多様性を考える 〜「生き方見本市 HOKURIKU」に参加して〜

11月30日、私の所属するお寺、恩栄寺にて「生き方見本市HOKURIKU #2 石川県加賀市・恩栄寺」が開催されました。お寺でこのようなイベントを行いたいと主催者の方からお申し出ををいただいた時には、お寺にとってもはじめての試みということで不安もありましたが、「生き方」についてや「多様性」という部分でお寺や仏教との親和性を感じたことから引き受けさせていただきました。

私もオープニングセッションのトークを担当したり、いくつかのセッションに参加したりと「生き方」や「多様性」ということについて考える一日となり、少し感じたことを記しておきたいと思います。

・多様性ってなんだろう?

今回の「生き方見本市HOKURIKU」でスピーカーとしてセッションに登壇された方々は、LGBTQの当事者と、その家族や友人という関係にある方、そしてさまざまな形での依存症をもった方、学校や職場を「休む」という選択をした方、障害を個性ととらえアーティストとして活動する方、拡張家族というこれまでの「家族」の枠組みを超えた家族の形を模索する方、そして日本に暮らす外国人と、それぞれが自分の在り方を問いながら、自分らしく在る生き方を選択した方たちでした。

そんな「生き方見本市」に実際に参加して気づいたのは、私が想像していた「多様性」というものはむしろ限定的で、それをさらに超える「多様さ」というものがあったのだということです。そして「多様性」というものはただ単に「さまざまな個性や違いや価値観があっていい、それを認め合っていこう」ということだけではないのではないか、ということをふと感じました。

・多様性のはじまりにある願い

それは「生き方見本市」の統括を行う藤本遼さんとお話する中で見えてきたことでもあるのですが、藤本さん曰く「多様性というものはキラキラだけじゃなくて、もっとドロドロしたもの」ということだそうです。

多様といわれるような生き方を選択した人は、「人と違う」ということを個性や価値として認めていくことができる時がくるかもしれないけれど、そこまでの過程や背景には世間で当たり前とされていることや人と違うことに悩んだり、違いを揶揄され傷つけられたというような悲しい経験があったり、自分を受け入れてもらえないんじゃないかという恐怖があったりする。今回の「生き方見本市」では、人に話すことでどう思われるかわからず怖かったとおっしゃる方もいました。キラキラとした「多様さ」だけではなく、それぞれが抱える苦しみもまた「多様」なのです。

そんなことは当然だと感じる方もおられるかもしれませんが、私がイメージしていた「多様性」というものには、その部分がすっぽり抜け落ちていたような気がしました。「多様性」を認めていこうとするムーブメントのポジティブな側面、キラキラとした部分にのみ注目してしまっていたのかもしれません。しかしその背景には、人それぞれ違う「生きづらさ」という苦しみ、呻きがあって、それを克服して誰もが自分らしい生き方ができるようにという願いがはじまりにあったのではないでしょうか。

・多様性が目当てとするもの

そしてもう一つ考えたこととして、「多様性」とは誰を目当て(対象)としたものなのかということです。なんとなくこれまではマイノリティとされる人であったり、生きづらさを抱えた人たちが、より生きやすくなるようにと開かれてきたのが「多様性」というものだという理解が私にはありました。しかし、よくよく考えてみますと、この「多様性」ということは、全ての人を包摂しようという考え方であるとも見ることができるのではないでしょうか。つまり「多様性」という概念に含まれない人は誰一人おらず、「少数派/多数派」という別け隔てもなく、それぞれの人、一人ひとりに光を当てていこうとするムーブメントであるということです。

となれば、そこには私自身も含まれているということです。これまでどこかよそ事のように見ていた自分がいましたが、決して「多様性」ということは他人事ではなく、私自身の生き方にも関わることだったのです。その立場に立つことによって、自分自身の存在が肯定され、他者に対しても、その価値観全てを理解することができずとも、お互いに受け止め合えるということが実現されていくのかもしれません。

・仏教と多様性

今回、この「生き方見本市」ということを通して、仏教と多様性ということについて考え、少しトークもさせていただいたのですが、その中で浄土真宗で大切にするお経の中から「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光(*1)」という言葉や「宮商自然相和(*2)」という言葉を紹介しました。前者はそれぞれの持つ色のまま輝ける世界を、そして後者は異なる音色(特徴)を持ったものが、手を取り合うことでより素晴らしい音色を奏でることができると味わえる言葉です。そこから仏教も「多様性」を認める教えとして聞いていくことができるとお伝えしました。
(*1)「青き色には青き光、黄なる色には黄なる光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」極楽浄土に咲く蓮の花の様子を表す一節。(『仏説阿弥陀経』より )
(*2)「宮・商、自然にあい和す」極楽浄土という世界では、違う音同士が、お互いを邪魔することなく、美しい音色となるということが描かれた一節。(『仏説無量寿経』より)

また浄土真宗では「阿弥陀仏」という仏さまを大切にします。この阿弥陀仏は「あらゆるいのち」を目当てとし「誰一人漏らさない」とはたらく仏さまです。「多様性」を、あらゆる人を対象とした概念と見るならば、親和性があるように感じられるのではないでしょうか。

そして仏教の原点には「私は苦悩の存在である」という真実があります。そこから「苦」を克服する「智慧」を求める道がはじまるわけですが、私が苦しみ・悲しみを抱えた存在である、ということは、同時に誰もが苦しみ・悲しみを抱えた存在だということでもあります。その地平に立った時、今度は「慈悲」の思いに繋がっていきます。

私たちは自分の苦悩でいっぱいいっぱいになってしまい、なかなか他者の苦悩にまで目が向かないかもしれません。しかし、私が苦しみを抱えているのと同じように、他者もまた苦しみを抱えている。その視座に立った時、他者を思いやる気持ちや、優しさに繋がっていく。この在り方もまた「多様性」ということを考え上で、相通ずる部分があるように感じました。

そして仏教もまた、教えを私事と受け止める姿勢がなによりも大切です。「この私のため」と受け止めていってはじめて、教えの尊さに出会うことができるもの。その姿勢もまた、「多様性」と向き合う上で大切なことを教えてくれているように思います。

・さいごに

今回「生き方見本市」に参加して最も印象的だったのは、自分のことを人に話すのが怖いとおっしゃっていた方も、自分の在り方を話すことで「スッキリした」とおっしゃっていた場面でした。きっとそこには、その人の抱える苦しみに誰もが目を向け、そしてその人の在り方を受け止めようとする優しい時間と空間が作り出されていたのでしょう。

また運営スタッフの方々の実に活き活きとしておられる姿からは、新しい価値に触れたり優しさに出会えることが喜びや楽しさにも繋がっているのだなということも感じられました。このような人それぞれの「生き方」や「多様性」を共に考える場は今後ますます必要とされていくことでしょう。

これからまた各地で「生き方見本市」が予定されているそうです。気になった方はぜひご参加いただければと思います。

生き方見本市ウェブサイト
https://www.ikikata-mihonichi.com/top

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。