「あなた」がいるから「わたし」がいる。現代版寺子屋「スクール・ナーランダ vol.3」@築地本願寺 参加レポート

浄土真宗本願寺派による、10〜20代の若者を対象にした学びの場づくり『スクール・ナーランダ』。2017年に「現代版寺子屋」としてスタートしたこの企画は、京都、富山に続き、今回で3回目。東京・築地本願寺にて、2018年3月3日と4日に開催されました。

テーマは『「わたしのため」と「あなたのため」のバランス』。これからの未来をつくる若者たちが「社会の中で共存していくこと」を考えるため、科学、芸術、仏教の分野から集まった講師の方々からお話を聞き、学びを深めていきました。

私も20代。1日目の講義に当事者として参加してきました。お仕事でお寺と関わるようになり2年以上になりますが、10代から20代の若い人たちとお目にかかる機会はなかなかありません。『スクール・ナーランダ』に来るのはどんな人たちだろう、一日の学びでどんな感想を持つのだろうと気になっていました。
また、実は私が通った保育園の名前は、お寺が経営する「ナーランダ保育園」。『スクール・ナーランダ』には勝手にご縁を感じていました。卒園以来10数年ぶりの“ナーランダ”での学びや気づいたことなどを、彼岸寺の皆さんにレポートしたいと思います。

「人間の脳がつくる新しい認知に希望がある」脳科学者:入來篤史さん

一人目の登壇者は脳科学者の入來篤史先生。「人間とは何か」という問いを持ち脳科学の道へ進んだという先生の授業は、「そもそも脳とは何か」という話題から始まりました。

入來 篤史 いりき・あつし(脳神経科学者):理化学研究所脳科学総合研究センター・シニアチームリーダー。専門は神経生理学、認知生物学。ヒトの知的高次認知機能の基盤とも考えられる象徴概念形成、推論/論理思考などの萌芽的機能について研究を行っている。

すべての動物は「神経系」という情報の処理伝達をする組織を持っています。脳は全身に行き渡る神経系の先端にできたコブのようなもの。数ある臓器の一部に過ぎません。

「脳」と聞くと無意識の内に「複雑で高等な器官である」というイメージを持ってしまい、脳科学者の方の言うことには取り入るすきがないと思っていました。しかし、入來先生はその観念を授業の冒頭から崩していきます。

そもそも、自然科学の領域における「世の中の現象に分け入っていく」という作法に私は疑問を持っています。「分け入っていく」ことの連続に固執してしまうと、「神経系の先端にコブができたのはなぜか」「そもそも脳という器官が必要となった理由は何か」という問いを立てることができません。

『スクール・ナーランダ』という学びの場の幕開けに、「ものを考えること」についての前提を揺さぶられる経験をし、衝撃を受けました。研究の「作法」から疑い、「そもそも」の問題に立ち返ること。脳科学のトップランナーが「脳なんて数ある臓器のなかの一つ」と言い放ってしまうことに驚きつつも、脳科学との距離がたちまちに縮まったような気がして嬉しくもなりました。

入來先生によると、生物の進化の過程で様々な類人猿が誕生しましたが、なかでも「人類」が特徴的であったのは「自ら環境を変える工夫を始めた」こと。

人類は自らが暮らす環境を変えていくことで脳神経を発達させていきました。そうすると脳の組織の一部が拡張し、脳内には発達のための新たなリソースが生まれます。そのリソースによって人類は新たな認知をつくり、獲得した新たな認知によってまた暮らす環境を変えていく。そして脳の神経を発達させ、新たな認知をつくり……と、環境・神経・認知の相互作用によって脳を大きくしていったのだそうです。

今まで人間は成長をし続けることでしか維持できないような開発を続け、地球という大きな資源に限界が見える所まできてしまった。しかし、人間の脳は新しい認知・新しい価値基準をつくり出すことができる。世界の相互作用の中でどうやって新しい価値観をつくっていくのか、地球との相互作用をどう捉えていくのか、私たちは人間の認知の発達に希望を持っていると言えるでしょう。

