皆さま、改めましてあけましておめでとうございます。本年も彼岸寺をどうぞよろしくお願いいたします。
さて、毎年恒例となっております干支にちなんだ「仏コラム」、今年は寅年ということですので、「虎の教え」ということで書いてまいりたいと思います。
仏教が生まれたインドの地は虎の生息する土地ということもあり、人を襲う可能性のある獣として恐れられていたことが仏典からも伺えます。またお釈迦様の入滅の時の様子を表した「釈迦涅槃図」に虎も描かれていることからも、当時のインドでは身近な動物の一種だったことがわかります。
そんな虎ですが、仏教のエピソードで最もよく知られるのが「捨身飼虎(しゃしんしこ)」のお話ではないでしょうか。お釈迦様の本生譚(ジャータカ)や、「金光明経」に登場するエピソードで、子を抱え飢えた虎に我が身を施し、その命を救った王子こそが、お釈迦様の前世であった、という物語です。
このエピソードは法隆寺の玉虫厨子にも描かれていることでも有名です。また手塚治虫の『ブッダ』の中にも取り入れられており、アッサジという登場人物が、自らの身を飢えた狼に捧げてその命を終えていくというシーンとして描かれています。他者のために自分の命さえも厭わないという究極とも言える「慈悲」であり「布施行」のあり方を示すのが、この「捨身飼虎」の物語となっています。
しかし、この教えはあまりにも難しいものでもあります。実際に他者の命を救うために我が身を投げ打つということは、なかなかできることではありません。ただ、これは究極の形をとった一種のたとえですから、そこまでのことはできずとも、他者のためにという「利他」や「布施」を大切にせよという教えとして受け取るならば、私たちにとってもう少し受け入れやすい教えとなるように思います。
そしてもう一つ、虎が登場するエピソードとして、「獅子と虎」という物語がありますので、こちらも紹介しましょう。
ある森にスダータというライオンと、スバーフという虎が住んでいました。二匹は兄弟同然に育ち、とても仲が良かったそうです。この二匹の他に、森にはジャッカルも一匹住んでいました。このジャッカルはいつもスダータとスバーフの食べ残しにあずかって生活をし、食べることに事欠かない生活をしていました。しかしある時このジャッカルは、「あのライオンと虎のおかげで、これまでいろんな肉を食べてきたが、まだライオンと虎の肉は食べたことがない。なんとか食べることはできないだろうか」と欲望を燃え上がらせました。そしてこの二頭を仲違いさせればいいということに思い至ります。
ジャッカルはまずライオンのスダータに「スバーフがあなたの悪口ばかりを言っていますよ」ということをささやきます。しかし兄弟同然に育ち、スバーフのことをよく知っているスダータはその言葉に耳を貸さずに、「我が友スバーフがそんなことをするわけがない!」とジャッカルを追い返します。そこでジャッカルは今度は虎のスバーフに「スダータがあなたの悪口を言っていますよ」と告口をすると、スバーフは驚き、スダータのところへ行き、それを問いただしました。
するとスダータは、「それはジャッカルの虚言だ。彼は私のところにもやってきて、同じことを囁いた。他人の言葉も吟味せずに信じて、友のことを信じられないのは愚か者のすることであり、真の友とは言えないぞ」とスバーフを諭します。スバーフはジャッカルの言葉を鵜呑みにしてしまった自らの不明を恥じ、スダータに心から謝罪をし、二匹は再び友となったのでした。ジャッカルはこれではとても森にいられないことをさとり、森から逃げ出すしかありませんでした。
と、このようなお話です。この物語で説かれているのは、他者の言葉を鵜呑みにせず、自分でしっかりと考えること、そして友を信じることの大切さ、ということであると思います。あるいは、ジャッカルのように人を仲違いさせる言葉「両舌」を用いるものは必ず身を滅ぼす、という戒めとも受け取れるかもしれません。
私たちの社会を振り返ってみても、人と人とを分断させようとする言葉というものが残念ながら存在しています。味方のフリをして恐怖を煽り、他者に敵対心を抱かせて、自分は甘い汁を吸おうとする、まさにこの物語に登場するジャッカルのような存在がいるということは本当に恐ろしいことです。昨年も「Dappi」というTwitterアカウントの存在が問題となりましたが、分断を生むことを目的として情報を扱われると、何が真実なのかということが判別しにくくなり、抱く必要のない不安や怒りに苛まれてしまうこともあるでしょう。
そういう世界に生き、さらに自分にとって耳馴染みの良い情報、都合のいい情報を「正しいもの」と受け取りがちな私たちでもあります。だからこそ、流れてくる有象無象の情報を鵜呑みにしたり、脊髄反射的に心を動かされてしまうのではなく、しっかりと自分の中で吟味するということを意識する必要がある。そんなことをこのエピソードから学ぶことができるのではないでしょうか。
虚々実々、さまざまな情報が氾濫する時代だからこそ、この「虎の教え」を心に留めながら、寅年の一年を過ごしたいものですね。