法然院は、誰でも境内に入ることのできるお寺です。春には椿、夏は緑、秋は紅葉と庭を見に来られる方も多く、また数多く行われるコンサートや個展を目当てに来る方もいらっしゃいます。ご住職の梶田さんは、おつとめの合間を縫って書院で法話をされているので、立ち寄った観光客の方がお話を聴いていかれることもあります。訪れた人がそのときの気持ちに合わせて、お寺や仏教との縁を結んでいける細やかなグラデーションが法然院にはあるのです。法然院のあり方、梶田さんのご住職として、そして僧侶としてのあり方を、ロングインタビューでお伝えしてまいります。
九鬼周造さんに導かれるようにして
先代住職だった父は、高校生の頃から九鬼周造さんが好きだったので、京都大学に入ったときに「九鬼周造の墓がある法然院から大学へ通いたい」と、先々代の住職に下宿させて欲しいと頼みに来たんですね。でも、法然院は下宿生を置いていなかったので、「もう一軒、常光院というお寺を預かっているのでそちらならいいよ」と引き受けたところに、先々代の一人娘である母がいて。簡単に言うと、法然院に九鬼さんのお墓がなければ、私は生まれていなかったということになります(笑)。
父が佛門に入ってからは、祖父が法然院を、父が常光院を預かっており私もそこで育ちましたが、衣を着てお経を読むという経験はまったくせずに普通の子どもとして育ちました。常光院は、黒谷の金戒光明寺という浄土宗大本山の塔頭ですから、寺の子どもたちは山門にボールをぶつけたりして境内で遊んでいましたよ。当時は文化財だからとやかましく言われなかったので、そういうことができたんですね。
祖父が往生した後は、父が法然院の住職もするようになりましたので、私も大学入学と同時に父と一緒に法然院に移って僧侶としての生活を始めました。でも、得度式というのはしていないですし、いつお坊さんになったのかよくわからないんです(笑)。法然院は単立寺院なので、宗派の修行場所には行かなくてもいいんですけども勉強になるということで、大阪外国語大学卒業後に佛教大学の通信講座を受けました。そのときに、知恩院で加行(けぎょう)を受けましたので、浄土宗の住職になれる資格も持っています。
法然院は、かつては浄土宗の別格本山というかたちでしたが、昭和28年に祖父の代に独立して単立寺院になったんですね。祖父は、戦中・戦後の混乱のなかで浄土宗という宗派を頼りなく思い、宗派に所属するメリットがなく、デメリットの方が大きいと考えたのでしょう。常光院もまた、祖父・父のときは、黒谷の塔頭でありながらも単立寺院として独立していました。私の次に、弟が常光院の住職になり、住職が別々になりましたので常光院は塔頭としてわかりやすいように浄土宗に戻っています。
(写真:法然院境内入り口の白砂壇から山門を見る)
“開かれた共同体”としてのお寺
「お寺は”開かれた共同体”であらねばならない」というコンセプトは、先代が遺してくたものです。檀家だけでも、観光客だけのためのお寺であってもいけない。それぞれの方に役割を果たせるお寺であることが理想的だということです。先代は、1?2ヶ月に1回ほどのペースで、桑原武夫さん、鶴見俊輔さん、多田道太郎さんなど、京都のそうそうたる学者さんを中心に、京都市民を巻き込んで現代の風俗を研究する『現代風俗研究会』を開いていました。たとえばトイレのあり方やお風呂の入り方に焦点を当てたり身近な風俗について、学者だけではなく一般市民からの視点も集めて発表しあうというものでした。多いときは100人ほどに来ていただいていましたね。
私は先代ほど現代風俗に興味がなかったので、私は私の興味が続いていく範囲で、市民とつながるお寺として何かできることをしようと思い、住職になった翌年から『森の教室』を始めました。また、その後にコンサートや美術作品の個展を持ち込まれる方がいらっしゃって、私は音楽も美術も好きですから会場としてお寺を提供することも始まっていきました。そうして、いろいろ引き受けていたら自然とこんなお寺になったんです(笑)。
イベントのおつきあいから生まれる縁
