漫画『ろくでなしBLUES』や『べしゃり暮らし』の作者として知られる漫画家、森田まさのりさんが、なんと仏教絵本を出版されました。そのタイトルは『とびだせビャクドー!ジッセンジャー』。この作品は、龍谷大学実践真宗学の学生さんたちによる「Jissenjya Project」(ジッセンジャー・プロジェクト)」というヒーローショーを行う活動から生まれたもので、森田まさのりさんの初めての絵本作品となるのだとか。
今回この『とびだせビャクドー!ジッセンジャー』の出版にあたり、そのきっかけとなる「Jissenjya Project」を立ち上げた、武藤自然(むとうじねん)さんというお坊さんに、いろいろとお話を伺うことができました。絵本が生まれた経緯や、ヒーローショーと仏教がどのようにリンクして、「ジッセンジャー」が生まれたのかなどなど、とても興味深いお話をお聞かせいただきました。ぜひご一読くださいませ!
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−−今回、絵本『とびだせビャクドー! ジッセンジャー』が刊行されるにあたり、その経緯をお聞かせいただきたいのですが、どのようにして絵本『とびだせビャクドー! ジッセンジャー』は生まれたのでしょうか?
近年、子どもや年齢層が若い方、また今まで仏教とのご縁が薄かった方に対して積極的な伝道に力を入れていこう、という本願寺の方針の中で、親しみ易く子どもでも手に取り易い、新しい仏教絵本を出そうという企画が本願寺出版社から出ました。いくつかの候補の中から、私が龍谷大学大学院実践真宗学研究科にてつくりあげた「Jissenjya Project」の活動を絵本にしてみては?という意見が採用されました。こちらとしては夢のような話だったので、よろこんでお受けしました。その後描いて下さるのが森田まさのり先生に決まってからは、絵本の制作に関する打ち合わせ等にも呼んでいただいたので、本当に貴重な経験でした。
−−作者が森田まさのりさんとなっていますが、どのようなご縁があったのでしょうか?
森田先生はご実家が浄土真宗本願寺派のお寺であり、本願寺出版社の方ともご縁がありましたので、お願いすることになりました。先生は高校卒業後、「4年で結果を出せなければ、お寺を継ぐ」という約束で単身東京に出て本格的に漫画家への道を歩まれ、約束通り連載を勝ち取った方なのですが、初連載がヤンキーマンガだったので御門徒さんに紹介しづらかったそうです。以来、何らかの形でお寺や仏教に関わることはしたいと思っておられたそうで、「今回やっと御門徒さんに紹介できるものが描けました」と笑っておられました。
−−絵本となった「ジッセンジャー」の魅力、ここに注目して読んで欲しい!という点がありましたら、お教え下さい。
まずは、あの森田まさのり先生が描いて下さった、ということですね。ヒーローショーから登場しているメインキャラクターである、ビャクドー、ジャカツ、ミドーク、そしてゆうち君達の、絵本版としてアレンジされたデザインがかっこよく、かわいく、元気に暴れまわっている姿には本当に感動しました。とくにビャクドーは絵本版デザインになるにあたり、森田先生から「アイデアを下さい」ということで、私が10パターンくらい新しいデザインを描いたので、より思い入れがあります。私のデザインがそのまま採用されたのではなく、あくまでそれをもとに森田先生が考えられたデザインなのですが、それぞれのキャラクターのデザインモチーフや細かい部分にこめた想いなども、森田先生の側からしっかり聞いて下さったので、安心してお任せすることができました。いきいきと暴れまわるビャクドー達に是非注目して下さい。
お話に関してはもともとのヒーローショーの話を踏まえた上で、短いお話として分かり易くまとめて下さいました。ここでも私がヒーローショーに込めた想いや、それぞれのキャラクターは何故こんな行動をとったのか、何を考えていたのか、ということや、裏設定までしっかりと聞いた上で作って下さったので、細かい設定に変更があっても、とくに心配することはありませんでした。完成までには、森田先生と私と出版社の方を交えて、浄土真宗の教義的に問題がある部分はないか、という確認にも参加させていただきました。「お念仏を称えるシーンが呪文のように見えないか」「阿弥陀様ではなく、仏様にした方が読む人には分かり易いのでは」「仏様だと一般のイメージとこちらのイメージとで違いが出るおそれがあるのでは」等、しっかり話し合った上で完成を迎えたので、細かい所まで読んで下さるとうれしいです。
