「ニコニコ超会議」での法要や、Youtubeでも話題となっている「テクノ法要」。わたくしケンユウも、「お参りしたい!」という思いがありながらもなかなか実現せずにおりましたが、なんと偶然にも私の住む市内のお寺さんで「テクノ法要」が執り行われるとの報が!これは行くしかない!ということで、お参りしに行ってまいりました。今回はそれをレポートしたいと思います。
篠生寺は蓮如上人ゆかりの古刹
今回「テクノ法要」が行われましたのは、石川県加賀市にあります浄土真宗本願寺派のお寺、篠生寺(じょうしょうじ)さん。ちょっと変わったお名前のお寺さんですが、これはお寺の縁起と深く関わるのだとか。
昔々、この村に旅人が訪れたときのこと、桝屋小右衛門という人のお宅に一晩の宿をお願いしたそうです。するとその小右衛門の母が「忙しい夕方に迷惑な!」と怒り、そこにあった石を茹でたちまき笹にくるんで旅人に投げ与えます。そして「それを食べれば泊めてやるよ!」とあざけりました。旅人はちまきをいただけたのかと思い、笹をひらくとそこにあるのは石ころ……しかしその旅人はそれに動揺することもなく、その笹を大地にさすと、なんと茹でられた笹の葉が根を張り青葉となるではありませんか!その旅人こそ、福井の吉崎の地におられた蓮如上人だったのです。その不思議を目の当たりにした小右衛門の母に、蓮如上人は、「本当になによりも不思議なのはこの凡夫を仏とならせる阿弥陀仏のご本願ですよ」と教えを説かれ、桝屋小右衛門と共に、そのお弟子となっていかれました。その小右衛門が後に道場を建立し、笹(=篠)のお寺、篠生寺となりました。
そんな歴史のある篠生寺さんでは毎年この時期に、浄土真宗の開山・親鸞聖人の降誕会と蓮如上人の御忌(ぎょき)法要を勤められています。そしてこの伝説にそって、ご門徒の方々と「ちまき」を作ってお参りに来られた方に販売しているのだとか。例年では、夜のご法座に合わせて落語会なども催していらっしゃるそうですが、今年は「テクノ法要」を行われている福井・照恩寺のご住職、朝倉行宣さんとのご縁があることから、「テクノ法要」をやってみようと思われたのだそうです。
「テクノ法要」が朝倉さんのお寺以外の一般寺院で行われるのは、なんと今回が初めての試み!ということで篠生寺さんのお堂は満堂!お子さんを連れた若い方々もお参りになっていました。
エモいお勤め「往生礼讃」をテクノに
「テクノ法要」では2つの「お勤め」が行われました。「お勤め」とは、一般的には「読経する」ということなのですが、厳密に言えば「お経」というのは「経典」のことを指しますので、お釈迦さまの教えが説かれたもののことを言います。しかし「お勤め」で拝読されるのは必ずしも「お経」ということはなく、例えば昔のお坊さんが書かれた、経典や仏教の教えについてまとめたものを拝読する、ということもあります。ですから「読経」とは言わず、「勤行(ごんぎょう)」あるいは「お勤め」という言葉で言い表します。
「テクノ法要」で勤められたお勤めの一つは善導大師という中国のお坊さんが書かれた「往生礼讃(おうじょうらいさん)」の一つ、「初夜礼讃」。「往生礼讃」は「六時礼讃」とも言われ、一日を「日没・初夜・中夜・後夜・晨朝・日中」の六つに分けてお勤めをするというもの。浄土宗や浄土真宗でお勤めされるもので、天台声明を基とした、とても美しく、エモーショナルなメロディを持つお勤めとして知られています。かつて法然上人の教団がこのお勤めのあまりの美しさにファンが増えすぎて迫害されるきっかけを作った、とも言われるほど。
そんな「初夜礼讃」が「テクノ法要」でどんな風に変貌を遂げるのか、とワクワクを膨らませておりますと、本堂が暗転。プロジェクターから映し出される映像とともに電子音が流れます。そしてややエフェクトのかかった声のお勤めが聞こえてきます。本堂には四つの細長いスクリーンが設置され、そこには礼讃の偈文が表示されるという仕掛け。映像とともに、グリッチ・ノイズの効いた、テクノと言うよりはエレクトロニカ〜アンビエントのようなバックトラックとともにお勤めがなされていきます。「声明(しょうみょう)」に見られる独特のゆったりとした節(ふし)ではなく、きっちりしたリズムに合わせての読誦ですが、「初夜礼讃」の美しいメロディが電子音にのり、アーバンな雰囲気のお勤めとなっていました。礼讃のお勤めは転調や雰囲気ががらっと変わる部分などもあり、変化を楽しめるお勤めだったように思います。
