みなさんこんにちは、英月です。
お経さんといえば「ワケがわからないコト」の代名詞のように思われていますが、実は違うんです。今回は、お経さんのスゴいところについてお話させてくださいね。
■お経さんは”ノンフィクション記録”
お経さんと聞いてワクワクする方も少ないと思います。
おまけに、ワケの分からないコトの代名詞のように
使われるコトもあるお経さんですが、実はコレは大間違い。
冤罪なんですね。
お経さんはココロの栄養です! と前回、言いましたが、
それと同時にノンフィクションの記録でもあるんです。
と言うのも、
「お釈迦さんがこんなコト言ったの、ぼく、聞いたよ」
で始まるからです。
ちなみに浄土三部経と言って、
法然さんが選んだ3つのお経さんがあるんですが、
3つとも「ぼく、聞いたよ」で始まっています。
ご参考までに、
「仏説無量寿経」は「我聞如是」、
「仏説観無量寿経」と「仏説阿弥陀経」は「如是我聞」。
口語にすると、「我、聞きたまえき、かくの如(ごと)き」
「かくのごとき、我聞きたまえき」となり、
カンタンに言っちゃうと「ぼく、聞いたよ」になるワケです。
そして、その後、
「いつ」「誰(お釈迦さん)が」「どこで」「誰に対して」話したのか、
と言うコトが書かれています。
コノ「ぼく、聞いたよ」と言うのが、
実はお経さんのポイントじゃないのかな?
と、思うんです。
普段の生活を思い浮かべて欲しいのですが、
友達とお茶をして時間を過ごしたとしても、
残っている言葉はひとこと、ふたこと。
残らないコトの方が多いです。
では、残った言葉は、どんな言葉かと言うと、
自分に関係のあるコト、共感したコト、響いたコト。
つまり、自分に「はたらいた」言葉なんですよね。
そしてこの「はたらく」と言うのが、
すごく大事なコトのような気がするんです。
なぜなら、知識や教養としての教えではなく、
実際に「はたらいた」教えの話だからです。
そして、それがお経さんなんです。
■素晴らしき哉! お経さんの共通フォーマット
お経さんにはフォーマットもあります。
ギョーカイ用語で「三分科段(さんぶんかだん)」と言うのですが、
序分(じょぶん)、
正宗分(しょうじょうぶん)、
流通分(るずうぶん)に分けるコトが出来ます。
コレは後の時代の人たちが、
理解をしやすいようにと分けたのですが、
その構成がスバラシイんです。
序分には、お経さんが説かれた背景が、
正宗分には、その内容、
そして流通分には後の時代に伝えられて行くように
お弟子さんたちに説く文、つまりメッセージとなっています。
ね、冤罪だったでしょ?
こんなにハッキリしているお経さんを、
もうワケの分からないコトの代名詞には、使えないですよね。