【お坊さんブックレビュー】部屋のなかに桃源郷を見つける『生まれた時からアルデンテ』(稲田ズイキ)

ここしばらくお家から一歩も出ていない。言わずもがな、外を歩けばコロナウイルスと鉢合わせてしまうからだ。とにかく今は出来るだけ家に居続けることに専念せねば。

YouTube、Netflix、Amazon Prime Video、ボタン一つで映像が観れる便利な世の中になった。それでも、最近なんかちょっと映像を見るのがしんどくなってきたのは気のせいだろうか。何か別の娯楽をと、あの山のような積ん読本。う〜ん、あれを崩すかって聞かれたらそんな勇気はなく、仕方なく押入れから300回は読んだであろうカビ臭い漫画本(『星のカービィ デデデでプププなものがたり』)を引っ張り出す、そんな毎日。

あ〜こんなに退屈なら、いっそのことウイルスに抱かれて死にたい!

って言ったら不謹慎だけど、でも事実として退屈は人をころしかねない。僕にとってコンテンツは水みたいな存在だけど、水だけじゃ花は咲かんのです。外界に出られない今、生存戦略のために、退屈をしのがねばならん時が来ている。

編集者の友達が、現代の苦しみはすべて「不安」「孤独」「退屈」の3つから成り立っていると言っていた。まさにコロナは、この3つを同時にもたらした大妖怪なわけで。僧侶として僕ができるのはせめて一つ、この「退屈」な世界をどうすれば、フレッシュにみずみずしく変えられるのか。そのヒントとして、自分がよく立ち返っている一つの本を紹介しようと思う。

“私にとっての「食」は尋常ではない”

『生まれたときからアルデンテ』2頁より

そんなただならぬ一文で冒頭が彩られるこのエッセイ。「生まれながらのごはん狂」を名乗るフードエッセイスト、平野紗季子さん(1991年生まれ)がただひたすら食について写真とともに散文を綴ってゆく一冊である。

周りの人は知っていると思うが、僕は食なんか語れた口ではなく、よく「お前の舌には”美味しい”と”めっちゃ美味しい”しか存在しない」と言われるくらいには味音痴である(僧侶としては「食に執着がない」と評されてほしいところだが)。

そんな僕が思うこの本の見所は、食の情報なんかではなく、食という一つの切り口から見える無限の世界の広がりにこそある。

だってさ、ただの腐ったアンパンマンパンを見て、こんな文章書ける、普通?

“腐るって優しさなんじゃないか。「生ものですのでお早めにお召し上がりください」。この言葉には天使の福音にも似た響きがある。未来も過去もない今、目の前にある食べもの。矛盾なく、美しいままで生き抜いて、終わる。だからこそ食は、刹那なほどに光り輝き、食べ手は絶頂だけを心に留めることができる。ああ、今にも腐りそうなアンパンマンの神々しさよ。保存料はいらない。時は早く過ぎる、光る星は消える、だから君はゆくんだ微笑んで。”

『生まれたときからアルデンテ』69頁より

もはや、ホモ・サピエンスが生んだバグ。案の定、人類には早すぎたのか、Amazonのレビューには「読んでも美味しそうに思えない」「食への愛が見えない」なんて書かれてあった。いわゆる普通の食エッセイ本を期待して読むとそうなってしまうが、このエッセイはハナっから着地のことなど考えていない。だってタイトルは『生まれた時からアルデンテ』だ。投げっぱなしのジャーマンは最初から約束されているじゃないか。

たった1時間もあれば読みきってしまうくらいの文量。それでも、この本が教えてくれるのは、どんなに狭い入り口でも、世界の奥底には必ず通じているという真理である。

自分の手のひらをジーっと見つめて、ふしぎだなぁと思うことがある。この肌を拡大していくと、細胞、原子、量子、ニュートリノ……って無限に世界が続いているのだ。「ロケット飛ばさんでも、ここに宇宙あるやん」といつも思うのだが、おそらく作者の平野さんは食のなかに宇宙を見ているのだろう。

退屈っていうのは、実は仏教用語らしい。文字通り「修行に退き屈すること」を指すのだそうだ。まさに退屈さを感じている瞬間って、底の空いたガバガバのバケツ(仏教の三毒でいうところの「貪」)みたいになっていることが多い。

思うに、いくらスマホをスワイプしたって、退屈が癒えることなんてなくて、まずはスワイプしないことが退屈を超える第一歩なんじゃないか。つまり、目に見える情報量を落とし、目に見えない世界を見ることだ。

視界を狭め、心と対象物を何度も行き来して、より深く深く潜っていく。部屋にあるもの、そうだな、うなぎパイにしよう。以前、お土産でもらったもの。一体誰がどういう発想でうなぎとパイを組み合わせたのだろう。この概念と概念のマリアージュが可能なのだとしたら、高野豆腐とタピオカミルクティーもいけそうだ。いや、鉄鉱石とブラだっていける。ウズベキスタンと諦めもいい。刺身とハルジオン、チャコペンと愛の流刑地、賃貸と森の民、西田敏行と避雷針、たぬきと潔白、米とホイップクリーム、ロシアとMEGUMI、ノースリーブと心臓、30分間25000円の過ちと繰り返される諸行無常。

ごめんなさい、一人で勝手に楽しくなっちゃいました。このコラムの着地点には目をつぶっていただくことにして、ともかく退屈の舵を取るおともに『生まれた時からアルデンテ』をオススメします。目には見えない桃源郷へあなたを誘ってくれるはずです。

僧侶。1992年京都の月仲山称名寺生まれで現・副住職(※家出中)。同志社大学を卒業、同大学院法学研究科を中退、その後デジタルエージェンシー企業インフォバーンに入社。2018年に独立し、寺に定住せず煩悩タップリな企画をやる「煩悩クリエイター」として活動中。集英社よみタイや幻冬舎plusでのコラム連載など、文筆業のかたわら、お寺ミュージカル映画祭「テ・ラ・ランド」や失恋浄化バー「失恋供養」、煩悩浄化トークイベント「煩悩ナイト」などリアルイベントを企画しています。フリースタイルな僧侶たちWeb編集長。