【未来の仏教対談 vol.3】国家鎮護の寺に伝わる“祈り”とは? 歴史から考える「お寺と宗教者の役割」森本公誠長老×松本紹圭さん(後編)

「未来の仏教対談」は、今という時代をどうとらえ、これからの仏教をどう創造していくのかという若き僧侶たちの問いを巡って行われる、日本仏教界のリーダーたちと松本さんによる真摯な対談シリーズ。

第三回は、奈良・東大寺に森本公誠長老を訪ねました(前編はこちら)。

後編では、宗教・宗派を超えた「祈り」について、奈良時代のお寺と仏教に与えられていた役割を振り返ると同時に、いまの時代の宗教者に求められる役割やあり方について対話が行われました。

(構成:杉本恭子)

◉「祈りの寺」としての東大寺

松本
東大寺は学問寺であると同時に、祈りということをずっと続けられてきたお寺です。ある意味で、「祈り」もまた学問と同じように、宗教・宗派を超えて共通に扱えるような普遍的なテーマではないかと思います。ぜひ、祈りのプロである森本長老に、「祈ること」についてお伺いしたいと思います。

森本長老
イスラム史を研究してきたものですから、「仏教とイスラムはあなたのなかでどういう具合につながっていますか?」とよく聞かれるんですよね。たしかにまったく相反する宗教ですが、どちらも人間の生きるべき道を示していることだけは共通なんですね。

イスラムでも仏教でも、結局は人のために祈るということでは同じだと思います。

イスラムでは1日に5回の礼拝をしますが、それは日本人がご利益を願って拝むような「祈り」ではないんですよ。彼らの礼拝は、神とのつながりを体験していくためのツール、チャネルなんです。子どもの頃から祈りを重ねることによって、「あ、そういうことなのか」と神の存在をわかってくるんだと思います。

松本
浄土真宗では「祈り」という言葉を使わないのですが、イスラムの定義でいうと、念仏は阿弥陀仏と私の繋がりを言葉を通じて聞き確かめるチャネルという意味で、「祈り」に近そうですね。

森本長老
コーランのなかには、繰り返し神の名が出てきます。それこそ念仏的にね。「神のことを忘れない」ということを心得てさえおれば商売に精を出してもかまわない。すると、結局は感謝の礼拝になっていくんですよね。

お釈迦さまは悩み苦しんでいる人を助けるために教えを説かれました。じゃあ、その悩みというものを解きほぐすにはどうすればいいか? その人自身の悩みというものをわからなければ絶対に救えないですよね。それが寄り添うということではないでしょうか。

修二会での祈りもまったくそうです。修二会というのは大きくは国家のための法要ですから、「国家安泰」「万民豊楽」という言葉で言いますけれどね。

松本
修二会の祈願文に挿入される「加供帳(かくうちょう)」には、現在の政権を担う内閣総理大臣はじめ、各省庁の大臣などのお名前も読み上げられるそうですね。

森本長老
国家を背負っている大臣が安泰でないと、国家も安泰にはなりませんから。今であれば、安倍首相以下の各大臣の名前を唱えるという形式になっています。

松本
それは、大導師が現在の総理を支持しているかどうかではなく、必ずそうするという決まりになっているわけですね。

森本長老
個人的な支持や不支持は関係ないですね。大臣のお名前を読み上げながらガーッと鈴を鳴らしてね、「天下泰平ならしめたまえ!」とドーンと振り下ろすわけですね。14日間繰り返しますから、だんだん「なんとかしてくれんと困るやないか!」という思いも籠ってくるんです。私が大導師を勤めたときも、日に日に「しっかりしてくださいよ!」と、鈴の振り下ろしが激しくなっていきましたねえ。

僧侶に求められた「具体的な役割」

松本
修二会は、大仏開眼(752年)と同時に始まり、そのはじまりから二月堂の御本尊である十一面観世音菩薩の前で「悔過(けか)」という、過ちを懺悔して悔い改める儀礼が行われてきたそうですね。