シンガロングな「正信偈・和讃」
「初夜礼讃」に続いて、今度は「正信偈・和讃」のお勤めが行われます。「正信偈」は親鸞聖人が書かれた『顕浄土真実教行証文類(教行信証)』にある一節。「和讃」というのは親鸞聖人の『三帖和讃』という三部からなる著書で、和語をもって讃嘆する、今様形式の詩のこと。この「正信偈」と「和讃」を組み合わせて、浄土真宗における日頃の勤行(お勤め)と制定され、お坊さんとお参りされる方々が一緒にお参りできるようにされたのが蓮如上人です。
そんな「正信偈・和讃」は今日でも真宗にご縁の深いところでは親しまれており、お年寄りの方々はお坊さんと一緒にお勤めされることもしばしば。今回の「テクノ法要」でも、そこかしこから、一緒にお勤めをする声が聞こえるではありませんか!ライブなどでも、アーティストとオーディエンスが一体となってシンガロングで盛り上がることがありますが、その原点と言えるのがこの「正信偈・和讃」なのかもしれません。
さらに「テクノ法要」のすごいところは、ただ単に美しい映像と、御文を見せるだけではなく、シンガロングがちゃんとできるように、プロジェクターで映し出される御文の、今ちょうど読んでいる部分の色が変わるような工夫が施されていて、みなさんと一緒にお勤めをしたいという朝倉さんの思いがそこに表現されていました。私もそれに途中で気づいたのですが、その心遣いに感心させられるばかりでした。
「テクノ法要」仕掛け人、朝倉さんの思い
お勤めが終わると、朝倉行宣さんのご法話も行われました。朝倉さんが大切にされているのは、実は「伝統」なのだそうです。しかし「伝統」と言っても、その形式ではありません。自分のところにまで、大切にされてきたものがあるということは、多くの人たちが、これまで大切にしてきたということ。その思いを受け継いでいく、相続していく、これが「伝統」を大切にするということだとお話されました。
篠生寺ともゆかりの深い蓮如上人がまさにそのような方で、それまであったものをリスペクトしながら、それをしっかりと今の人たちにも伝わるようにいろいろな工夫をされた方でした。先程書きました「正信偈・和讃」を浄土真宗のお勤めにされた背景にも、それ以前は「往生礼讃」をお勤めにしていたため、節が難しく誰もが一緒にお勤めできなかった、ということがありました。そこで、蓮如上人は、みんなで一緒にお勤めできることを目指され、天台声明の良さと、当時人々の間で受け入れられていた音楽の要素とを合わせて作られたのが「正信偈・和讃」というお勤めであり、それはまさに「マッシュアップ(※)」だと、朝倉さんはお話されました。
(※マッシュアップ:異なる要素を持つものからそれぞれ良い部分を取り出して掛け合わせること)
朝倉さんも、その蓮如上人の精神にならって、かつての職人さんたちがさまざまに工夫を施してお浄土を表現したお寺の本堂に、今の映像技術をかけ合わせたら、あるいは「声明」という伝統あるお勤めの方法に、現代の音楽を組み合わせたら。それによって、今を生きる人により響くものになっていくだろうという思いから、この「テクノ法要」を作っていかれたそうです。
その精神は、一面的な偏ったものの見方に陥らないという仏教の教えにもしっかりと根ざしたものとなっており、素晴らしい教えや良い伝統を、多くの人と一緒に分かち合いたいという思いに溢れた、新しい法要の形であると感じられました。
これからも朝倉さんはご自身のお寺だけではなく、いろいろなところでこの「テクノ法要」をお勤めされることと思いますので、もしお近くで「テクノ法要」が勤まる際には、皆さまどうぞお参りいただければと思います。
・篠生寺
http://joshoji.org/
・照恩寺
https://www.show-on-g.com/