そして絵本でも踏襲されている「ジッセンジャー」そのものの魅力として、「善とは、悪とは」という問いかけがあります。ビャクドーは見るからに正義のヒーローであり、ジャカツはどう見ても悪の怪人です。しかし、善のヒーローが悪の怪人を倒して一件落着、という勧善懲悪なストーリーではありません。ビャクドーはおっちょこちょいのヒーローだし、ジャカツは自分なりに誰かの役に立とうとしています。そして二人とも、ゆうち君の願いを叶えようとして失敗してしまいます。結局二人の違いとはそんなに大きいものではないんです。そう考えると善とか悪というのは私自身の決めつけでしかない。立場や環境、自分の気持ちといった、コロコロ変わっていくものにレッテルを貼って、カテゴリに分けて区別するのはおかしいんじゃないか。そんな中「自分は正しいんだ」と、無意識に善の立場に立とうとする私。普段当たり前だと思っていることや、深く考えないことに対して「なんかヘンかも」「当たり前じゃないのかな」というような新しい視点を持ってもらうことに意味があるのではないかと思います。是非絵本『とびだせビャクドー! ジッセンジャー』を手に取っていただき、感じたこと、気になったことを家族や友達と話し合ってもらいたいです。森田先生はビャクドー達を気に入って下さり、「是非続編も描いてみたい」とおっしゃったので、後は皆さんの応援にかかっています(笑)
−−次に「Jissenjya Project」についてお聞きしたいのですが、そもそも「ジッセンジャー」ってなんでしょうか?
一言でいえば、「ヒーローショーを活用した伝道活動」です。しかし、このヒーローショーを観れば浄土真宗の教義がすべて分かる、というようなものではないので、仏教に親しんでもらうきっかけづくり、間口を広める活動だと思っていただければと思います。
実は「ジッセンジャー」という名前にも当初は、そう深い意味を込めてはおらず、「実践真宗学研究科で生まれたヒーローだからジッセンジャー」くらいの感覚でつけました。最終的には「言葉や頭の中で考えるだけ」や「座って待っているだけ」ができず、行動していく、「実践していくヒーロー」のような意味合いです。正式なタイトルは『実践者〈ジッセンジャ〉ビャクドー」なので、そもそも「ジッセンジャー」でもないんですけどね。今のところ単独のヒーローなので、戦隊ものでもありません。「Jissenjya Project」のスペルが間違ってるぞ、という指摘も何度もうけたのですが、それも「レンジャー〈rangers〉」ではなく「ジッセンジャ〈jissenjya〉」だからなんです。でも「ジッセンジャー」の方が呼び易いので、そう呼んでもらって大丈夫です。
−−「Jissenjya Project」では、これまでどんな活動をされているのでしょうか?
全国のお寺や、保育園、幼稚園、子どもに対する活動をされているNPO団体等でのご縁を中心にヒーローショーを行っています。公演の流れとしては、まず導入者が登場し、子ども達に対して動いたり、騒いだりして周りの迷惑になることをしてはならない等の諸注意を行った後、プロジェクターによってスクリーンに映像を流します。子ども達が映像を楽しんでいると、映像の中で逃げ出したキャラクターが子ども達の前に実際に現れ、そこから目の前でヒーローショーが始まります。物語が完結すると、お坊さんが現れ、まとめの法話を行い、最後にはキャラクター達と記念撮影、握手会をする、というのが公演の大まかな流れです。会場によっては、その後のイベントにスーツのまま参加させてもらったり、子ども達とショーを振り返りながら、「あの時のキャラクターの心情」「自分だったらどうするか」等、話し合う時間をもらったりする事もあります。
−−どうしてヒーローショーを使った伝道活動をされようとしたのですか?その発想はどこから生まれたのでしょうか?
