締め切りまでのカウントダウンが始まった1月末から半年の間、私は知らぬ存ぜずを決め込みました。今から考えると、恐ろしいというか…。正直なところ「その時間が欲しかった!」と、自分で自分に言いたい思いでいっぱいです。過去に戻れるなら、5、6時間は自分を問い詰めたい。ちなみに感情を文字で表現すると、「嗚呼…。その時間。その時間がぁぁぁぁ〜。ほぉしぃかぁぁぁったぁぁぁぁぁっっ〜〜〜」になります。
その時間があれば、あのようなエライ思いをして書くこともなかったのに…。
それだけじゃないんです! たかだか契約書を取り交わさなかったというだけで、無名の私が本を出すという夢のようなチャンスを、自らの意思で見逃すところだったんです。けれども、そもそもチャンスというのは、結果を伴って初めて、「あれはチャンスだった」になるんですね。結果が伴わなければ、それはチャンスでも何でもないんです。まさに「信じられない私」にとって、それはチャンスではなく、疑わしいこと、だったんです。
本文にこのような文があります。
残念ながら、人は目にすることのできない「はたらき」を、なかなか信じることができません。目に見えたほうが安心しますよね。
どんなに立派な教えがあったとしても、目に見えない教えの「はたらき」に「自分のこと」として出遇うことがなければ、その教えは知識であり、「なんか、ええもんがあるらしい」という情報で終わってしまいます。ちょっとキツイ言い方ですが、出遇わないと「ない」のと一緒なんです。
それと同じように、チャンスとなるような出来事があったとしても、その出来事に「自分のこと」として出遇うことができなければ、それは、チャンスにはならないんです。逆に言えば、何でもないこともチャンスになることができるということです。
さてさて、そんな私が、いよいよチャンスに出遇うときがやってきました!
正確を期するため、頂いたメールを確認すると7月3日でした。そう、7月3日。締切日まで1か月を切って頂いたメール。それは執筆状況を確認する、出版社の方からのメールでした。そこにあった一文。
「仕上がっている分などがおありでしたら、お送りください」
仕上がっているものなど、1行たりともありません。
私はパソコンの画面を見つめ続けました。「本当だったんだ! 本当に原稿を待ってくれているんだ! ヤル気だな、おぬし」。見えない相手に向かって、心の中で一通り話し掛けた後、大きく万歳三唱をし、そして、ハタと我に返りました。
本1冊分の原稿を、1か月以内に書くという現実に。そして、青ざめ、固まりました。
「落ち着け!」自分で自分に言い聞かせ、細心の注意をはらってメールを返信することにしました。書けていないことを、相手に覚られてはいけない。物事に取り組む人間の姿勢として、それは決して見せてはならない。そう思って、絞り出した文が
「まだお送りできる状態に仕上がっておりません。今後は、でき次第、できた分だけ、お送りさせて頂きます」
バレてます。本人はナカナカ良い感じだ、と思っていましたが、後で言われました。「全く書けてなかったでしょ(笑)」って。
兎にも角にも、7月末の締切日に向けて、私は書き始めました。
ゴールがあるというのは嬉しいことです、そこに向かって進めばいいのですから。私は朝も昼も夜もなく、ただ一心不乱に書き続けました。気が付いたら、フローリングの床に突っ伏して寝ていて、目が覚めたら続きを書く。人間として、というより生き物としてどうなのか? そんな日々でした。
家賃を払うためにお節を作って売る話が、本の中に登場します。2日間徹夜して作ったお節作りが「人生の中で唯一、いのちをかけてやったこと」だと思っていましたが、今回の執筆活動も同じ思いでした。「これが書けるまでは死ねん…」そう思ってパソコンに向かいましたが、元々超が付くほどの健康優良児。夏風邪をひくでもなく、至って健やかに執筆を続けることができました。
が、それでも問題はあったのです。
親鸞聖人が書かれた書物を基にした今回の本。親鸞聖人が、経典を背景にして書かれたこともあって、私の思いだけでは書けない部分が多くあったんです。もちろん、「私はこう受け止めました」という部分は、自分の思いを正直に文字にすればいいのですが、経典の言葉はそうはいきません。親鸞聖人が引用された経典を読み、裏を取る必要がありました。これは親鸞聖人を疑っているのではなく、その背景を知らずに、その言葉を受け止めることが、私はできなかったからです。と、カッコのいいことを言いましたが、当然ながら経典は全て漢詩です。レ点や一二点、上中下点など、「受験生か?これは受験勉強なのか?」そんな思いを胸に、膨大な量の本に囲まれながら、一文字一文字、文字を重ねていきました。
と、ようやくチャンスに「自分のこと」として出遇うことができた私。しかし肝心の原稿、果たして間に合うのか?