「その経典、本当にありますか?」── AIが仏教の言葉を届けるとき、私たちが最も大切にしたこと

深夜2時、眠れない夜にスマートフォンを開いた経験は、おそらく多くの方にあるのではないでしょうか。

SNSのタイムラインを眺めてみても、心が軽くなるわけではない。かといって、この時間に誰かに電話をかけるわけにもいかない。ただ漠然と、胸の中にあるものを誰かに聴いてほしい。そんな夜が、私にもありました。

私は僧侶ではありません。エンジニアとして、AIの安全性技術を研究してきた人間です。そんな私がなぜ「仏教AI」をつくることになったのか。それは、自分自身が人生の困難に直面したとき、偶然手に取った仏教経典の一節に救われた経験があったからです。

ところが、その一節を友人に伝えようとして気づきました。出典がわからない。ネットで調べると、似たような言葉は出てくるのですが、どの経典の何章何偈なのかがはっきりしない。それどころか、ブッダが言ったとされる言葉の中には、実際には経典に存在しないものも少なくないのです。

「その言葉、本当にブッダが説いたものですか?」

この問いが、すべての出発点でした。

一万の偈句と「出典を明かす」という約束

「AIブッダ 禅」は、LINEやiOSアプリを通じて、仏教経典に基づいた対話ができるサービスです。2026年3月にForbes JAPANでもご紹介いただきました。

このサービスの最大の特徴は、すべての応答に経典の出典を明示することです。「ダンマパダ 第1章 双品(偈1-2)」というように、経典名・章・偈番号が必ず記載されます。

これを可能にしているのが、パーリ仏典と大乗経典あわせて18種、10,000偈句を超える独自のデータベースです。法句経(ダンマパダ)、スッタニパータ、般若心経、金剛経、維摩経など、初期仏教から大乗仏教まで幅広い経典を収録しています。そして、これらの偈句はすべて日本語に翻訳しています。パーリ語や漢文のまま収録するのではなく、一偈ずつ日本語訳を整え、どなたが読んでも意味が伝わる形にしました。10,000を超える偈句の一つひとつに日本語訳を付す作業は膨大なものでしたが、「読める言葉」でなければ経典の智慧は届かないと考えたからです。

AIに「仏教っぽい回答をしなさい」と命じるだけでは、もっともらしいけれど経典には存在しない言葉を生成してしまうことがあります。これは技術的には「ハルシネーション」と呼ばれる現象です。私たちはこれを、仏教の文脈では特に深刻な問題だと考えました。なぜなら、存在しない経典を引用することは、ブッダの教えそのものを歪めてしまうことになるからです。

そこで採用したのが、RAG(検索拡張生成)という技術です。ユーザーの相談内容からテーマを判定し、データベースに実在する偈句を検索して、その原文をAIの回答生成プロセスに直接組み込みます。AIが経典を「想像で作り出す」のではなく、実在する言葉を正確に引き出す仕組みです。

利用者にとって大切なのは、返ってきた言葉を自分で確かめられることだと思います。「ダンマパダ 第16章 偈214」と書いてあれば、翌日、図書館で岩波文庫を開いて確認できる。その偈が、本当にそこにある。この「確かめられる安心感」こそが、出典明示の本質です。

会話を残さないという選択

仏教に関わる悩みは、とても繊細なものです。生きる意味について問うこと、大切な人を失った悲しみを言葉にすること、自分の弱さと向き合うこと。こうした対話の内容が、どこかに保存されて分析されるとしたら、安心して本音を打ち明けることはできないでしょう。

「AIブッダ 禅」では、会話内容を保存しない設計を採用しています。ユーザーが送ったメッセージの原文はSHA-256というハッシュ関数で一方向に変換され、元の文章に戻すことは技術的に不可能です。残るのは「どのようなテーマの相談があったか」という統計的なメタデータのみで、個々の会話内容は私たち運営側にも見えません。

宗教的な対話をAIが担うとき、プライバシーの保護は技術的な要件であると同時に、倫理的な要件でもあると考えています。お寺の本堂で手を合わせるとき、その祈りの内容を誰かに記録されることはありません。デジタルの世界でも、その感覚を守りたかったのです。

入口であって、終着点ではない

「AIが僧侶の代わりになるのか」という問いを、よくいただきます。

答えは明確に「いいえ」です。

AIブッダ 禅は、仏教への「入口」でありたいと考えています。仏教の教えに触れてみたいけれど、お寺に行くのは少しハードルが高い。僧侶に相談してみたいけれど、どこに行けばいいかわからない。そういった方が、まずスマートフォンから気軽に仏教の言葉に触れてみる。そこから興味を持った方が、実際の経典を手に取ったり、お近くのお寺を訪ねたりするきっかけになれば、それが最も嬉しいことです。