授業の最終盤、成長の臨界点ともいわれる地球の未来について大きな希望が提示され、心なしか会場が沸き立ったような気がしました。様々な価値基準が溢れている現代において、人間はどの様に進化していくのでしょうか。混沌とした世界の中で人間が「考え続けること」をやめないことの意味を強く意識しました。

「目の前にいる人が求めていることに向き合う」音楽家/内科医:アン・サリーさん

二人目の登壇者は、アン・サリーさん。音楽家として数々の作品を残し全国で演奏活動を行う一方で、現役の内科医として日々患者さんに向き合っておられる方です。今回の授業は『スクール・ナーランダ』の企画・運営に関わる林口砂里さんとの対談形式で行われました。

アン・サリー(音楽家/内科医):(写真右)2001年のデビュー以来、オリジナルアルバムの発表の他、日本全国、アジア地域で演奏活動を行うシンガー&ドクター。紅白歌合戦テーマ曲や映画の主題歌「おかあさんの唄」、CMの歌唱なども手掛ける。

音楽家としてのアンさんは作品や演奏で触れることができますが、医師としての姿はなかなか知ることができません。ふだん、患者さんとはどのように向き合っていらっしゃるのでしょうか。

初めて主治医として患者さんを担当したとき、緊張と不安でいっぱいだったのですが、患者さんにはじめて「ありがとう」と言ってもらえたことが鮮烈な感覚として残りました。私自身の「生きている意味」を実感することができた経験です。私は「施す側」ではなく、患者さんに医師として生きることを日々支えられているのだと感じています。お役に立つためにもっと勉強をしていかなければならないという思いが力になって、今まで続けることができているのだと思います。

アンさんは音楽家と医師に共通していることは「目の前にいる人が求めていることに向き合う」ということだと言います。音楽家として演奏の場に立つときは会場に訪れた一人ひとりに対し「いかに自分をさらけ出すか」を意識しているそうです。

音楽とは感情をそのままに表現することです。歌は声を通して表現するので、私の中の喜怒哀楽が表に出てしまい「まな板の上の鯉」になったような気持ちになります。良い感情も悪い感情もさらけ出し、自分を素直に開いていかないと伝わる音楽にはならないと思っています。私が体を使って内臓から思いを表現していると、演奏を受け止めてくださるお客さんも同じ様に感情をさらけ出してくださっている感じが伝わってきます。演奏の場は演者とお客さんの相互作用によってつくられているのです。

アンさんが歌い始めると、会場がしっとりとした優しい空気に包まれていきます

今回の授業、参加者にとっては非常に幸運なことに、お話の合間にアンさんの生演奏を挟むという形式で進められていきました。表現する者とそれを受け止める者の相互作用。アンさんが語っていた「一期一会の舞台」を身をもって感じながら、表現の世界に身を委ねていきます。

披露されたのは「Smile」「こころ」「蘇州夜曲」「おかあさんのうた」。演奏中には感情を抑えられず涙する人がちらほら(私もその中のひとり)。アンさんの表現に対する思いを知った直後だからでしょうか、目の前で演奏される美しい音楽が身と心に直接響いてくるのです。

「学びの場」として参加した今回の『スクール・ナーランダ』で、これほどまでに感情を揺さぶられる瞬間があるとは思いもよらなかったのでかなり動揺しましたが、「この場に座り、今日この瞬間を生きられてよかった」というなんとも言えない幸福な気持ちに浸ることができました。

築地本願寺ならではのスペシャルなお昼休憩

午前中の授業を終えたらお待ちかねのランチタイム。築地本願寺内にお店をかまえる日本料理「紫水」さんによるオリジナル・ランチです。お隣の築地市場から仕入れたフレッシュな海鮮料理を美味しくいただきました。

