太陽の光や温度など、様々な条件=縁が必要となり、それらが全部揃って花が咲くのです。そして、結果と言うのは、何も花が咲く事だけではなく、花が咲かないと言うのもまた一つの結果であり、そこにも様々な縁が見え隠れしています。

逆に言えば、物事の結果と言うのは、実に様々な事柄に影響されて起こってくるもの、ということです。縁は縁を生み、果はまた何かの因となり縁となり、影響される事柄によって物事の起こりも結果もいくらでも変化します。ですから将来起こる事柄を予測するのは、非常に難しい事なのです。

しかし占いというものの性質は、手相や姓名、星座などのいくつかの要素、しかも物事の結果とは関係性の弱いものを根拠にして、結果を予測しようとする物です。果たしてそれによって正しく結果を予測できるのかと考えてみますと、やはり疑問が残りますし、仏教の教えからは、依るべき正しいものであるとは言えないのです。

そればかりか、占いに頼りすぎると、例えば悪い事が起こった時、霊や祖先、土地の良し悪しなど、全く関係の無い事柄のせいにしてしまい、物事の正しい道理を見つめられずに現実から逃げ、妙なものに騙されたりするなどの弊害もありますので、迷信、迷いや苦しみを深める物とみなされるわけです。

しかしまあ、私は占いを全否定することもないのかな、と思います。占いも、生き方に注意を喚起するもの、或いは娯楽の一貫として捉えれば、悪い面ばかりでもないでしょうからね。それでも、あまりに占いをあて頼りすぎるのも問題かなと思います。なんと言っても占いは「当たるも八卦、当たらぬも八卦」ですから。

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。