最初は持ち込まれたものを引き受けるだけでしたが、そのうち私が好きな人に来ていただくコンサートもするようになりました。場所貸しをするときは、住職はその音楽を気に入っていなくてもいいんです。聴きたい人がいて、その人たちがお寺に来ることでちょっと違った視点を持つことができれば、それはまた明日につながることですから。初めは好きなアーティストの音楽を聴くだけで終わったとしても、お寺がこういう場所でもあるんだということがどこかに残れば、年が経ってから違う形で関わろうとする若い人が出てくるかもしれませんから。
アーティストたちとの10年、20年の長いおつきあいのなかで「自分たちも何かお寺の役に立ちたい」と、子どもたちのための『寺子屋』という企画も生まれて、もう5?6年続いています。2000年に本堂の屋根を直したときには、そういった人たちが自分たちの作品を出して『ありまっせ展』というバザーのようなことをしてくださって、たくさん寄付をいただいたこともありました。
結局、人とおつきあいすることを喜んでくださいというのが、お寺が言っていけることなんですね。しんどいこともあるけど、人は人によって元気になっていくし、意味を持っていくんだということを、もう一度伝えなおしていくということだと思うんですよ。寺だけじゃなくて、メディアにしても、伝えようとするということはそういうことだと思います。(写真:春、法然院境内の水盤に浮かべられた椿花)
イベントに対する檀家さんの反応は
コンサートなどへの場所の提供については、檀家さんのなかで当然賛否はありましたよ。でも、反対の人はあまりおっしゃってこないですから(笑)。法然院のあり方としてみなさんに喜んでいただいているということがある程度伝わっていけば、「自分としては納得しがたくても喜んでいる人がいるならまぁいいか」となるのもまた人でね(笑)。
檀家も一枚岩ではありませんから、全員に賛成してもらおうとしても無理なんですよ。普通のお寺の場合は「賛成はしなくてもとことん反対はしない」というかたちでやらせてもらえるかどうかが大切なんじゃないかと思います。応援してくださる方が何軒かいらっしゃって、その方が来て下さったらいいというくらいの気持ちでやれば続いていくので、そこは信念を強く持たなければいけないところだと思いますね。「どうしてもやめておけ」と言われたらやめるしかないですけど、「やらないほうがいいんちゃうか」くらいなら聞き流していくという(笑)。要するにいろいろなんだと思っておけばいいということですね。
住職ってありがたい仕事だな、と思う
たとえば、月参りでお檀家さんにお会いしたときに「うちの嫁は出ずっぱりだから孫が悪くなっていくんですよ」という話をされたら、そのおばあちゃんの気持ちに寄り添わないといけませんよね。でも、今はお嫁さんの現代的なあり方も認めないといけない世の中だから、それも何となく言いながら「おばあちゃんの気持ちもわかりますよ」と言う。20代の頃は毎日そんなことをやりながら、住職として生きていくことはそれぞれの人のあり方を当たり前に認めていくことなんだと学んでいきました。檀家の一人ひとりと真剣に付き合おうとしていった結果、人間というものが自分なりによくわかって、これからそのような意識で寺を預かっていかなくちゃいけないと確立していったんだと思います。
それは、法然上人、親鸞聖人の教えに重なることなんですよね。人間っていろいろあって、それぞれの意識で自己中心的に生きているに過ぎないんだっていう(笑)。それを認めていくには、まず自分も自己中心的なんだと自覚していくことが大事になってきますからね。私は、若い頃からずっと人間が好きだったから坊主になったと思っていますし、人とおつきあいしながら、その方の気持ちと交わりながら生きていくことは、自分にとって意味があることだと思ったので、坊主になることは嫌じゃなかったですね。山にこもって修行しなければならない坊主は嫌だったと思うんですけど。私の思いでは、佛教の修行は「一人ひとりを認める気持ちをどう作っていくのか」ということだと思っています。
檀家とのおつきあいの中で寺を預かるというやり方は、自分には向いていると思って育っていったから、住職になることが嫌だと思ったことはないです。人が好きならこんなにいいお仕事はないですからね。普通にやっていればみなさんに喜んでいただけて、ありがとうございますと言っていただけて。住職って、ものすごくありがたいお仕事だと私は思っています。
亡くなった人はご先祖様? それとも成佛?