一つは単純に私自身が昔から特撮モノが大好きだったからです。ヒーローや怪獣なんかが活躍するのを観るのが好きですし、正直そういったものに関わる仕事がしたいと思っていた時期もありました。また、お寺の子ども会等で子どもに関わる機会が多かったことと、子どもに対する伝道活動を行っていく必要性を感じていたこともあり、ヒーローショーを活用した伝道活動というものを思いつきました。ですが、実際に企画するに至る大きなきっかけのようなものはありました。とあるお寺で子ども会に参加中、レクレーションの一環で絵を描いていた時のことです。小学6年生の男の子から「なんで先生は大人なのに仮面ライダーの絵ばっかり描いているの?」と尋ねられ、「好きだから描いているんだよ。大人だろうが、何だろうが、好きなものには胸をはっていいんだ。」と、よく考えずに応えたんですね。するとその男の子は、「そうなんだ、良かったー。もう中学生になるから仮面ライダー卒業しなきゃダメなんだと思ってた。大人も好きなぐらいだから、自分が好きなら気にしないでいいんだね。」と言って笑ったんです。これは単に1人のオタクを世に生み出しただけの話ではあるんですけど、「なるほど、好きな事を好きと言えるのも、なかなか難しい事だったのかもしれない」と思うようになりまして、どうせなら好きな事も大切なことも思いっきり主張してみようかと思い、仏教とヒーローショーを組み合わせた伝道活動をしてみようと決意したんです。その後、当時の研究室の先生から背中を押されてからは、メンバー集め、デザイン、スーツ制作、脚本、撮影と、夢中で準備を進めました。
−−ジッセンジャーの活動で、こだわっている点、魅力だと思われる点はどんなところでしょうか?
一つは公演を映像と舞台の二部構成にしているということです。最初にスクリーンで映像を観た時、子ども達の視点は客観的なものであり、第三者的立場にあるんですね。物語を楽しんでいても、ほとんどの場合はあくまでフィクションとしての楽しみ方です、当たり前といえば当たり前ですけど。しかし、ヒーローショーが中盤になると突然映像の中のみの存在であったはずのキャラクター達が、子ども達の目の前に現れるんです。この時、子ども達の視点は第三者的なものではなくなります。自分とは関係ないと思っていた世界が、自分の目の前に広がり、子ども達はフィクションだったはずの世界の当事者になる訳です。現に、子ども達は映像を観ている時は比較的静かにしていますが、本物のキャラクター達が現れると、泣いたり、笑ったり、様々な反応を見せてくれました。この演出が意図していることは、あらゆる事柄は自分自身に起こり得るものであり、劇中のキャラクター達の悩み、問題と自分は無関係ではないということを伝えることにあります。テレビや新聞で報道されるニュースや、他人の身に起きる物事に対して、自分にも起こり得る問題だととらえることは難しく、ましてや浄土真宗で語られる「煩悩具足の凡夫(ぼんのうぐそくのぼんぶ)」とは自分自身のことであるといわれても、実感が湧きにくいものです。だからこそヒーローショーを活用することで、子ども達にも「自分は無関係」とか「自分だけは大丈夫」という感覚を破る表現をできるのでは、と思ったのです。そして、その中で「あなたを決して1人ぼっちにさせない方」がいる、という事を伝えたかったんです。
もう一つはお寺と子どもをつなぐことで、お寺と家族をつなぐことができるところです。仏教は誰の為にあるのか、と問われれば、それは「十方衆生(じっぽうしゅじょう)」であり、他ならぬ「私」に向けられた教えであることは間違いないのですが、一般的にはお爺ちゃんお婆ちゃんの為のものというイメージが強いのではないかと思います。これまではそれでも家庭内でお念仏するお爺ちゃんお婆ちゃんの姿を通して家族にもお寺とのご縁が継承される場合が多かったのだと思いますが、核家族化がすすみ、「個」を尊重する現代ではそうはいきません。家族内の「個」に向けて伝道活動を行う際、子どもを主体として活動していくことが重要になると感じたんです。子どもを主体とすることで、親、家族ともご縁を結ぶことができると考えるからです。実際にヒーローショー公演後に寄せられた感想の中には、「今まで保育園の話を家庭でしたことはなかったが、ヒーローショーの後は一生懸命話してくれるようになった」「家庭の会話の中に阿弥陀様の話がでた」「保育所では未だにヒーローショーの話題が出る」等の意見が見られ、「Jissenjya Project」の活動の一つの成果として実感できる報告が寄せられました。子どもが家庭でお寺での体験を一生懸命話してくれるということは、家族内でのつながりを深めるとともに家族の一人一人に対して仏教とのご縁を広めるきっかけになると信じています。
−−「ジッセンジャー」の活動を通して、伝えたいことはどんなことでしょうか?