以来絶えることなく、東大寺の僧侶は国家と万民の罪過を懺悔する役割を担い、その功徳によって「国家安泰、万民豊楽」がかなうようにと祈り続けておられる。毎年繰り返し、国家や人々の罪に心を寄せて懺悔する期間を持つというのはすごいことだなと思います。

森本長老
東大寺の僧侶として、伝統的に受け継がれたものに参加することで次の世代に送ることができるんだという意識は当然持っているので。あまり、それが大変だとか、みなさんが同情してくださるほどのことはないと思うんですよね。

自分たちはいつも国家安泰を祈っているので、あまり違和感はないんです。歴史的に、東大寺は国がつくったお寺ですから、国がぐらつくと寺もぐらつく。明治までは絶えず、国の動きを注視してきたのだと思います。

松本
国家の動きは、お寺としても当事者性があったということですね。

森本長老
明治までは、国家と一体化することが当然だったんですね。

そもそも奈良時代の僧侶というのは、国家が認定する「官度僧」であり、国家のために祈るという役割が与えられていました。天災や飢饉が起きると国家がぐらつきますから、そうならないように祈り、国家を安泰ならしめようというわけです。

ところが、聖武天皇の時代には、6年間の飢饉と疫病の流行がありました。こうしたとき、僧侶に祈らせるだけでは民の暮らしが良くなるとは限りません。聖武天皇は地方の豪族から援助を受けながら治水・灌漑事業などを進めていく行基さんの働きに注目します。

聖武天皇は、僧尼がみな行基さんのような知識を得て、地方の民を助ける役割を果たすべきだと考えたらしいんですね。それが実は、国分寺・国分尼寺に反映されているのです。

松本
国分寺・国分尼寺といえば、国家鎮護のために全国に建てられたと言われていますが、聖武天皇はどのような役割を期待したのでしょうか。

森本長老
お寺といっても、ハコモノだけを作っても意味がないんですよ。聖武天皇の詔では、国分寺には20人の僧侶を置き、国分尼寺には10人の尼僧を置くと記されています。そして、僧尼は祈りをする役割だけでなく、精神修養、人間教育の役割をも担っていたのです。

大宝律令は、六斎日(8日、14日、15日、23日、29日、30日)の殺生を禁じて、海の漁師も山の猟師も禁漁日とすることを定めています。つまり、六斎日は休日にさせて、お寺で僧侶の説法を聞くようにさせたのです。8日は『金光明最勝王経』の転読に参列し、14日は在家の者も「八斎戒」を受けて一日一夜だけでも守るようにと勧めたことが記録に残っています。

聖武天皇の「社会貢献する仏教」構想とは?

松本
なるほど、お寺の僧尼たちは、国家鎮護に関わるより具体的な役割を与えられていたということになりますね。聖武天皇は、国分寺・国分尼寺が全国的な社会貢献の場のネットワークとなることを期待されていたということでしょうか。

森本長老
聖武天皇は、原野を拓くために土地を開墾したものに私有権を認める「墾田永年私財法」を発布し、のちに寺院にも墾田を許しました。国分寺には1000町、国分尼寺には400町、東大寺は4000町が認められています。

お寺に土地の私有権を認めたということは、経済的な措置をしたうえで、祈りや教育の役割を与えることです。聖武天皇は、仏教そのものが民を守り、国を富ませることにどういう貢献しうるのか、大きな考えを持っていたのではないかと思うんですね。

松本
そこにおいて、東大寺はどのような役割を担っていたのですか?

森本長老
国分寺・国分尼寺の僧侶たちの教育をする役割ですね。大仏殿の裏には大きな講堂があり、その講堂を囲むようにして巨大な僧坊が建てられていた。古代建築の専門家に言わせると、1000人ぐらいは収容できたのではないかということです。

松本
タイなどの上座部仏教での 「開発僧(かいほつそう)」や、エンゲージド・ブディズム(Engaged Buddhism)」の運動では、菩提心の開発が中心としてありながらも、経済が回っていかないと民衆の生活は整っていかないと考えられました。奈良時代の国分寺・国分尼寺はそれに先駆けて、システマティックにやっていたんですね。

森本長老
そうだと思いますね。中国では、則天武后は大雲寺、玄宗皇帝は開元寺というお寺を全国につくりましたので、「真似ごとにすぎない」と言われる学者の方もおられます。しかし、「中国をモデルにしている」という一点のみで評価するのは、雑駁すぎるのではないかと思うんですよね。

私は、聖武天皇は君主として何をなすべきことかを決断するなかで、国分寺・国分尼寺をつくるということも行われたんじゃないかと思いますね。

post-religion時代の宗教者の役割とは?