室町時代中頃以降の約500年の間、日本では死んだ人を供養して先祖とすることで家や村を守ってもらおうという『先祖教』を大事にしてきました。800年前の法然・親鸞の時代の佛教では、先祖供養を説いていませんでした。『先祖教』の発達とともに寺院は先祖供養の場所になり、佛教の教えに対する関心は二番目以下になってしまったんですね。
私は、法事のときに「亡くなった方はご先祖様になられるんですか? 成佛されるんですか? ふたつの言い方があるんです」と聞くんです。今までの日本では、先祖になってこの家と私を守って欲しいと思ってこられました。でも佛教では、この世は愛に生きる世界だけれども浄土は慈悲に生きる世界で、家族のためでなくてもいいから誰かのために阿弥陀さまと同じような気持ちになって、悲願本願を持って導いてくださる方になることを成佛すると言います。「成佛するというイメージもすばらしいでしょう?」ということを、一応は言うわけです。
どちらが良いと思われるかは、その方のご信心ですから自由なんですよね。「亡くなってもしばらくは私のことを思って欲しい」というのが人情ですから。成佛して誰でも同じになられると困る、と(笑)。でも、先祖になることと、成佛するのは違うということを、一応申し上げておくのは大事ですね。法然上人の教えでは、亡くなるということは浄土の菩薩になり、いずれ阿弥陀さまと同じような佛さまになるということです。「千の風になるのもいいけれど、浄土の菩薩になるのもいいイメージでしょう。慈悲に生きるってすばらしいでしょう」と言っておくんです。
みんなお坊さんに聞きたいことがある
コンサートをしたい方にはコンサートをするためのお寺、佛教を知りたい方には佛教を知るためのお寺、生き方を問い直したい方にはそういうことを言えるお寺でなければいけないし、法事をしに来たいのであればそれでいいんです。しかし法然院ですから、建てた人の思いに帰るとどこかに法然上人の教えを伝えていくべきだという思いは年々強くなっています。
今は、毎月26日にみなさんでおつとめをする『念佛会』のほか、時間があるときはなるべく法話をするようにしています。信教の自由は憲法で保障されているのに、家の宗教にがんじがらめになって来られていますから、佛壇やお墓のあり方など先祖供養のやり方だけで悩んでいらっしゃる場合もあります。ひとことで言うと、宗教って心が楽になるためのものです。修行を積んで悟ろうという方は別ですが、ふつうの人がふつうの暮らしをしながら、どう考えていったら精神的に楽に暮らせるのかということに、解決を与えていこうとするのが宗教者の役割です。しんどくなるためではなく、楽になるための知恵なんですよということを言っています。
法話を始める前にはかならず、「何か聞きたいことがある方は何でも聞いてください」と言うようにしています。お寺に来て、機会があれば何か質問してみたいという方はたくさんいると思うんです。「こんなこと聞いてもいいのかな?」と思っていらっしゃるなかで、最初の方が全然関係ない話を聞いてくださると、楽になって次々と質問されますね(笑)。
午後の早い時間の法話だと次に予定があって長く留まれない方もおられますが、2時半?3時から始めると「今日の観光はここで終わろうかな」と思って来ておられますから、腰を落ち着けてどんどん聞いていこうという方も多くて、30分?1時間も質疑応答が続くこともあります。
ずっと質問ばかりでもいいんですけども、初めて来られて佛教のいろはの「い」もわかっておられない方には、質問ばかりではもったいないかなと思いますので、1時間は私がお話します。言いたいことを言うのにそのくらいはかかるんですね。1時間が法話で、30分が質問というのが理想的かなと思っています。
“読む”ではなく”聴く”ということが大切
たとえ時間の無駄になってもいいから聴いてみたいと思われるから座られるわけで、考え直すきっかけや智恵が佛教にはあるんじゃないかと求めていらっしゃると考えていいと思うんですね。「こういう風に考え直していくしかないんですよ」ということを、ていねいに順を追って聴いていただいて「そういう風なこともあるのかな」と思っていただけるのが布教やと思うんですよね。
今まで佛教のことを知っているようで知らなかった、あるいはお寺には行っていたけど佛教を本当に知ろうとしていたのかなと思ったりするように、時代がちょっとずつ変わってきているんじゃないかなと思います。別に感動的な話をしているわけではなく、佛教の考え方を真っ直ぐに言ってるだけなんだけども、お話していると時々泣かれる方がいらっしゃいます。今まで人のせいにしてきたことも、自分のなかに理由があるのだと思って下さいっていう智恵ですから、「そう考えてみたらいいのか」と思われるものの「今すぐそう考えるのは本当につらい」と思われているのか。この間は、泣きすぎて飛び出して行かれた方もおられました。
いつも同じ話をしているんですけども、その方が今抱えている問題にピッと響くことがあると、ワッといたたまれなくなるみたいです。「読む」じゃなくて「聴く」ということは大事なことやと思います。同じ話を聴いていても、触れるときと触れないときがあるわけで、お坊さんの役割って「毎日同じことを語り続ける」ということだと思うんですね。お釈迦さまやいろんな祖師がお説きになった智恵が、まがりなりにも2000年以上とか何百年とか続いてきているというのは、やはりある人にとっては生きる力になり続けてきたからだと思うのでね。自信を持って「今日はわかってもらえなかったけれども、わかってもらえるときもあるから語ることは無駄ではない」と日本の坊主がみんな思っていれば、佛教は相当に見直されていくのではないかと私は思っています(笑)。
非僧非俗―”俗にあらず”をどう示すか
