このような激流にあっても、食がいただけること
食に携わる全てのみなさまへの感謝と、忘れがちな自身への厳戒をこめて
2015年に出版された著書より一部編集し再掲します
いつもありがとうございます
祈法身堅固諸縁吉祥
2020年3月23日
星覚九拝
以下、「心が調う食の作法」(ディスカヴァー・トゥエンティワン)より
素直に真似をしてみよう
そんなの無理と思っている人がいるかもしれません。そんな人はまずまわりで食を大切にしている人を見つけて真似をしてみてください。
日本にもドイツにも日々工夫を重ね、黙々とこのような作法を実践しているお坊さんがたくさんいます。
たとえばベルリン出身のドイツ人のお坊さん、安泰寺のネルケ無方老師は言語や文化のハンディをものともせず、兵庫県の山奥で応量器を使った食事をしながら伝統的な禅の生活と農業を組み合わせた自給自足に近い生活を営んでいます。名を知られていなくても人知れず見習うべき生活を実践しているお坊さんが世界中にたくさんいます。
いや、お坊さんに限りません。もしかしたら隣に住むおばあちゃんだって食の作法を実践している人かもしれません。そういった人たちに聞いてみて下さい。理屈を理解しようとすると難しくなりますが、真似をすることならすぐにできます。食の作法を真似することは先人達の生き方を学ぶ最も簡単なきっかけ、一番の近道です。意味がよくわからなくても、先輩たちが創りあげ、伝えてきた作法にただただ従って、素直にそれを真似してみましょう。
ここまでに紹介してきた永平寺の食の作法は私が体験した、私の知る限り最も理にかなった食の作法です。しかしこれも時代や場所によって変化するもので、絶対的に正しいものではありません。道元禅師自身も「手で食べていたというお釈迦さまの作法を本来は真似するべきではあるが、今暫くは日本の習慣に従って箸を使う」と赴粥飯法に書いています。箸を持って食べる伝統的なやり方も、さまざまな環境の中で変化しているものであり、固執するものではありません。常に師にならい、より理にかなう方法を求め続けることが大切です。
自然もお手本になります。お釈迦さまは「遺経(ゆいきょう)」で理想的な食事の仕方の例として、花と蜂の関係を挙げています。すなわち蜂が花の蜜を吸ってもその色や香りをそこなわないような食のあり方です。そういった自然の姿を真似してきたのがお坊さんの生き方です。
永平寺の先代住職、故宮崎奕保(みやざきえきほ)禅師様は自然についてこのようにおっしゃっています。
「自然は立派やね わたしは日記をつけておるけれども
何月何日に花が咲いた 何月何日に虫が鳴いた ほとんど違わない
規則正しいそういうのが法だ 法にかなったのが大自然だ 法にかなっておる
だから自然の法則をまねて人間が暮らす 人間の欲望に従っては迷いの世界だ
真理を黙って実行するというのが大自然だ
誰に褒められるということも思わんし
これだけのことをしたらこれだけの報酬がもらえるということもない時が来たならばちゃんと花が咲き そして黙って
褒められても 褒められんでも すべきことをして 黙って去っていくそういうのが 実行であり 教えであり 真理だ」
(NHKスペシャル「永平寺104歳の禅師」2004年6月放送)
こういった言葉を人知れず黙々とぎょう行じているお坊さんたちにならい、真似をすることで、私もなんとか食の作法を続けることができています。
「あなたはどうやって食べていけているのですか?」という質問をよく頂きます。
「食べていく」は現代ではほとんどの場合「お金を稼ぐ」という意味でのみ使われています。当たり前のことですが食べていくには、食べるしかありません。食の世界はお金でなく、命を中心にめぐっているのです。
食べるためにできる一番の努力は「食べることに正面から向き合う」こと。お金を稼ぐことにすりかえてはいけません。まず必要なのはきれいな水と空気、それに大地と命、自分自身。それらを調えるためにできるだけのことをするしかありません。
食の作法に従った生活を真似し始めて10年経ちますが、今のところ飢えや寒さに困ったことはありません。それどころか以前よりも健やかに生きられるようになり、今までに見えなかった可能性が開けてきました。それは買い物にいって何かを手に入れるような類のものではなく、自分自身が伝統そのものに入っていく、霧の中を歩いているといつのまにか衣が湿るようにじんわりと、しかし確実に伝わってくる、そういう感覚です。
代々伝えられてきたお坊さんたちの生き方は最初は意味がよくわかりませんでした。実のところ今でもよくわかりません。毎日学んでいる状態で、学びきることもないのかもしれません。しかし今、安心して歩みを進め、自信を持ってみんなにお勧めできるのは、昔から実践され続けてきた生き方であり、私の一存ではないからです。今、世界中でこのような生き方が見直され、まなばれています。
禅に新しい生き方の可能性がある
