【お坊さんブックレビュー】死があるからこそ生は素晴らしい『銀河の死なない子供たちへ』(佐藤知水)

初めまして。岡山県にある浄土真宗本願寺派、光栄寺の佐藤知水と申します。仏様のお話をする布教使として、お念仏のお法りを味わい、縁ある方にお伝えしたいと思っています。今41歳ですが、19歳の時に僧侶になるための研修で出会った相方と「おまけびと」というロックバンドを結成して、オリジナル曲を作成しています。また、同じ本願寺派の仲間たちと「メリシャカ!」という活動を立ち上げ、「メリシャカLIVE」などを通して、仏教をみんなで一緒に楽しく味わいたい、ということを模索しています。

最近趣味の読書を通して、お法りを味わうブログ「お念仏と読書」を始めました。

今回ご縁をいただき、私自身が仏法や、命について深く考えさせられたマンガ、施川ユウキさんの『銀河の死なない子供たちへ』上・下巻を紹介します。

まず絵がとてもポップで可愛いです。ジャンルとしてはSFともファンタジーとも言えますが、テーマは生まれては死んでゆく私たちの命そのものについてだと思います。

ここから作品の内容を書きます。未読の方はご注意ください。

道を歩く少女が棒きれを見つけ、地面に円周率を延々書くところから物語は始まります。途切れることなく書いた数字が地面を覆い、その時見つけた廃車の下に若葉が芽生えていることに気づきます。

道に寝ころび、空を見上げる少女、少女の周囲が朝となり、夜となり、また朝となり夜となって、雨が降り、雪が降り積もり、火山が噴火し、バイソンに踏みつけられます。

気づけば先ほどの若葉は大木へと育ち、天に掲げるように車を樹上へと持ち上げていたのです。

数百年、数千年という悠久なる時の流れが僅か数ページで表されていて、私はその表現に圧倒されました。

一万年前、私はこの星空を見ている。一万年後も、私はこの星空を見ている。

彼女の名前はパイ。天真爛漫でドープなライムを刻むのが得意な、不死の少女です。

パイの家族は、思慮深く読書好きで「死ぬとはどういうことか?」いつも考えている弟のマッキと、二人の子供をやさしく見守り、「ママ」と呼ばれる謎めくお母さん。

この三人だけがこの地球上に生き残っていて、不死の存在です。老いもせず病にかかることもないのです。何故そうなったのかは下巻で明らかになります。彼女たちは「死ねない」孤独と「この世界とは無関係な部外者なんだ」という苦しみを感じていました。

パイとマッキは、ある日、近くの湖に宇宙船が落ちてくるのを見つけます。そして出てきた瀕死のパイロットが産んだ赤ちゃんと出会い、育てることを決意します。ミラと名付けられたその女の子はパイたちが初めて出あう、いのちに限りがある人間でした。

パイとマッキの姉弟は、彼女たちからすればあっという間にいのち尽きてしまう人間のミラを、我が子のように育てるのです。そしてタイムリミットのあるその生活によって、物語は加速してゆきます。

私にとって、特に印象深かったのは、成長し、病にかかり、自分が死ぬことを知ったミラの言葉です。

私だけがまたひとつ歳を重ねる
同じ季節の中で
私だけが変わっていく
私だけが何もかも変わる
私だけがいずれこの世界から消え去る
だから あらゆる瞬間が私には愛おしいのだ

そしてパイとマッキは、かけがえのないミラの、「死」に遭います。そして二人はそれぞれに重大な決断をして一歩踏み出していくのです。その後、怒涛の展開が待ち受けています。しばらく呆然とする程深い読後感でした。

そんな『銀河の死なない子供たちへ』を読んで、私が感じたことを書かせていただきたいと思います。

まず私は日頃「死」を見つめようとしていない自分に気づかされました。

人は誰しもミラと同じように「おぎゃあ」と生まれたら、必ず死ぬ存在なのです。明日死ぬかもしれないし今日かもしれません。誰にも分りませんが、カウントダウンは始まっています。しかし日常でなかなか見つめようとはしません。

特に現代社会に生きる私たちは、死を見つめにくい状況にあります。三世代同居どころか核家族すらもあやしく、隣近所との繋がりが希薄になる中で、祖父母や両親、地域の方などの死にあう機会が少なくなっています。

また大切な家族の葬儀も家族葬や直葬として小規模になりつつあり、ご法事などの仏事も簡略化の方向に進んでいます。現在コロナウィルスの影響で規模を縮小せざるを得ないということもあると思います。

仏教では「生死一如(しょうじいちにょ)」と説かれ、生と死は別の物とは見られません。

例えば500円硬貨があって、表を生、裏を死だとすると、どんなにこの500円玉をスライスして、紙のように薄くしたとしても、依然表と裏はあります。表と裏どちらかがなければ硬貨そのものがなくなるのです。

死を見つめることなしに生を真に見つめることはできません。本当は死の解決なしに生の解決は有り得ないのです。

浄土真宗のご開山、親鸞聖人はその誰しも抱えるいのちの根本問題を「生死いづべき道」として求めていかれました。そして法然聖人との出遇いによって、私の生死の命を丸ごと抱き、包み込んでくださる阿弥陀様の願いと働きに出遇われたのです。それが私達のお称えする南無阿弥陀仏です。

『銀河の死なない子供たち』では、要の場面で登場人物が相手をしっかりとハグする姿が描かれます。私達もこの命、生死を丸ごと包み込んでくださる、命そのものをハグする働きに出あう中に安心をいただくのです。

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