Q.中国やチベット、タイなどで、お坊さん同士では、お経って共通言語となるのですか?

A.ならないことはないですが、実際には共通言語としては使われていないと思います。

そういえば私が大学生の頃、キリスト教哲学の教授が、バチカンでのキリスト教哲学の学会では、ラテン語が共通言語として使えるんだ、というようなことを言っていたのを思い出しました。

で、仏教でもそういうことがあるのかな?と、ちょっと考えてみたのですが、そもそもお経の原典とされておりますのは、サンスクリット語やパーリ語と呼ばれる古代インドの言語で書かれたものです。この経典がチベットや中国、東南アジアに渡ったのですが、その際、お経の意味を正しく理解する為に、それぞれの土地の言葉に翻訳され、チベットにはチベット語に訳された経典、中国には漢語に翻訳された経典があり、日本で使われているお経の多くも、漢訳されたものなんです。

で、僧侶にとって大切なのは、言語の学習よりも、その教えの内容の理解や、仏道の実践ですので、通常は翻訳されたテキストを使います。もちろん、お経の理解をより深めるためには、お経の原典の言葉を学ぶことは大切になりますが、すべての僧侶が、会話に使えるほどその言語を学ぶ、ということはあまりないかなと思います。

ただ、音訳といって、古いインドの言葉の音に漢字を当てるという訳し方もあり、そういう音訳された言葉は、仏教の専門用語も多く、僧侶同士、通じる言葉もあるでしょう。しかしやはり、お経の原典の言葉を使って、いろんな国のお坊さんが会話するということは、あったとしても稀な事であると思います。

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。