先日、『禅と林檎 スティーブ・ジョブズという生き方』という本を読んでいたら、アメリカ人のZENとの関わりの多様性について、こんな一文を見つけました(P201,「第2部 日本の禅から世界のZENへ」)。
“「禅」への関わり方も、僧形で寺院に住む者から、ナイトスタンド・ブディストと呼ばれる、あくまで夜寝る前に軽い知識として触れる程度の人々まで、極めて多様です。”
「ナイトスタンド・ブディスト」。なんだかちょっと心惹かれる言葉です。日本にはこういう呼び名はないけれど、「彼岸寺」を読んでくださるみなさんを含めて、「仏教に軽い知識としてちょっと触れる程度の人々」はけっこうたくさんいるのではないでしょうか?
もう少し詳しく「ナイトスタンド・ブディスト」のことを見てみましょう。
ネットで検索してみますと、『東京禅センター』のサイトに、田中ケネス先生の「仏教と世界 伸びるアメリカ仏教とナイトスタンドブディスト」と題した論文が掲載されていました。同論文によると、アメリカでは”仏教徒”は人口の約1%(約300万人)だけれど、「正式な仏教徒ではなくても、仏教に何らかの強い影響を受けている人たち」を含めると数倍に跳ね上がり、「ある調査によれば、約2500万人」にも上るとされているそうです。
ナイトスタンド・ブディストについては、「”仏教徒”とは断言せずに仏教に興味を持っている人たち」であり、「特定の宗教団体に関わらず、自分の”体験”を重視する」という性質を持つと定義されていました。これを読んでピン!と来る人もいるのではないでしょうか?
どこかのお寺や宗派に属しているわけではないけれど仏教は好き。お寺に行くのも、お坊さんと話すのも楽しんでいるし、坐禅会にも参加したりするけど「仏教徒ですか?」と問われたら「うーん…」と言いたくなるような感じを抱いている――心当たりはありませんか?
お坊さんたちもまた宗派を超えた交流をしていたり、「ナイトスタンド・ブディスト」的な人たちと場を共にする活動を展開されています。田中ケネス先生は、「今後も欧米では、ナイトスタンド・ブディストの数が増え、新しい仏教の芽が開いていくことが予測される」と締めておられましたが、日本でも同じような流れがあるように思います。
「仏教徒」「仏教者」とはまた別に、「ナイトスタンド・ブディスト」みたいな、ちょっといい感じの新しい呼び名がつけられたら、この「仏教やお寺が好きで…(略)」という人たちの層がぐっと見えやすくなると思うのですが、なにかいい名前はないかしら?
ちなみに『禅と林檎』は、「禅が見え隠れする」ジョブズの名言を拾いだして、禅の立場から解説を試みた本。たとえばかの有名な「Stay Hungry, Stay Foolish」は、『宝鏡三昧』の最後の一文「潜行密用は、愚の如く魯の如し、ただ能く相続するを、主中の主と名づく」につながるのではないか、などと「へえ!」の連続です。
「夜寝る前にベッドの灯りで」読む一冊にぜひ!