もしあなたがお金を稼ぐことを中心とした生き方に疑問を持っているのなら、そうではない生き方が営まれていることを知ってほしいと思います。
こういうと必ずそれは現実的でないという反論があると思います。
「あなたは運が良かっただけで、普通の人には無理、お金をきちんと管理して計画的に生きたほうがかえって欲のない自由な生活ができるでしょう。もしお金を求めず家族や仲間を路頭に迷わせたらどうするのですか」
と。鎌倉時代にもこうしたやりとりがあったようです。『正法眼蔵随聞記(しょうぼうげんぞうずいもんき)』で、ある人が道元禅師に次のように尋ねます。
「最近では各自が衣食住に困らぬよう準備をするのが常識です。備えがあれば修行に乱れもおこらず、仏道を学ぶ助けにもなるでしょう。ところが、道元禅師のご様子を見ると、一切そのような準備をせず、ただ天運にまかせていらつしゃるようです。それが本当であれば後々困るのではないでしょうか。きちんと生計をたて、安心して修行に励むことは貧りとは違うのではないでしうか?」
これに対して道元禅師は
「それについては、わたしがあえて個人的な考えでやっているのではなく、昔の人の実例があります。お釈迦さまは衣と鉢の他は少しもたくわえずに困っている人に施しなさいと教えています。どの程度ならいいというきまった標準もありません。自分のはからいで暮らしを立てようとしたらきりがありません。もし食べる物が全くなくなり、その日の生活に事欠くようになったら、その時には、この勇ましいやり方を引っ込めもし、対策も講じましょう」
と応えます。つまり
「個人的な考えではなく、代々実践されてきたものであること」
「無理をせず、もし本当に問題がおきたらその時はその時に対策を講じること」
を強調しています。
道元禅師は説明や説得をしようとはしていません。この話題についても自分から語り出したのではなく「聞かれたから」答えています。「こうすれば大丈夫なぜなら…!」と理屈で説明できるようなものではないということでしょう。実践ありきで、言葉でいくら表現しても、木に竹を接いだようなことにしかならないのかもしれません。
現代ではインターネットによって世界中の様子がリアルタイムでわかるようになりました。700年以上前は安心できなかったかもしれませんが、果たして今現在、食は欠乏しているといえるのでしょうか。一人ひとりが争うことなくまわりの人のことを想いわかちあえば、「食は足りている」というのが事実なのではないでしょうか。
奪い合えば足りないものも、分けあえば余り、持ち寄れば笑顔がこぼれます。資本主義に疲れたら一度立ち止まってみましょう。お金のやりとりの土俵にのらない生き方がちゃんとあるのです。このような暮らし方は「たまたま」できているのでしょうか。私はそうは想いません。確かに言えるのはたとえ小さく簡単なことでも、食への向き合い方を変えることで、大きく難しそうに見える世界のあり方がガラリと変わるということです。
イエス・キリストが5つのパンを、集まってきた5000人にわけたという有名なお話があります。5つのパンを5000人にわけることは普通に考えれば無理です。しかし集まって来た5000人の人たちがイエス・キリストの食への姿勢を見て、自分の資源を(パンに限らず)みんながそれぞれ満足できるように分かち合い始めたらどうでしょう。この世界はすべて関連して成り立っているので、みんなが慈悲の心を持てる状態にあれば、頭で考えたら絶対に不可能と思われることでも実際にはそうではないことがたくさんあるのではないでしょうか。
アイディアとしてはおもしろいけれど、やっぱり自分には無理だよと思うかもしれません。実は私もそう思う時があります!しかし無理なものが2500年も伝わってきているのはなぜでしょうか。興味深いのはこういった生き方を可能にする作法が軍隊を持たず、税金もとらない共同体の規範として生き続けていることです。インド、中国から 日本まで伽藍が守られ、古今東西多くの人がZENの有効性を信頼しているという事実には、何かわけがあるはずです。こういった規範は代々実践を続ける人たちによってはじめてその妥当性が実証されるのです。理屈による説明が追いつかなくても、実践してみることは誰にでも簡単にできます。
食べる前にはまっすぐ合掌して「いただきます」。
簡単なことから始めればいいのです。
食べた後にはお茶で洗鉢(せんぱつ)して「ごちそうさまでした」。
弱気な時も感謝の気持ちが湧いてきて、今日もできることをしようと思えてきます。
人間という「管」を食でととのえていく
食を変えることで、世界が変わります。 ヒタスラというのは管になることではないかとイメージする時があります。
道元禅師はひたすら坐禅をすることを「只管打坐(しかんたざ)」と書きました。これを「ただ管となって坐る」と読み替えてみたら面白いのではないでしょうか。これは私の勝手な想像ですが、人間を「考える管」ととらえ、食で管を調えれば皆元気に仲良く暮らせそうです。
