ポストモダンかつ文学的なお坊さん/ 松下弓月さん(2/3)

「掲載用に、昔の写真を何枚かお願いします」――『坊主めくり』では、お坊さんになる以前のお話をうかがうことが多いので、インタビュイーに過去の写真提供をお願いすることがあります。幼き日の得度のお写真などはほほえましい限りですが、出家・剃髪直前のお姿には驚きを禁じ得ないことがあります。剃髪と衣というスタイルの変化、そしてお坊さん生活はこうも人を変えるのかとビックリするんですよね。

でも、今回のタイトル画像に使わせていただいた弓月さん写真は、はっきり言って史上最大のショック。誰だって、これを見たら「昔のアイドル?」と目を疑いますよね(愛と青春のナントカみたいなレコードのジャケットみたい!)。というか、インタビュー記事の前文なのに、写真のことばかりにかまけてスミマセン。ひとり抱えていたこの衝撃を、誰かと分かち合いたかったんです…(ふー)。

さて、彼岸寺編集長・松下弓月さんインタビュー第2回は、修行時代に初めて向き合った仏教とどんなふうにつきあい、自らの”文脈”にしていったのかというプロセスの部分をうかがっています。第1回をまだ読んでいない方は、ぜひ最初からご覧いただければと思います(第1回はこちら)。

仏教が目の前に迫ってきた!

——修行に行くことで、それまで感じてきた苦しみが軽減され、そこで仏教に出会われた。

そうですね。修行中は、仏教がそこまで自分に染み込んできたかというとよくわからなかったです。ただ、とにかく毎日のなかで明確に目標が定められていて、まったく新しい考えとして仏教が目の前に迫ってきました。それをどう受け止めるのかをずっと考えるという状況が生まれてきて。自分がいやだと思っていたものに「付き合わされていた」状況から、目の前に現れた新しいものを「どう受け止めようか」というふうに心の動きに変わったのが良かったし、楽になったんじゃないかな。

それで、仏教には苦しみと向き合うための方法が何かあるのかもしれないと感じて、修行後に『彼岸寺』の活動に関わったり、本を読んだりいろんな人の講演を聴きながら、その方法を探しはじめました。しばらく模索した後、仏教に関わってきた人たちの経験と、自分の抱えてきた経験に重なるものがあるとわかってきて、仏教には苦しみを解体する方法があると確信するようになったんだと思います。

——自分と仏教のリンクが深まるそのきっかけとなった仏教者には、どんな方がいらっしゃいますか?

南直哉さんとダライ・ラマ法王のおふたりかな。南さんに関しては、ご自身が仏教に向かわれた原因とその過程で経験されたことと、自分の経験に重なる部分があると感じたので、私も仏教から何か得られるかもしれないと思いました。

ダライ・ラマ法王については、それとはまた別な感じですね。亡命して50年間一度も自分の国に帰れず、何百万人もの同胞を殺され、お寺は壊され文化を根こそぎやられてしまっても、平和的な対話を続けていくというスタンスを変えておられない。あまりにも大きい存在だし、自分には絶対にできないだろうなと思うけれど、人間にはそういうことも可能なんだなと感じるので。ダライ・ラマ法王のような在り方を可能にする仏教は、自分にとっても心の働きや活動をするうえで糧になる部分があるかもしれないと感じました。

仏教には”方法論”がある

——「仏教には苦しみを解体する方法がある」とおっしゃっていますが、その方法論について話していただけますか。

たとえば、お釈迦さまが悟りを開いたプロセスを説明し、苦しみをなくしていく方法論を教える「四聖諦」という教えがあります。「四聖諦」では、自分の苦しんでいることの原因や過程をひとつずつほどいていけば、いずれ自分が今感じている苦しみも消えていくと説かれています。こんな風に、方法論をきっちり説く宗教はほかにはあまりないんじゃないかな。

——その考え方に触れたときは「なるほど!」と思われたんですか?

思いません(笑)。最初は修行中に講義で聞いただけなので、教義の説明として頭に入っただけでした。最初に読んで、後にも読んで、その後にも読んで、何度も読んで触れてきたなかで、やっとそれが単なる文字ではなくて体験としてイメージできるようになってきました。

——弓月さんは、ご自身と仏教をリンクさせるきっかけとして、他の仏教者との出会いをあげておられました。イメージを膨らませるうえでは、他の人がどういう風に仏教と向き合っているかを知ることが手がかりになるでしょうか。

ただ、人の経験を見ているだけでは手がかりにならないかもしれません。興味を感じたら、そこから先は自分自身で歩いてみないことには血や肉になりませんから。人から聴いて、何か自分に合うと感じるものがあるなら、自分で探していくしかないと思います。仏教について教えてもらうといっても、答えを教えてもらえるわけではないので。

他の人の仏教の方法論や考え方のフレームに触れて、自分なりにそれがどういうことなのかを考えて、自分にとってどういう意味があるのかを捉えなおしたうえで実践してみる。さらに、実践して感じたことをもう一度フィードバックする。仏教語で「聞思修(もんししゅう)」と言いますけれど、この繰り返しのなかでしか、自分にとってどういうものが仏教なのかというものは出てこないと思います。

——仏教を”実践する”方法として、具体的にはどんな方法に興味を持っておられるんですか?

瞑想ですね。瞑想は、呼吸を観察することからはじめて、自分のなかで生じている感覚の流れを見ていきます。「足が痛い」という感覚があれば、「そこに痛みがあるんだ」とひとつ距離をとって観察し、足が痛いという「”苦しみ”に呑みこまれずにいられる自分」というステージに出るという方向に行くようです。自己流でやるのは難しいものなので、良い師を見つけて学びに行きたいのですが。

自分自身が「学びたいことを学べる師を探したい」という必要を感じているので、同じ必要を感じる他の人にも役立つ仕組みを作れないかなと考えて、『彼岸寺』のリニューアルで『仏教人』というデータベースを作りました。それぞれが師となる人を見つけるには、まずはどんな人がいるのかという情報が伝わっていないと出会うこともできませんから。

プロフィール

松下弓月/まつしたゆづき
1980年神奈川県生まれ。東寺真言宗 福生山宝善院副住職。国際基督教大学(ICU)教養学部人文科学科卒(教養学士)、青山学院大学大学院文学研究科英米文学専攻博士前期課程修了(文学修士)。現在は『彼岸寺』編集長をつとめる。

福生山宝善院
東寺真言宗。建久三年(1192年)、鎌倉八幡宮寺(今の鎌倉八幡宮)に下向した京都・東寺の学問僧によって開山される。京都より請来された本尊不動明王 は、鎌倉八幡宮の大銀杏の下で暗殺された鎌倉三代将軍・源実朝公の妻・坊門信子(僧名:本覚尼)の念持仏と伝えられる。江戸時代には東海道五十三次平塚本 陣の菩提寺として栄えた。昭和20年7月16日の平塚大空襲で全焼するが、戦前までこの地方最大のお祭りは境内にある須賀神社の「午頭天皇の宮」で大いに 賑わった。

お坊さん、地域で生きる人、職人さん、企業経営者、研究者など、人の話をありのままに聴くインタビューに取り組むライター。彼岸寺には2009年に参加。お坊さんインタビュー連載「坊主めくり」(2009~2014)他、いろんな記事を書きました。あたらしい言葉で仏教を語る場を開きたいと願い、彼岸寺のリニューアルに参加。著書に『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)がある。