みんなで合掌。いただきます

会場のあちらこちらで会話が弾み、和やかな空気。授業のとき隣に座っていた方に「さっき、アンさんのライブで泣いてましたよね」と言われ、「バレてたかー」と恥ずかしい気分になりながらも、授業の感想を共有できて楽しい時間でした。昼休憩中に築地本願寺を散策する人も。この日はお天気もよく、気持ちの良い午後をむかえることができました。

「浄土真宗の教えを通して自分について学ぶ」浄土真宗本願寺派僧侶:小池秀章さん

最後の授業の先生は、浄土真宗本願寺派僧侶の小池秀章さん。現在は龍谷大学で、それ以前は中学や高校で宗教科の教諭を長く勤めていた経験を活かし、仏教および浄土真宗の世界を誰にとってもわかりやすく解説してくださいました。

小池 秀章 こいけ・ひであき(浄土真宗本願寺派僧侶):平安中学校・高等学校非常勤講師(宗教科)、京都女子中学校・高等学校教諭(宗教科)を経て、現在、龍谷大学非常勤講師。本願寺派輔教。本願寺派布教使。山口市教證寺衆徒。

授業の合間に、参加者の方々に話しかけてみると、元々仏教に強い興味や関心があったのではなく、「友人に誘われてなんとなく来た」という人が意外にも多く驚きました。そういう人たちが集まる場でこそ、小池先生の本領が発揮されます。中高生にゼロから仏教の教えを伝えてきた熟練の語り口で私たちに仏教、特に浄土真宗の学び方から優しく教えてくださいました。

「浄土真宗を学ぶ」ということは、「浄土真宗に学ぶ」ということです。「鏡を見る」といったとき、「四角い形をしている」「壁に立てかけてある」などと、鏡の状態を確認することは意味しませんよね。「鏡を見る」とは「鏡に映る自分の姿を見る」ということ。「浄土真宗に学ぶ」ということもそれと同じで、浄土真宗の教えを通して自分について学ぶということなのです。

授業の中で特に参加者の反響が大きかったのは、「縁起」について。すべてのものが互いに持ちつ持たれつの関係にあること、すべてのものが繋がり合っているということ。それを意識したときに、「おかげさま」で生きている私に気付き、今回のスクール・ナーランダの、「『わたしのため』と『あなたのため』のバランス」というテーマがよりリアルな実感を伴ってきました。まさに鏡のように、「縁起」によって自分自身の姿を顧みることになったのです。

「憎い人」など一人もいない。憎いと思う私がいるだけ
「雑草」とは、人間によって価値が認められていない草を価値が認められるまで言う言葉である

小池先生が次から次へと提示する例えの数々は、とてもわかりやすく考えてみれば当然のことばかり。だからこそ、よりストレートに「わたし」と「あなた」の関わり合いについて考えざるを得なくなってしまいます。

授業が終わった頃、会場に充満していたのは参加者のもやもやした心境であったような気がします。この一時間で気付かされた自分自身の姿を振り返り、受け止め、これからどうしていこうか考える。参加者の多くが頭の中で小池先生の授業を反すうしていたのではないかと思います。この「もやもや」を抱えるということが学びという営みそのものなのだと感じました。

三者の共通点が浮き出る鼎談、白熱するグループディスカッション

続いては講師の皆さんによる鼎談です。それぞれ分野も年代も授業の内容も異なっていたお三方ですが、鼎談によって浮かび上がったのは「相互作用」という共通のテーマでした。

「脳がすべてに先立って存在するのではありません。もともと身体には臓器があって、それらを結びつけるために脳があるのです」(入來篤史先生)

「音楽は一人で練習していてもおもしろくないのです。お客様との思いのやりとりがあって初めて舞台が成り立ち、音楽がより楽しくなります」(アン・サリーさん)

「子どもと親は同い年です。子どもが生まれたから人は親になります。互いが互いを成り立たせているのです」(小池秀章先生)