「私はつねに善悪を考えられるわけではなく、多くは損得を考えて生きている」ということを自覚し続けていくのが法然上人の佛教で、凡夫(ふつうの人)のための教えですから、我々坊主も基本的な意識は在家なんですね。親鸞聖人がおっしゃった”非僧非俗”ですね。
ただ、今までは「僧に非ず」ばかりで「俗に非ず」を示してこなかったというのが、浄土宗や浄土真宗の坊主のダメだったところですね。極端に言えば、衣を着なくても、頭を剃らなくてもいいんですが、要するに「法を説く」ということが中心になるわけです。
浄土真宗のことで言えば、毎日時間があれば法を説く”聞法(もんぼう)を伝統とする宗派で、さすがに本山は今でも聞法)をされていますけれども、一般のお寺では親鸞聖人の教えを説くということをしていらっしゃるのかと。普通の人と同じ生活をしていて、ただ法事のときにお経を唱えているだけでは尊敬されるはずもありません。法事のときにちょっと話すだけでは、聞こうという気になってもらえないです。
ほとんどの浄土宗の僧は、明治以降に結婚してしまったわけですからもう浄土真宗になったんですよ。法然上人のように生きられなかったから、親鸞聖人のように生きる選択をしたのが浄土宗の多くのお坊さんですから、もう浄土宗の僧だということにほとんど意味はないんです。それなのに「浄土宗は真宗とは違う」と言っていることの方がおかしい。「法然が結婚していいと言ってくださったから親鸞は結婚をしました。私も結婚させていただいて、どちらかというと親鸞聖人のように生きさせていただいています」と言ったほうがいいと私は思っています。法然もすばらしいけれど、親鸞もすばらしかったと自分の身に添った説き方ができますから。
私は法然と親鸞を一緒に語っています。もう、ここは”親鸞院”になってもおかしくないくらいなんです(笑)。まぁ、基本は法然の教えだからいいんですけども。法然上人は結婚してもしなくても良いと教えてくださったから、そういう選択も浄土宗にはありうるわけですね。どんな風に生きても、とにかく念佛申して生きたらいいんですよというのが法然上人ですので。法然上人の開かれた浄土宗というのは、今の浄土宗と浄土真宗を包み込むものだと思っています。
お坊さんが受け止めるべき責任とは
みなさんが「目指してきた方向は間違ってなかったのかな」と思っていらっしゃるのが、今の日本だと思うんですよね。今までこだわってきたことを考え直したほうがいいんじゃないか、自分がどうして苦しいんだろうなと、自分を問うていらっしゃる方が多いのに、解決が与えられていないからこそ年間3万人以上の自殺者が出ているわけですよね。
半ば以上は坊主の責任だと、私は思っているんですね。ふだんから、お釈迦さまの教えがあるのに、法然・親鸞がこうおっしゃってくださっているのに、それを伝える努力をしてこなかったので、いざというときに思いなおすことができずに行き詰られて、自ら命を絶ってしまわれることが非常に多いということは。人である以上、悩んでそうなってしまうことがありますし、歴史的に見ても自殺者をすべて無くすことはできないと思いますよ。でも、普通の方が苦しまなくてもいいのに苦しまれすぎて、死んでいかれるという事態が続いているのは、やはり寺を預かる我々の今までやってきたことの結果の一つであることも確かだと思っています。もっと楽な気持ちで生きてくださる方が増える日本になっていくためには、我々はできる範囲で精力的に活動していかなくちゃいけないと思います。
これは、自分たちの責任として坊主は深く受け止めるべきだと思っています。自分たち”だけ”の責任ではないし、社会の変化がもたらしてきたものもあるけれども、変化に対応するような人の気持ちや意識の持っていきようを培ってこなかったのは、7万5000以上もあるという寺の坊主が何もしてこなかったからじゃないかという思いはありますよね。できるだけ語り続けていきたいというのは、そこから来ているということもあります。でも、自分にできることは限られているから、できることをやるしかないということで許していただいているっていうことですね。ですから、語らせていただける場所があれば、できるだけどこへでも行こうという気持ちはあります。実際に、そういう機会は増えていっていますね。
たとえ一つの言葉でも届けば
語るということに意味があると思えるようになったのは、30代くらいからです。説いていて少しでもわかってくださる方がいるとうれしいですし、衣を着ている意味があると思えるので語り続けてきました。しゃべってくださいと言われたら全部引き受けてきましたし、お寺で法話をする機会もできるだけ増やしていっています。
今は10人でも20人でも前にしてしゃべれば、1人、2人には届くという時代だと思うんです。全員に届かなければいけないと思い過ぎるとしんどくなってしまうので、何人かにとって意味があればいいという気持ちで語り続けていくことが大事やと思いますね。たとえ300人、400人いらっしゃても、全員に聴いてもらおうと思わずに、私は私の言うべきだと思うことを言うだけです。その中の何人かでも、一つの言葉でも耳の底に残していただいたら、何かのときに効いてくるんじゃないかという気持ちでしゃべっています。
法然上人の言葉で一番ありがたいのは「私がその人を信じさせるわけではない。阿弥陀様でもできないことを私にできるはずはない」というものです。その人と阿弥陀様とのご縁が今はまだないだけのことなんです。いざというときには、阿弥陀様が信じさせてくださるので、私が信じさせるわけじゃないという気持ちで、法然上人の教えをいただいてしゃべっているから楽なんですよ。
■坊主めくりアンケート
1)好きな音楽(ミュージシャン)を教えてください。
藤原真理/バッハ「無伴奏チェロ組曲」
2)好きな映画があれば教えてください。
「ALWAYS 三丁目の夕日」
3)影響を受けたと思われる本、好きな本があれば教えてください。
夏目漱石「こころ」
4)好きなスポーツはありますか? またスポーツされることはありますか?
