言葉の不思議 不思議な言葉

3月で、息子も1歳と9ヶ月を迎え、言葉もずいぶんと話せるようになってきつつあります。最初は私のことを「とー」と呼んでいたのが、いつしか「おとー」になり、今では「おとーちゃん」とまで言えるようになりました。

物や人の名前も、教えるとすぐに口に出そうとしますし、名詞だけでなく、「あかい」や「おっきい」などの形容詞、「いく」とか「よむ」とか、動詞も話し、「あっち・いく」とか「ごほん・よんで」などと、意思を伝えることもできるようになってきました。

そんな言葉を話し始めている息子の姿を見て、言葉の力って、すごいなあ、と今更ながらに感じました。子どもが「あっち・いく」と言えば、私や妻は「あっち行こうね」と言いながら、子どもの行きたいところへ行きますし、「ごほん・よんで」と言われれば、絵本を読んであげるということをします。これってつまり、言葉1つで人を動かすできる、ということ。それってまるで魔法のようではないですか!

それができるのは、子どもだけではありません。「お醤油とって」と家族に言えば、お醤油をとって渡してくれるように、私たちも言葉によって人に動いてもらうということは日常茶飯事です。そして言葉で動かすことができるのは、行動だけではありません。美しい詩は、人を感動させることができますし、愛の言葉は人をドキドキさせることができます。あるいは、「りんご」という言葉1つで、頭のなかに「りんご」の色や形、人によってはその味さえもイメージさせることもできます。言葉というものは、実に不思議なものです。

しかし、残念ながら、言葉は完全なものではありません。こちらの意思を伝えても、相手は思い通りに動いてくれるとは限りません。あるいは、心を動かすこともできる言葉が、人の心を深く傷つける刃に変わることも多々あります。また「嘘」という言葉は、人を欺く恐ろしい手段になってしまいます。そして、人によっては言葉の受け取り方が違うため、誤解を招き、言葉を発した側の意図とは違うように受け取られて、炎上、なんてことも近年よくあることです。言葉は、人の行為や心に作用する不思議な力があるものですが、不完全で、危ういものであるということも、忘れてはなりません。

そしてもう一つ。とってもとっても不思議な言葉があります。それが、「南無阿弥陀仏」という言葉。「なむあみだぶつ」あるいは「なもあみだぶつ」と読むこの言葉、私の口に発することのできる、人間の言葉でありますが、実は、私を超えた存在、阿弥陀仏という仏さまから届けられた言葉なのです。あるいは、阿弥陀仏という仏さまが、私を喚ぶ声であるとも言われます。そしてこの言葉には、私を仏にするという力のある、不思議な不思議な言葉です。でも、なんだかよくわからないような、信じがたい絵空事のようなことに感じるかも、しれません。でも、私の口に「なんまんだぶつ」という言葉が出るのもまた事実。それはもちろん、浄土真宗のお坊さんだから、ということもありますが、もともとは出るはずのなかった言葉が出るというのは不思議なことです。

ウチの息子も、私の真似をして「なんなんちゃん」と言いながら手を合わせます。言葉の意味も、どんな言葉なのかも、わかっているということはないでしょうし、親の真似をしているに過ぎないのかもしれません。でも、我が子の口にお念仏が出るんです。こんな不思議で、嬉しい事はありません。

今日3月18日からは、お彼岸の期間です。是非皆様にも、不思議な不思議な言葉、「南無阿弥陀仏」に出遇っていただけたらな、と思います。

南無阿弥陀仏

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。