はたらきを知ること

以前ネットでちょっとビックリする情報を見つけました。それは、コンビニなどでお客さんが「ありがとう」というのは、石川県独特の習慣らしいということ。そう言われれば私も会計の際に「ありがとう」と声をかけるなあと思いましたが、特別なことという意識はありませんでした。皆さんはいかがでしょうか?ひょっとしたらそのネットの情報が間違っていて、同じように「ありがとう」と言うという方もおられるかもしれませんね。

さて、この「ありがとう」という言葉。感謝することは大切だ、ということはよく言われることです。しかし、なぜ感謝をするということは大切なのでしょうか?もちろん、いろいろな理由があると思いますが、私は「感謝」という行為の背景には、為された「はたらき」に目を向けるということが行われていて、それこそが「感謝」を有意義なものにしているのではないかと考え至りました。

数日前のNHKの番組を見ていると、「家事ハラ」ということについて特集していました。「家事ハラ」とは旦那さんが家事を行った際に、奥さんがダメ出しをするようなことだそうです。でも逆に旦那さんが奥さんにダメ出しをすることもあるでしょうし、お互い様なのでは……などと思いながら見ておりました。しかし、このようなイザコザが起こってしまうのは、夫婦がお互いに感謝を忘れてしまっているということに一因があるのではないでしょうか。感謝を忘れるということは、「はたらき」があるということに目がいっていないということです。「はたらき」があることをイメージできないと、為されたことが当たり前に感じられてしまい、自分の気に入らないところに目が向いてしまいます。さらにそれは不平や愚痴に繋がってしまいます。ほんの些細なことですが、「はたらき」があることを意識することによって、それが当たり前ではないということに気づけば、表れてくる結果は大きく違ってくることでしょう。

それは、お金のやりとりがあるような場合でも同じです。お金さえ払えば感謝は必要ない、と考える人もいるかもしれませんが、私の支払うお金がその働く人の全てを支えるわけではありませんし、「はたらき」の全てがお金に換算されるというものでもないでしょう。目には見える「はたらき」は、目に見えない「はたらき」の積み重ねの上に成り立っています。あるいは、お金を払えばサービスを受けるのは当たり前だとなってしまえば、「お客様は神様です」という言葉を履き違えて、とんでもないクレーマーが誕生してしまいます。「はたらき」があるということは、人が私のために動いてくれているということ。その人の時間の一部、活動の一部をいただくということです。お金が介在しようがしまいが、そのことを見落としてしまっては、感謝ではなく、不平不満しか出てこない人間になってしまいます。

私たちの身の回りには、いろんな「はたらき」があります。目に見えるわかりやすいものから、気づきにくい小さなものまで様々です。でも、私たちの社会はその無数の「はたらき」によって成り立っています。少しでもその「はたらき」に目が向けられるように、想像力を豊かにすること。それはきっと、不平や愚痴を減らすことにも繋がり、人と人との関係にも、より良い影響をもたらしてくれるのだと思います。

私も今、子育て真っ最中で、子どもの要求を叶えた時には「ありがとうは?」と思わず言ってしまうことがあります。子どもに感謝の気持ちを持って欲しい、という親の心ではありますが、自分自身が誰かの「はたらき」をいただいていることに鈍感になり、不平不満ばかり漏らしていないか、今一度省みる必要がありそうです。

日下 賢裕

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。