小出さんの連載「ひらけ!さとり!」が『教えて、お坊さん!「さとり」ってなんですか』という本になりました。もうすでに手に入れて読まれた方も多いかと思いますが、もしまだの方がおられましたら、ぜひぜひ書店でお手にとっていただきたいと思います。間違いなく、オススメの一冊ですので。
そんな小出さんのインタビューの中でも、私が一番衝撃的だったのは、釈徹宗先生との対談の中での、
「縁起の理論が客観的科学的な事実なのかどうかは、まあ、どちらでもいいんです。〜(中略)〜なにも仏教は科学的解明を目指しているわけじゃないですからね。科学の立場と合致していてもしていなくても、どっちでもいいんですよ。なぜ縁起の立場に立つのか。それは執着から離れて、まずはこの苦難の人生を生き抜くためでしょう」
という釈先生のお言葉でした。
このお示しは、私にとって大きなショックでありながらも、とても納得させられるものでした。確かに、仏教の目指すところは、この世界の仕組みを、客観的・科学的事実を明らかにすることではありません。お釈迦様の原点に帰るならば、「生老病死」という「苦」を解決することこそが、仏教の主たる目的です。私たちは縁起的存在である。諸行無常であり、諸法無我の身である。ならば、自己に執着する必要もなかった。「生老病死」という「苦」は、自己への執着から生まれるものであるから、縁起を見つめて、その執着から離れていきましょう、というのが、仏教のロジックです。
しかし、私はここに一つ疑問を感じました。お釈迦様は、「生老病死」の「苦」を解決する術を見つけるために、出家し、道を求められたわけですが、自分自身の「苦」を解決する道を求めているはずが、「諸行無常・諸法無我」というところ、つまり自分のことだけではなく、この世界の在り方にまで視野が広がっている、という部分です。自己の抱える「苦」の問題であれば、自分自身の在り方ばかりに目を向けてしまうものだと、智慧の及ばない私などは思ってしまうのですが、それがどうして、自分の向う側にある世界にまで、思索が及んだのか。ここのところが、とても不思議であるなあ、と感じるところです。
もちろん、そこがお釈迦様のすごいところです。自分自身の在り方を見つめる中に、自分は決してただ一人で存在し得たのではなく、様々な縁の重なり合いによって初めて在ったのであり、そして、そういう縁起的存在であるならば、常に変化しないということもあり得ず、変化しない私の本質(=我)もまたあり得ない、という「諸行無常・諸法無我」という在り方にたどり着かれた。しかし、それすらも執着から離れるという大きな目的にたどり着くための指針であって、それが科学的真実であるかどうかはさほど問題ではない、という釈先生のお言葉から考えるならば、さらにそこからもう一度、自己へと還ってきているということです。自己の在り方を見つめる中に、世界の在り方が見え、そしてまた自己へと還り来る。このフィードバックこそが、仏教の大きなポイントなのかもしれません。
そしてもう一つ。「諸行無常・諸法無我」という在り方や、縁起という在り方を通して私を見つめる時、私という存在は、執着するべき「よすが」のない、仮初のものであった、ということが知らされます。この突きつけられる在り方というのは、かなり厳しい教えです。私自身も、かつては仏教の説く、私という存在をまるで空虚なものであるかのようにとらえる見方はとても苦手で、好きではありませんでした。しかし、仏教を学び、縁起という教えを聞いていく中で、ふと感じたのは、私は様々な関係性や条件の元でしか存在し得ない、そして常に変化し続ける、危ういものであるかもしれない。けれど見方を変えると、様々な「縁」によって、そんな私が「今」成り立たせられている。「私」という本質は、どこにも無いものなのかもしれないけれど、「縁」によって、無いはずの「私」が「今」ここに在る。このことは、とても不思議なことであり、稀有なこと、有り難いことではないのだろうか、ということでした。
このことを思った時、無味乾燥で冷たいもののように感じられた仏教の物の見方も、がらりと変わりました。縁起であったり「諸行無常・諸法無我」という教えも、裏を返せば、この私の「今」が、様々ないのちのはたらきによって支えられてあるものであり、どんな過去も無縁であったものはなく、そして、あらゆる過去と、現在と、未来と、大きく関わる「今」をいただいている、ということかもしれません。仏教は、私にただ単に空虚を突きつけ、執着を離れよと迫るだけの冷たい教えではなく、「空」であるには違いない私に、なにか大きな意味を与えてくれるような、温もりを感じることのできる教えであると、今は感じています。
小出さんの本について少し触れるつもりが、なんだか大きく脱線してしまいましたね……ともあれ、こんな風にいろんなことを考えさせてくれる一冊となっております。皆さまも、ぜひぜひお買い求めいただき、「さとり」に触れていただければと思います。