第一には「安心」、つまりヒーローが自分を助けに来てくれる、ということから、「自分のことを見守ってくれる存在がいる」ということを伝えることで安心感、生きる希望を伝えることができると考えています。「いのちのつながりのなかで生かされる私」「一人じゃない」ということをメッセージとして伝えたいです。必ず助けに来るヒーローの活躍を通じて、阿弥陀仏のはたらき、「決して見捨てることのない世界」を伝えることを目的としています。
第二には、見る者に「新しい視点」、気づきのきっかけを与えるということです。ショーでは、ヒーローと敵怪人という善と悪の象徴が登場し戦いますが、決着をつける前に相手の立場や考えの違いに気づかされる、という内容から世の中の善悪の判断が必ずしも正しいわけではないということを視覚的に表現できる部分に大きな意味があると思っています。自分の価値観を改めて見つめることで、自分自身を見つめ直すきっかけになる、そのような点においてこのヒーローショーは大きな役割を担うと考えています。社会的な価値観は時代と共に絶えず変化する為、正しいとはいえず、社会から一方的にレッテルを貼られ、優劣のふるいにかけられ苦しめられることもあります。それは子どもだって同じです。このヒーローショーは一般的な価値観を超えた新しい視点を考えるきっかけになり得ると感じています。
第三には、人と人との「つながり」を実感し得る場が提供されることです。現代の子どもが抱える問題の一つに「孤独」が挙げられると思います。これは子どもだけに限られたものではありませんが、現代では外での遊び場の減少、またインターネットや、ゲーム等のコミュニケーションツールの多様化により、かえって他人と顔を合わせる機会が減少し、その結果、孤独感を深めることにつながっているのではないでしょうか。ヒーローショーは、子ども同士のなかで一体感を共有できる場を生み出し、共に目で見て肌で感じたことを語る会話を生み出すきっかけになると考えています。だからこそ「ジッセンジャー」のヒーローショーは「京都で公演をやるから来て下さい」ではなく、呼んでいただいた場所へ公演に行く、という形をとっています。
−−武藤さんの「ジッセンジャー」におけるお気持ちや今後の抱負、これだけは言いたい!という想いなどございましたら、お願いいたします。
私は「Jissenjya Project」の第一線からは、すでに離れていますが、活動自体はこれからも京都で一生懸命活動していってくれると思っています。また、私個人としては今住んでいる関東、もしくは地元である熊本に戻ってから、「Jissenjya Project」での活動で得た事を活かした何らかの新しい活動をしていこうとは考えています。「ジッセンジャー」は私のすべてである、と言っても過言ではありません。それだけ私のすべてを注ぎ込んだものです。それは単にヒーローが好きだ、ということだけでなく、1人の僧侶として真剣に取り組んだ伝道活動である、という事です。
「Jissenjya Project」は単なるイベントを目的とした活動ではなく、その活動の中で自ら学び、伝えていきたい事は、阿弥陀様の願い、はたらきです。ショーの内容で語られる、自己中心性にとらわれ、自分の姿を見ようともしないキャラクター達が、阿弥陀様によって自分自身の本当の姿に気付かされるという事を通して、この活動に関わる全ての人が阿弥陀様の願いに照らされているという事を伝えていきたい。子ども達も保護者も、そして企画に携わる我々も、ありのままの命を平等に救いとる阿弥陀様の願いを感じることができる視聴覚伝道の活動が「Jissenjya Project」なんです。こうした取り組みは、すべての人々が阿弥陀仏に願われた「御同朋(おんどうぼう)」として、支えあい、かがやきあいながら共に歩むことのできる活動と思います。共に聞き、共に味わい、共によろこび、共に生きることの実感を生む事を目指す活動であるから、「Jissenjya Project」の活動の本質は、仏徳讃嘆であると考えています。勤行や法話等が大切な伝道活動である事は言うまでもありませんが、今まで仏教とのご縁を感じにくかった方々への積極的な伝道活動にも、より力を入れていきたいです。
「Jissenjya Project」、そして絵本『とびだせビャクドー! ジッセンジャー』を応援よろしくお願いいたします。
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武藤自然
浄土真宗本願寺派観行寺衆徒。
1989年熊本県八代市生まれ。
いつまでたっても特撮モノから卒業できず、2013年に龍谷大学大学院実践真宗学研究科にて「Jissenjya Project」を設立。ヒーローショーを活用した伝動活動を始める。
いまだに新たなヒーローを生む野望を秘めている。
2017年現在は千葉県のお寺で法務員を務めている。