三者三様にそれぞれのメッセージの中で「繋がりあって存在するもの」について語っていきます。その後行われた参加者による少人数でのグループディスカッションでは、「今を生きている自分の姿を意識するものの見方をしたことで、『わたし』と改めて出会うことができた」という感想が目立ちました。

感想の共有や登壇者への質問に会場が白熱し、時間がオーバーしてしまうほどの盛り上がりでした。「わたし」も「あなた」も「それ以外」も切り離せない。では、「わたし」とは一体何なのだろう。そんな問いについて、科学・音楽・仏教の視点で考える刺激的な時間となりました。

締めくくりは築地本願寺ツアー

最後のプログラムは『スクール・ナーランダ』の会場となった築地本願寺を巡るツアーです。大迫力の本堂では、普段は一般非公開となっている、御本尊の阿弥陀如来立像が安置された内陣へ接近。向かって右側の「左の間」にも上がらせていただき、阿弥陀様を横から見るという大変貴重な体験をさせていただきました。

ツアーでは築地本願寺の名物と言われるレリーフやステンドグラスなどを見て回ったのですが、実は参加者が一番興味を持ったのは、お坊さんによる「お衣紹介」でした。場面に応じて浄土真宗の僧侶が身につけるさまざまな衣裳についてお坊さんがユーモアたっぷりに語っていきます。衣裳のモデルとなったお坊さんも「なぞかけ坊主」に「イケメン坊主」とキャラが立っている方ばかり。参加者からは、お坊さんのおしゃれ事情について時間ギリギリまで質問が飛びかっていました。

参加者の皆さんは若いお坊さんに興味津々

内陣の装飾品を傷つけないよう、慎重に見学します

ツアーが終わり本堂に帰ってくると、これも築地本願寺の名物、2000本のパイプでできたパイプオルガンの演奏です。パイプオルガンの名曲、バッハ作曲の「トッカータとフーガニ短調」や、ディズニーメドレーなどパイプオルガンが奏でる様々な音色を味わう中で、最も印象に残ったのは「恩徳讃(おんどくさん)」の演奏でした。

恩徳讃とは浄土真宗の宗祖親鸞聖人がのこされた言葉で、後に節をつけて歌われ長い間親しまれている楽曲です。ゆっくりとしたテンポできれいに続いていく和音が築地本願寺の本堂に満ちていき、穏やかに響き渡ります。朝から充実の一日を送った心地よい疲れと興奮が優しく癒やされていくようでした。

長い一日のプログラムがすべて終わる頃には、あたりはもう真っ暗でした。

初めての『スクール・ナーランダ』体験を振り返ると、一番刺激を受けたのは、参加者である同年代の方との出会いです。隣の席には富山からはるばるやってきた大学一年生、前の席は埼玉から参加した映画館で働いている人。共に授業を受け、ランチをいただき、ディスカッションをして、ツアーを体験する。お互いの発見や驚きを共有し合う過程で、自分の中の問いを掘り下げることができ、一日の学びがより鮮明に心に残りました。

今回は「相互作用」がキーワードとなりましたが、参加者同士が互いに思いを伝えながら学び合う『スクール・ナーランダ』の空間が「相互作用」の場そのものであったのだなと感じています。あなた」がいるから「わたし」がいる。この記事を読んでくださる方がいるから私は文章を書いている。一見あたり前のようであっても、意識してみると「今この瞬間」を生きていることがとても大切に思えてくる重要な視点です。『スクール・ナーランダ』での学びの時間は、「わたし」の存在を成り立たせているすべての「あなた」への感謝を思い起こす、温かで優しいひとときでした。

サノハナ

1994年東京生まれ。フリーマガジン『てばなす』編集長。「お寺のある生活」を提案するポータルサイト『まいてら』の運営、編集、執筆を担当。国際基督教大学在学中にお寺の世界に迷い込み、気づけば周りはお坊さんだらけ。お寺の取材へ全国どこでも出張します! 週末は銭湯、ビール、プロ野球談義。『方丈記』ラブ。