7. ドイツのお寺の法務事情(日本人編)

ドイツのお寺が一番受ける依頼とは・・・?

デュッセルドルフのお寺(ドイツ惠光寺)にいると、さまざまな法務の依頼を受けます。

「私は呪われていると思うので、その呪いをはらってほしい」

「厄年のおまいりをしてほしい」

「会社に悪いことが続いているので、会社全体のお祓いをしてほしい」

以上のようなお願いが実際にありました。ヨーロッパには全く神社がありませんので、日本では神社に寄せられるような依頼もすべてこちらに舞い込んでくるのです。(※浄土真宗僧侶ですので、「呪い」や「厄」を信じていませんし、残念ながらお祓いもできません・・・)

日本の一般のお寺では年忌法要や葬儀などの法務の依頼が多いのではないかと思いますが、デュッセルドルフのお寺でわたしが最も多く受けた依頼はなんと「七五三」でした。

「七五三って神社でやるものでしょ……?」とみなさんは思われるかもしれません。それはそのとおりなのですが、少しこちらの事情を説明します。

デュッセルドルフとその周辺には約8000人の日本人が生活していて、大半は日系企業の駐在の方々です。年齢層は30代から40代の人々が非常に多く、小さなお子さんがいる家庭が多いのが特徴です。

多くの親御さんたちは自分の子どもに着物を着せて、成長をお祝いしたい!(そして、子どもの写真を日本に住む祖父・祖母に送りたい!)と思っているのですが、ヨーロッパには七五三を行う神社がありません。そこで、「惠光寺さんでできないですかねえ?」という依頼がやってくるのです。

一般的に言うと、浄土真宗のお寺では初参式(しょさんしき)という子ども向けの法事を行っています。しかし、この式が現在日本のお寺ではそれほど盛んにおこなわれておらず、世間一般に「初参式」の名前はあまり浸透していません。正直なところ、私自身も日本では子ども向けの法事をする経験がほとんどありませんでした。

しかし、デュッセルドルフ在住の着付けの方やカメラマンなど大変多くの方々に協力していただき、4年前に初めて地域の子どもたちを集めて七五三を開催しました。(浄土真宗の初参式のやり方で七五三をおこないました)

 

お寺で七五三

最初の年はいろいろと準備をして気合いを入れて臨んだのですが、残念ながら子どもが10人ちょっとくらいしか集まりませんでした。

初回の失敗の原因ははっきりしていました。ちょうど七五三法要とまったく同じ時間帯にベルギーでサッカー日本代表の試合が開催され、デュッセルドルフの大半の日本人が応援に行ってしまったのです……(「うちの子どもが某選手と手をつないで入場することになったので、七五三には行けなくなった」というキャンセルが実際にありました)

というわけで、残念ながら本田・香川・内田らの日本代表に惨敗してしまったわけですが、その後七五三法要の評判が口コミで広まり、次の年には70人、3年目には100人を越す子どもたちがお寺に集まりました。

現在ではこの七五三法要にドイツ国内からだけでなく、オランダやベルギーなどからわざわざ飛行機で参加される方もいます。そして、法要の際の写真撮影や子供へ配るお菓子などに関して、デュッセルドルフにある企業がスポンサーとして協力してくれるようになるなど地域に根差した法要行事に発展しています。

「場所によってお寺が求められることは実にさまざまである――」それをデュッセルドルフに来て学びました。

 

「わが祖国」 〜Má Vlast〜

もちろん、こちらのお寺でも日本のお寺と同じように年忌法要や葬儀の依頼があります。

この6年間の間に様々な法務を行いましたが、個人的には昨年チェコのプラハでお葬儀をさせていただいたことが印象に残っています。

喪主は私の同郷(福岡)の方で、その方のお母様のお葬儀でした。亡くなられたお母さんは90歳近くまで一人で福岡に住んでいたそうですが、介護が必要になり、プラハに住む息子さんが呼び寄せて、3年間介護を行いました。そして、昨年プラハで亡くなられました。

そのお母さんは福岡に住んでいるころ、熱心に浄土真宗のお寺にお参りをされていて、いつもお説教を聴きにいかれていました。そこで、ぜひ葬儀を浄土真宗の形式で行ってほしいとの依頼があり、私はデュッセルドルフから飛行機を乗り継いでプラハまで行き、街の中心部にある葬儀場でお勤めをすることになったのです。

「90歳までずっと日本で暮らして、そこから突然プラハに移り住む」・・・それはお母さんにとってものすごく大きな決断だったと思います。しかし、亡くなられる直前に「プラハでの生活は本当に幸せだった」と息子さんに言っておられたそうです。

喪主の方のご自宅のすぐ近くにはモルダウ川が流れていました。お母さんはそのモルダウ川のそばを散歩することが大好きで、それが日課だったそうです。

まだ雪が残る3月のプラハ。わたしは凍てつく寒さの中でモルダウ川の水の流れをぼんやりと眺めました。私もそのお母さんも同郷なので、川といえば必ず北九州の同じ川を思い浮かべるはずです。しかし、気がつけば遥か遠くにきてしまった……

チェコの作曲家・スメタナの作品に「わが祖国」という交響曲があります。その中でも特にモルダウ川をテーマにした第二曲が有名で、私はモルダウ川のほとりでふと「わが祖国」を想いました。

プラハでの葬儀でもお勤めした正信偈(しょうしんげ)の中に、「如衆水入海一味(にょうしゅうしいにゅうかいいちみ)」という言葉がでてきます。

「たとえどんな川の水でも最終的には大きな海に流れ込んで、そこで同じ一つの味になる」

簡単に説明するならば、どんな場所でどのような人生を送っても、阿弥陀仏はわけへだてなく救い、浄土に生まれさせていただけるということです。

「日本を遠く離れても、私たちにはまた逢う国(祖国)がある」

モルダウの悠久の流れを眺めながら、そのように想ったことを今でも覚えています。

 

江田智昭

浄土真宗本願寺派僧侶(布教使)。1976年 福岡県生まれ。 早稲田大学社会科学部・第一文学部東洋哲学専修卒、文学研究科(東洋哲学専攻)中退。 2007年より築地本願寺内の(社)仏教総合研究所事務局において、仏教雑誌『ジッポウ』、『親鸞の歩き方』(ダイヤモンド社)等の編集、「プロジェクトダーナ東京」の立ち上げを行う。 2011年~2017年までデュッセルドルフのドイツ惠光寺において、ヨーロッパ開教や日本文化を発信する事業に携わり、2017年7月より(公財)仏教伝道協会に勤務。