サッカー しません。
5)好きな料理・食べ物はなんですか?
蕎麦
6)趣味・特技があれば教えてください。
山歩き
7)苦手だなぁと思われることはなんですか?
褒められること
8)旅行してみたい場所、国があれば教えてください。
ペルーのマチュピチュ
9)子供のころの夢、なりたかった職業があれば教えてください。
特にありません。坊主になるつもりでした。
10)尊敬している人がいれば教えてください。
梶田信順(祖父です)
11)学生時代のクラブ・サークル活動では何をされていましたか?
高校のとき1年間だけサッカー部に所属していました。
大学でも1年間だけ邦楽部で尺八を触っていました(吹けません)。
12)アルバイトされたことはありますか? あればその内容も教えてください。
高校のとき、一度だけ年末年始に郵便配達をしました。
13)(お坊さんなのに)どうしてもやめられないことがあればこっそり教えてください。
飽食
14)休みの日はありますか? もしあれば、休みの日はどんな風に過ごされていますか?
月に1回ぐらい。山歩き。
15)1ヶ月以上の長いお休みが取れたら何をしたいですか?
読書三昧
16)座右の銘にしている言葉があれば教えてください。
「われらが往生はゆめゆめわが身のよしあしきにはより候まじ。」(法然上人)
(極楽往生は自身の善悪には関係がない)
17)前世では何をしていたと思われますか? また生まれ変わったら何になりたいですか?
(前世は)わかりません。浄土の菩薩となり、佛となります。
18)他のお坊さんに聞いてみたい質問があれば教えてください
結婚されている方へ「それでも出家者と言える理由は?」
結婚されていない方へ「その意義は?」
19)前のお坊さんからの質問です。「お坊さんになってよかったことは?」
好きなことをやっていれば、皆様に喜んでいただけること。
プロフィール
梶田真章さん/かじた しんしょう
1956年生まれ。浄土宗大本山 黒谷 金戒光明寺の塔頭 常光院にて育つ。大阪外国語大学ドイツ語科卒業。1984年法然院第31代貫主(かんす)に就任。1985年から境内の環境を生かして『法然院森の教室』をスタート。アーティストの発表の場、シンポジウムの会場として寺を開放するなど、現代における寺の可能性を追求する。毎月26日の『念佛会』や日常的に本堂で行われる法話のほか、さまざまな場で法然・親鸞の教えを語り続けている。また、環境問題に対する関心も強く、多くの市民団体にも参加されている。
法然院
善気山 法然院 萬無教寺。1680年、鎌倉時代の初めに法然上人が草庵を結ばれた地に建立された。浄土宗の別格本山であったが、昭和28年(1953)に浄土宗より独立、単立寺院として現在に至る。伽藍内は通常非公開だが、毎年4月1?7日と、11月1?11日の年2回は一般公開が行われている。http://www.honen-in.jp/
京都市左京区鹿ヶ谷御所ノ段町30番地
TEL: 075-771-2420 FAX: 075-752-1083
開門時間:午前6時?午後4時(境内自由、特別拝観は有料)
阪急河原町駅より 市バス32系統銀閣寺前行 南田町下車徒歩5分
JR京都駅・京阪三条駅より 市バス5系統岩倉行 浄土寺下車徒歩10分
京阪出町柳駅より 市バス錦林車庫行 浄土寺下車10分