複雑な世界を生きる 〜「お寺の掲示板大賞 2022」彼岸寺賞の作品を味わう

早いもので2022年も残すところあと僅かになりました。今年一年は、皆様にとってどんな一年だったでしょうか。

年末ということで、今年一年を振り返りつつ、「お寺の掲示板大賞」彼岸寺賞に選ばせていただいた言葉を味わってみたいと思います。

さて、今年もたくさんのお寺の掲示板の投稿がありましたが、彼岸寺では「自分が思いつく理由づけだけで、人生は説明できるわけではありません」という言葉を彼岸寺賞に選びました。この言葉は、法然院の梶田真章貫主がNHK「こころの時代」に出演された時に話されたものだそうです。

今年この言葉を選んだのは、様々な不条理に満ちた人生を自分なりに説明し、納得して生きていくために「わかりやすい答え」や「都合の良い情報」に飛びついて理由づけをし、誤った考え方にたどり着いてしまいかねない私達のあり方に、一つのブレーキとなってくれるような言葉であるように感じられたことが大きな理由です。

今年一年を振り返ってみましても、ロシアによるウクライナへの侵攻という世界を揺るがす大きな出来事がありました。さらに日本では、元首相の安倍晋三氏が銃撃される驚くべき事件もありました。さらにそこから統一教会と政治との関わりが明らかになるなど、日本の社会不安がより一層深まるような状況が続いています。

2020年にはじまった新型コロナウイルスの流行が未だ続く中で、それに追い打ちをかけるようなショッキングな出来事が続いているわけですが、それでもこの厳しい現実を私たちはなんとか受け止めてこの人生を歩んでいかなければなりません。しかしそれは強い不安やストレスが伴うものです。

特に、私達にとって大きなストレスの一つとなるのは「わからない」ということ。

「なぜ新型コロナウイルスは流行したのか?」
「新しいワクチンは本当に人体に悪影響はないのか?」
「ロシアはなぜ戦争を始めたのか?」
「安倍晋三氏はなぜ殺されたのか?」

私達は、自分が厳しい現実に巻き込まれる当事者でありながら、事の真相の核心から離れた第三者のような立場であり、「どうしてそうなったのか」「どうすればよいのか」がわからない状況に置かれがちです。今自分が驚くべき状況という結果の部分に身をおいていることだけは理解できるけれど、しかし自分がそんな目に遭わなければならないその原因が見えてこない。そうなると、事の因果関係や対処方法がわからず、大きなストレスとなっていきます。

あるいは私達の人生についても、「どうしてだろう?なぜだろう?」という疑問は、次々に起こってきます。それらを一つ一つ、つぶさに観察し、考えて、答えを出して、でもそれが間違っているかもしれなくて、また考えて……としていけたら良いのですが、それはとても労力のいる、しんどいことです。だからこそ「わかりやすい答え」であったり、自分に都合の良い納得のできる情報であったり、「そうだったのか!」という気づきの体験を得たい。そんな欲求は、おそらく誰にでもあることでしょう。

そんなストレスや欲求を持つ私達に対して、もし「これが真実です」というわかりやすい答えや、自分にとって納得のできる「都合の良い情報」を用意してくれるものがあったら……それが本当かどうかはわからない、しかし、「わからない」ことに起因するストレスや、気づきを得たい欲求は、それらの答えや情報によって解消されていく。そうなると、ついそのようなものに飛びついてしまいたくなります。しかし、そのような「わかりやすい答え」や「都合の良い情報」は、物事をごくごく単純化してしまっている危険性も孕んでいます。

しかし、私達が身を置かねばならないこの現実も、私達が歩まねばならないこの人生も、私達が想像する以上に複雑で、簡単に納得できたり、理解できたりするものではありません。

梶田師の言葉は、まさにその「複雑さ」を私達に教えてくれています。

仏教では「因縁果」という言葉で表現されますが、今起こっている物事(「果」)には必ず直接的原因となる「因」と間接的原因である「縁」があると考えます。その「縁」の部分をすっ飛ばして、「因」となるものだけを提示するような物の見方は、正しく物事を見つめることには繋がりません。しかし、その「縁」となるものは、実に複雑で、理解することが難しい部分でもあり、つい、わかりやすい形で「因→果」と考えたくなってしまいます。しかし、いくら種だけがあっても花は咲かないように、花が咲いたところには種があり、土壌や水、日光、気候など種々の条件が伴っていることにも目を向けなければ、「種さえあれば花が咲く」というような誤った考え方にたどり着きかねません。

私達が身を置くこの現実も、この人生も、その種と花の関係以上に、複雑な「縁」が絡み合って生じています。ひょっとすると、物事(果)が起こった「因と縁」を本当に正しく理解できる人は存在し得ない、それができるのは智慧に目覚めた仏様だけ、と言えるかもしれません。

そのくらい、複雑に絡み合った関係性の中に生きるのが私達です。「自分は今なぜここに存在しているのか?」「私はなぜこんな辛い目に遭わなければならないのか?」「今現在、どうしてこんな社会になっているのか?」考えだしたらキリがない問いに晒されながら生きる中で、どうしても「わかりやすい答え」を求めてしまうことが、特に深い悲しみや不安の中にある時などには、必ずあるでしょう。

しかし、その時に目の前に差し出される「わかりやすい答え」や「都合の良い情報」は、ひょっとすると誤った考え方に陥ってしまうものの可能性もある。様々な情報が溢れ、触れやすい時代だからこそ、「わからなさ」や「複雑さ」としっかりと向き合っていく姿勢が、私達には求められているのかもしれません。

とてもしんどいことでもありますが、「陰謀論」や「カルト」に振り回されないためにも、「自分が思いつく理由づけだけで、人生は説明できるわけではありません」という梶田氏の言葉を、しっかりと座右においておきたいものですね。

それでは皆様、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。