教科書でこう習いませんでしたか?
● ユダヤ教に問題があったので、それを乗り越えるためにキリスト教が生まれた
● バラモン教に変わる新しい宗教が仏教である
● キリスト教はアガペーの愛、仏教は慈悲の宗教
それは教科書の、そしてあなたの思い込みかもしれません。
2015年1月、Yahoo!ニュースのトップページに仏教関連のトピックが上がり、世間の注目を集めました。その見出しは『法然、親鸞の師弟関係に「不適切な記述」 浄土宗、倫理教科書調査へ』というもので、浄土宗・浄土真宗の僧侶のみならず一般の方まで何事かとビックリしました。(ネット界隈では「不適切な記述」を「不適切な関係」と誤解して盛り上がったようですが)
Yahoo!ニュースに出たのは、1月19日付の産経新聞の記事がピックアップされたものでした。お坊さんがトップニュースに出るときは決まって不祥事絡みですが、珍しくマジメな良いニュース、しかも宗派の教義に関わるようなデリケートな問題だったので、余計に注目が集まりました。お坊さん以外の方も少しは興味を持ってもらえたと思いますが、もう記憶にない、そもそも目にしていない方も多いかもしれませんね。
産経新聞の記事をざっと要約してみます。
● 高校で使われている倫理の教科書に、浄土真宗の宗祖・親鸞との師弟関係をめぐる不適切な記述があるとして、法然を宗祖とする浄土宗が教科書出版社に訂正を求めることを検討している
● 教科書記述に対する宗教界からの異例の反論で、浄土宗は教科書の大半の記述が「法然が親鸞より劣るという誤解を招く」と判断した
● 文部科学省によると、平成26年度に使われている高校倫理の教科書は6社7冊。このうち6冊は、親鸞が師匠である法然の教えを「徹底」または「発展」させたと解説している
● 浄土宗の一部僧侶らが「法然の教えは不徹底で未完成と受け取られる」と批判。「高校生に先入観を植え付け、将来の信仰にも影響を与えかねない」として、宗派に対応を求めていた
● 浄土真宗本願寺派(西本願寺)や真宗大谷派(東本願寺)は「ただちに不適当とは思わない」「学界などの見識を踏まえて総合的に検討されるべき」と指摘している
● 以前からの研究者の批判を受けて訂正した出版社もある。しかし、検討中の出版社や「批判は当たらない」と反論する出版社もある
皆さんも手元に倫理(もしくは日本史)の教科書があれば見てみてください。あるいは学生時代を思い返してみると、「法然の教えをさらに徹底したのが、浄土真宗を開いた弟子の親鸞である」「親鸞は師の法然の教えを継承し、発展させた」という表現を目にしたか、はっきりした記憶はなくても、大まかな宗派理解として現在そのようなニュアンスで捉えている人が多いかもしれません。だとすれば、たとえそれほど勉強熱心な学生でなかったとしても、確実に教科書の影響を受けていると言えるのではないでしょうか?