三木成夫さんという20世紀の生物学者は人間が受精卵から細胞分裂を繰り返して発生する過程を研究しました。その研究によると受精した卵子から一番最初にできるのは後に「管(くだ)」となり内臓となる原口(げんこう)なのだそうです。人間活動の中心だと思っていた手脚、眼や脳なとの器官はいわゆる「後付け」の機能と聞き、面白いなと感じました。
内臓は健康に決定的な影響を与えます。仕事の能力や社会的地位に関係なく内臓がやられると死んでしまうという事実。これはどんな生き方をするにしても全人類に例外なく共通することです。食を調え、管を調え、身心を調えることは、生きるために最も効果的な方法だとお寺のお坊さんたちは知っていたに違いありません。
管であるという視点から世界を眺めると、やるべきことがはっきり定まってきます。それまでは身体は自分がすべてコントロールしていると思っていましたが、じっと静かに食に向き合っていると考えが変わってきます。心臓、血管、食道、胃腸、肌門…実際にはそれぞれが意志のおよばない動きをしていて、せっせとそこに入ってくる何かを受け入れ、送り出しているのです。
今まで人生の中心だったはずの私の意志は、その大きな動きに比べるとほとんど何もしていないも同然の非常に微々たるもの。それどころか心配事があると眉間にシワをよせ、顎をカタくし、肩をすぼめ背中に力を入れることに一生懸命です。ゆだねることを拒み、呼吸や血液の、消化物の流れを淀ませ、管の邪魔ばかりしている姿はだだっ子のようです。
ルールや作法が苦手だった私が禅の食の作法を好きになれたのは、管を調えるという単純さのおかげです。流れる水を淀ませない、重力に従って洗い清める、とにかく理にかなってシンプルなのです。腸の色の違いによって差別されたという話はきいたことがありません。言語、人種、思想の違いも管には関係ありません。皆同じ。
食の作法を通じて自分がナマコと同じような管であることを実際に体感すると、個々人の能力の違いはミドリムシかゼニゴケかの違いのようなものと思えてきます。
今までは何かミスをしてもどうしても謝ることができなかったのが、ありのままを受け容れながら素直に謝ることができるようになってきました。その理由は「できないものはできない、そのことで自分の存在価値をすべて否定されたわけではない」と、表面的な能力の差に怯えなくてもよいと思えるようになったからです。
自分の中にあるあらゆる管は以前よりも滞りなく、しなやかになめらかに、動き出すようになりました。食や姿勢を変えることで世界が変わっていくのだ、変えることができるのだという実感を強く覚えました。
管を調えると身体も心も元気になります。すると普段の行動が変わり、心に変化が現れます。そこをきちんとしていると道を間違えようがないのです。それほど管を調える人のまわりは理屈抜きに澄んで心地がいいのです。お金や名声がなくてもそういう人のところには自然に心の伝わる人や、ご縁があつまってくる。実際に禅寺にはそういう人たちがたくさんいました。
禅の情報そのものは、昔は中国まで船でいくほどの苦労をしないと手に入らないものだったのかもしれません。しかし今は発言したことが一瞬で世界中に伝わる時代です。だからこそ極力言葉にせずに実践でまわりの人に伝えることを続けていく。そういう意味で内臓からつながれば、いつか人間の根本をはずさない生き方を世界中の人が共通に持ち、当たり前のように実践できるようになるのではないでしょうか。
食べて飲んで排池するという誰にも共通する行為を基準にみんなで智慧を出し合えば、多少のいさかいはあったとしてもみんなが心から満足して働き、食事を頂き、健やかな人生を送ることができるでしよう。私たちの世代では難しくとも、50年後か、100年後か、次の世代にはきっと実現するはずです。
一期一会から永平寺の生活に出会い、ただただ食の作法を真似する日々。それで「食べていける」ことに驚く人も(時には自分自身も)ありますが、道元さんなら「ほらね、その生き方で大安心だっただろう」と当然のことと言ってくれるような気がしています。そんな暮らしに興味を持ってくださる人がいて、このような本を書く機会を頂いたことを嬉しく思います。
それはこの星に住むみんなが関わり、伝えてきた食の作法です。私がそれを実践できているのも私の力ではありません。だからこそこれからも袖触り合う人にこの作法を伝え、次世代に継承すべく、日々精進する所存です。
食の作法で身心を調えましょう。 同じ釜の飯を頂いた仲を大切にすると世界はつながり、必ず問題は解決していきます。最後まで読んで下さりありがとうございます。
ここをいい星にしましょう。
祈諸縁吉祥福壽無量
平成二十七年五月吉日
星覚九拝
殊謝 末筆ながら本書の執筆にあたってご協力頂いたここに書ききれない多くの皆様、特に藤田浩芳様、田村記久恵様、永見宏樹様、風間天心様、青江覚峰様、前田美樹様、熊谷貴絵様にはこの場を借りて厚く御礼申し上げます。誠にありがとうございます。
引用 以上