私は住職としての自己評価の基準のひとつに「永明寺の門を何人くぐったか」というものがあります。
正確に人数を記録しているわけではないので、大雑把な感覚でしか把握していませんが、一人でも多くの人が門をくぐることを目標にしています。それは永明寺の門徒であることや年齢、性別、国籍も関係ありません。それが布教伝道につながったかどうかは今は考えないようにしています。
とにかく、一人でも多くの人が永明寺の門をくぐり、境内で数分でもいいので過ごしてもらえるよう様々なイベントを行っています。そのためには、ここに永明寺が存在していることを世間に知らしめる必要があります。いわゆる宣伝広報というやつですが、そのためには多額の費用がかかります。
しかし、そんなお金は厳しい財政の中でどこにもないわけで、費用をかけず多くの人に知ってもらうためにはと考えた結果たどり着いたのがツイッターやFacebook などのSNSといわれるものだったのです。だから「好きですねぇ」と言われても必要に迫られてやむなくやっているだけなので、ピンとこないのです。
しかし、人類が史上初めて手にいれた仕組みを使い、誰も経験したことのないような縁の作り方をしていると考えると、とても楽しみになってきます。今のツイッターもFacebookも、インスタグラムですら数年で廃れてしまうかもしれませんが、その時はそれに替わる技術が現れています。
そのたびに、私達は伝道の本質を問われ、そのつど答えを出していかなくてはなりません。決して捨ててはならないものは何か。しがみつくだけでは意味をなさないものは何か。次の世代につないでいく役割を持つ私達が常に考えていくべき課題です。
最後にえらそうにも、本のご紹介をさせていただきます。ご存知の方も多いかと思いますが「いのちの水」という絵本です。多くの旅人をいやしてきた泉が、いつの間にか神格化され、だれでもが喉を潤すことができたものが、人々から遠ざかっていくお話です。キリスト教をベースにしたお話ですが考えさせられます。よろしければどうぞ。
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