それに異を唱える浄土宗の動きと今回の報道。私も浄土宗僧侶として、お念仏の教えをひろめる布教師(浄土真宗では布教使)として、この問題は見過ごせません。実際に私も以前からこの問題提起は業界誌や研修会などで何度も耳にしていましたし、個人的にも「修正すべき」と考えています。もちろん浄土真宗側からの主張もありますので、衆目の中で議論されることを望みます。それが浄土宗・浄土真宗のためにもなり、一般の方が宗教・宗派を理解する際に先入観や一面的な見方にとらわれていなかい注意することにもつながると思います。
やはりこの話題は注目度が高いのか、2月4日に朝日新聞でも同じく取り上げられました。そこには『公教育の教科書 宗教に不用意な価値判断』として、法然・親鸞に限らず、その他の宗教でも「不用意な価値判断、偏見・差別が無自覚に入り込み、放置されている」と指摘されています。そうコメントされているのは東大准教授(比較宗教学)の藤原聖子さん。藤原さんの著書『教科書の中の宗教』が紹介されていたので「これは読まなくては!」と思い、早速手に取ったという次第です。
『教科書の中の宗教』は新書にして220ページほどですが、その密度はかなり高く、私たちの思い込みを根底から揺さぶり続けます。私たちの思い込みはかなり強固なものですから、それを自己反省しながら見つめなおすのはなかなか大変な作業。この宗教・宗派の思い込みを誤解なく解きほぐすには「本書を読んでください」としか言えないのですが、例えば以下のような表現に問題があると感じるか、それとも特に偏見・差別的とは感じないか、ちょっと試してみてください。
● 「解脱」と「慈悲」──このまさにブッダの教えの両輪をなす二つの理想は、私たちが、自己をみつめ、世界をみつめ、自分の生き方を構築していくにあたって、きわめて大切な指針となるだろう
● 人類的な愛の実践を説くキリスト教の精神は、人類の存続にとって必要不可欠な共存・共生の倫理の根幹をなすものとして、また人種・民族間における差別に対する警鐘として、人類社会に生きつづけるであろう
● 西洋ではユダヤ教やキリスト教の影響で、人間だけが特別な生きものと考えるのに対し、仏教では人間だけでなくすべての命あるものが、平等に、解脱できる本性をもつとする
● イエスの教えが、イスラエル人の民族宗教の枠を超えて世界宗教となる可能性をもったのは、そうした無償の愛、無差別の愛による
● 鎌倉仏教は大陸の仏教のたんなる継承ではなく、日本独自の展開をみせている
● 浄土信仰を真に末法の世にふさわしい民衆救済の宗教として確立し、浄土宗をひらいたのが法然である。法然の専修念仏の教えから出発して、しだいにそれをのりこえ、純粋な信仰の立場を確立したのは、浄土真宗の開祖とされる親鸞である
皆さんはどのように感じられましたか? 「明らかにおかしい」「訂正すべき」と考えるものもあれば「少し気になる部分はあるが、大きな問題はない」「教科書の限られた文量での説明では仕方ない」「大枠で捉える上で間違いとは言えない」などのように感じるかもしれませんね。政教分離の上に成り立つ公教育において留意すべき点について、著者が指摘する一部を挙げてみます。
● 特定の宗教に関する不用意な価値判断、偏見・差別が随所に見られる
● 宗教をたんに知識ではなく、読者や人類にとって必要として受け入れるよう促している
● 特定の宗教の存続を予言している
● 宗祖をソクラテスやプラトンのように、当然学ぶべき先哲としている
● 宗教上の信仰と歴史的事実の扱いに慎重さを欠く
● 欧米ではキリスト教中心主義への反省から使われなくなった概念が、日本の教科書では是正されないまま放置されている
● 「民族宗教」と「世界宗教」などの対比や図式化することに慣れて、序列化・固定観念化を助長させやすいことに気づいていない
● 「元の宗教の問題点を乗り越えることによって生まれた宗教」という独善的な歴史観によって、一方的な「勝利主義」「置換主義」が根強く残っている
ただし、どれも確かな正解があるわけではなく、文部科学省の学習指導要領や出版社の編集方針、執筆者の理解などに依るところが大きいので、一概に「問題あり」と断定できるわけではありません。しかしながら、これら表現が何年も変わらず使われることによって、いつの間にか私たちの固定観念を形成している、現に常識化している可能性は否定できません。そして一度固定観念になると、それが問題であると気づくこともなく、疑問に思うこともなくなって自分も同じように表現しているのです。それって本当に恐ろしいですよね。
本書はその危険性について、実に詳細に分析しています。問題の定義、定型化された宗派教育・宗教差別の具体例、教科書制作上の問題点、見過ごされて来た原因、教育現場の実情、海外の教科書・学校の事例、宗教を語りなおす論考、というように問題点の整理と分析が見事。ぜひ皆さんも手に取って、あなたの固定観念を見つめなおしてみませんか?
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