去る2013年2月19日(火)新宿・紀伊国屋にて、書籍『禅とハードル』(サンガ)の刊行を記念し、元プロ陸上選手・為末大さんと恐山で院代をつとめる禅僧・南直哉師の特別対談講演会が開催されました。
会場は老若男女問わず、ほぼ満席。実際に為末さんが南師の下で座禅を行った時の写真を映しながら、座禅だけでなく体罰問題や今後の教育にまで話は及び、大変濃密で穏やかな2時間でした。
座禅を体験して感じたこと
「人は動いているほうが自然で、力を抜いたり休むほうが難しいんです」と南師は言います。その難しい状態=静止して全身の力を抜く「座禅」を体験して2日目、為末さんは「自分の身体と外界との境い目が分からないような感覚」に陥ったそうです。しかしその体験自体よりも「それを経験した後の日常が、その後の人生がどう変化するのかが気になった」と話されました。
為末さんの言葉に、南師は「体験と体験を語ることは違います。体験自体もそんな大したことではありません」と頷いておられました。
「例えば『座禅したら虹が見えました!』と言う人がいたとしても、そこで虹が見えたこと自体や虹が見えたと語ることには意味はありません」
「(為末さんが言うように)その体験を自身がどう意味づけて取り込むかが大事です」
開きっぱなしの蓋「蓋は閉じなかった」
対談のなかで、秋葉原通り魔事件を話題にあげた為末さんは「加藤智大被告の気持ちが分かるような気がする」と打ち明けました。
「何かが足りない、誰かに認められたい、そこに『手段の無さ』が重なっただけだと思うんです」
「自分は偶然に『走る』という手段がありましたが、いつも『何か足りない』、開きっぱなしの蓋を抱えている感覚でした」
18歳から指導者を持たず自分1人で試合に挑んできた為末さんは、コーチや仲間が欲しいと思ったことはあるけれど、「周囲と一緒に熱狂できないような、常に冷静な自分がいた」と言います。銅メダルを取った後はしばらく続いた興奮も、ふと気づくと冷めてしまい「蓋は閉じなかった」と感じたそうです。
「スポーツ選手が求めている『金メダル』は1つしか無い。ほとんどの選手の夢は叶わないんです」
「『そうか。これまで自分が勝ってきたのもたまたまだったんだな』と思ったんです」
南師はそんな為末さんの姿勢を見て「ある種の価値や信念を常に疑う体質なんだと思います」と答えておられました。「『無常』にも通じるかもしれません、よくそれでここまでやってこれたと思いますよ(笑)」。
「赤ん坊が泣くのは、何かを喪失して生まれてくるから」という説があるそうです。生まれた時から喪失感が存在するから、とにかく何かで埋めたくなる。その欲望をベースに闘争状態に置かれ、「夢と希望」という目的を煽られてヘトヘトになってしまう人たちがいるのです。
「夢や希望なんてなくたってかまわない。そこから自分を解除して良いんです」
「ただ最初からそうしては分からないでしょうね。自分でやってみて、やってみた後に手放せた人だけが納得できる」。
体罰が生じる条件・構造を考えるべき
昨年末、桜宮高校バスケットボール部生徒の自殺によって表面化した顧問の教師による体罰問題は、全国的な話題となりました。為末さんは、スポーツ界の視点から意見を求められることも多いそうです。この問題について、お二人の意見は「形式的な議論では解決しない」という点で一致しました。為末さんは、「『体罰は駄目だ』と上で決まったものが下に降りてくるだけでは、その構造自体が『体罰』と同じですよね」と語りました。
南師は、「拘束性が強い」「(権力関係により)一方的」「恒常的」といった条件が揃った時に、体罰は生じるのだから、「『体罰』が起こる条件・構造を考える必要がある」と分析しました。また、このような構造のなかにいることは、「自由であることが苦手な人たち」にとっては居心地が良いことから、「体罰を是とする側の問題」にも目を向ける必要があります。しかし、体罰が許容される関係構造のなかであっても、「体罰には、一定の効果はあってもダメージ等のコストが高く”愚策”です」と、南師は強調しました。
しかし、ただ単に「体罰はいけない」と止めただけでは、善意であった体罰も歪んで悪意のいじめに変化していく可能性もあります。南師はその可能性を「体罰よりよほど怖い」と話します。
これからの社会に必要な”教育”とは
順調な経済成長を遂げていた日本社会では、「上の言うことを聞く」「余計なことをしない」といった、ある意味”軍隊”的な人材が求められてきました。しかし「これからは違うのではないか」と話題は教育へと展開していきました。
「現代の教育には『どんな人を創りたいのか』という視点がないように感じます」。為末さんは、「自分で創意工夫できる人」と話し、南師は付け加えて「志のある人。そして、育てる側の教師はちゃんと”納得”を与えられる人でないといけない。これから先、私のような50歳以上に期待しても駄目です(笑)。私たちの年代は成長する経済しか知りません。むしろ若い世代を阻害する可能性のほうが高い」「これからは若い世代のトライ&エラーが重要」と言います。
これからの世代を育てるには、「失敗させること」「失敗を恐れずに少しずつ自分の限界を知って越えていくこと」が大事だと、お二人は同じ方向を見ているようでした。
その後、短時間ながらも充実した質疑応答を経て、特別対談講演会は終了しました。
『禅とハードル』が売れる社会は心配!?
『禅とハードル』(サンガ)南師と為末さんの対談を収録した書籍。おふたりからは、「この本がすごく売れたら、逆に今の社会が心配になってしまう(笑)」「夢や希望に向かって走ることに少し疲れたり、悩んだりしている人の心が楽になれば」とコメントが寄せられていました。
お二人を心配にさせてしまうことは本意ではありませんが、『禅とハードル』はまさに今の社会に求められている一冊ではないかと思います。生きることのなかにふとした疑問を感じている方はぜひ、「蓋を閉じなければ」と凝り固まった自己意識をほぐすサプリメントとしてお読みください。