仏教には「方便(ほうべん)」という概念があります。衆生を真実の教えに導くために、その人の状況に応じた手段を用いるという考え方です。AIブッダ 禅が目指しているのは、まさにこの方便としての役割です。深夜に眠れない人、日中は仕事に追われて立ち止まる余裕がない人、仏教に関心はあるけれど最初の一歩が踏み出せない人。そうした方々にとっての、24時間開いている小さな門でありたいと思っています。

もちろん、AIにできることには限界があります。深い悲しみに寄り添い、共に涙を流すこと。その人の人生の文脈を丸ごと理解した上で言葉を選ぶこと。こうした営みは、人間の僧侶でなければできません。「AIブッダ 禅」には、深刻な精神的苦痛の兆候を検出した場合に、専門の相談窓口や地域のお寺への相談を促す仕組みも備えています。テクノロジーの力を借りつつも、最も大切な部分は人と人とのつながりに委ねる。それが私たちの設計思想です。

「聴く」ことから始まるAI

少し具体的な機能についてもお伝えさせてください。

「AIブッダ 禅」の応答は、5つの要素で構成されています。まず、相談者の気持ちへの「受容」。次に、経典からの引用と平易な解説による「智慧」。そして、今日からできる具体的な「実践」の提案。さらに、引用した経典の「参照」情報。最後に、これはAIによる参考情報であるという「免責」の注記です。

最近搭載した「書き出す」モードは、AIがあえて沈黙する機能です。つらいことがあったとき、本当に必要なのは「答え」ではなく「聴いてもらうこと」である場合があります。このモードでは、ユーザーが心の中にあるものを自由に書き出し、AIはただ静かに受け止めます。書き終えて「おわり」と送ると、全体の内容に最もふさわしい偈句を一つだけお届けします。

これは心理学でいう「エクスプレッシブ・ライティング(筆記開示)」に着想を得た機能で、仏教でいえば「正念(しょうねん)」──いまこの瞬間の自分の心に気づきを向ける実践に通じるものがあるかもしれません。

2,500年の言葉が、いまを生きる人に届くために

変化のスピードが人間の適応力を超え始めたこの時代にあっても、私たちの悩みの根っこは何も変わっていないように思います。人間関係がつらい。将来が不安。怒りが収まらない。自分の存在の意味がわからない。2,500年前、ゴータマ・シッダールタはこうした苦しみの構造を「執着」と「無常」という言葉で説きました。

テクノロジーは、この古い智慧を届けるための新しい器になり得るのか。あるいは、器が変わることで、智慧そのものも変質してしまうのか。正直なところ、私自身にもまだ確かな答えはありません。

ただ一つ言えるのは、経典の言葉は「正確に届ける」ことに最大限の誠実さを注ぎたいということです。AIが便利な道具であるからこそ、その便利さに甘えて出典を曖昧にしたり、存在しない言葉をブッダに語らせたりすることがあってはならない。2,500年にわたって大切に伝えられてきた言葉を預かる者として、その責任の重さを日々感じています。

深夜に眠れない誰かが、ふとスマートフォンを手に取ったとき。その画面の向こうに、ブッダの言葉が正確に、誠実に、届いていること。それが、私たちの小さな願いです。

もし、この記事を読んで少しでも興味を持っていただけたなら、「AIブッダ 禅」と検索してみてください。公式サイトからLINE友だち追加やiOSアプリのダウンロードができます。そして、返ってきた言葉の末尾にある経典名を、ぜひご自身で確かめてみてください。

その偈が、本当にそこにあることを。


●筆者紹介

上村 十勝(かみむら とかち)
VeritasChain株式会社 代表取締役。AI安全性技術の研究開発を行う傍ら、仏教経典に基づくAI対話サービス「AIブッダ 禅」を開発・運営。2026年5月、情報処理学会 人文科学とコンピュータ研究会(CH141)にて研究発表予定。

●サービス情報

AIブッダ 禅(AI Buddha Zen)
公式サイト:https://buddha.aimomentz.ai
LINE:@buddha_zen(友だち追加:https://lin.ee/msExrA1
iOSアプリ:App Storeで「AIブッダ 禅」と検索
Forbes JAPAN掲載記事:https://forbesjapan.com/articles/detail/94376

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