松本
最後に、私自身が今、意識している「post-religion」というテーマについてお伺いしたいと思います。

「religion」の語源には「かたく結ぶ、縛る」という語源があり、ほぼ一神教の宗教を指しているわけですね。つまり、「religion(宗教)」という言葉には、何かひとつを撰び取ると、他を排除するというニュアンスが常につきまとうものというニュアンスが常につきまとっています。

私はいろんな国のいろんな分野で活躍する若手にお会いする機会に恵まれるのですが、すごく面白いのは、どの国の人たちにも「宗教離れ」が進んでいるように感じられるんです。西洋のキリスト教圏の人たちも、イスラム圏の人たちも、宗教を問わず。しかも、それがいわゆる「世俗化」という訳でもなく、宗教的感性はかえって今までより高まっていく方向にあるようにも感じます。むしろ、そういう人たちの感性に、既存の宗教の枠組みが取り残されているというか。

彼らの多くが「I’m not religious, but I appreciate spirituality」と言います。宗教熱心ではないけれど、spiritualityを大事にしていると言うんですね。これから、少なくとも経済力があり高い教育を受けている都市部の若い人たちは、どんどん「縛るもの」から離れていくでしょう。こうした宗教を取り巻く外部状況を、私は「post-religion」と呼んでいます。

だけど、こんな時代だからこそ心を大事にしたい、自分の心を耕したいという感覚は強くなっているんじゃないか。それは、もしかしたら森本長老がかつて学生でいらっしゃった頃の感覚に近いものがあるのかもしれません。

「post-religion」の時代には、仏教、あるいは伝統宗教が培ってきた「叡智」としての普遍性は、改めて見直されるのではないかと思っています。「post-religion」の流れを踏まえたところで、宗教あるいは宗教者の役割をどうお考えになりますか?

森本長老
そうですねえ。大きな視野としては、地球環境の問題があるじゃないですか。たとえば、マイクロプラスチックの問題なども、科学者だけに任せておけばいいのではなくて、宗教に関わる人もある程度は自分たち自身としてコミットしてもいいのではないかと思います。

そのくらいの大きな立場を持っていないことには、それぞれの地域コミュニティのなかでの存在意義というのは限られてくるように思うんです。「自分たち人間が住むのはこの地球しかない」ということは、強調しすぎるくらいにしておいたほうがいい。

同時に、これからますます家族もバラバラになり、お葬式もしないというような寂しい時代になっていきます。そうすると「いったい自分はなんのために生きてきたのか」と悩むことが非常に多くなると思うんですよ。どのようにして「個」というものを、自分自身で守っていくのかが、一番問題になるでしょうね。

松本
今日を生きる人であれば、誰にとっても問題になることですね。

森本長老
どうすれば少しでも心が軽くなるのか、いろんな方法があるなかで自分には何が一番適しているのかを探していかないといけない。その全てについて、宗教者が助けるのは難しいと思います。非常に多様化もしていますから、専門性が必要となる分野もあるでしょうね。

松本
そう考えると、何か仕事をされているなかで問題意識を持って、「仏教の観点からどう捉えるんだろうか」とお坊さんになり、両方の観点を持ちながら新しい価値を生み出していくというのも良いのかもしれません。

「お坊さんが何をするか?」というよりも、いろんな人がお坊さんになってみる期間があってもいいでしょうね。どちらかというと、上座部仏教にはそういうところがありますけども、仏教がもっと出入り自由な場所になったら素敵だなと思います。

今日は長時間にわたり、たくさんのお話をしていただき本当にありがとうございました(終)。

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。