2月4日は立春ですね。まだまだ寒いですが、暦の上では「春」に向かい始める時期となりました。特にこの時期「節分」の豆まきの話題をよく見聞きしますが、今回「節分と仏教の関係」についてご質問をいただきました。
確かに豆まきの行事はお寺で行われていることも多く、TVでは大相撲の力士やタレントが豆まき参加するなどしている風景も目にします。しかし私は浄土真宗のお寺に所属しているのですが、節分の行事を行うことはありません。そう思いますと、確かに節分と仏教の関係が気になってまいります。
ではまず「節分」とはなにかということを考えてみたいのですが、これは「二十四節気」と呼ばれる、季節の区分法の中に見られる言葉です。今では2月の立春のことを特に「節分」と言いますが、「節分」は立春だけでなく、立夏・立秋・立冬の、春夏秋冬の始まりの日を表します。この「二十四節気」というものは、発祥は中国で、太陽の動きに合わせて季節を分けることで、農耕に利用してきました。それが日本の暦にも取り入れられて、今でもその名残として、季節の目安に用いられているのでしょう。
さて、次に「豆まき」ですが、これも元を辿れば中国の宮中における「大儺(たいな)」・「追儺(ついな)」と呼ばれる、疫病や災害を払うための儀式がその由来のようです。それが日本の宮中にも伝わり、新年を迎えるための行事として行われるようになっていったようで、この「追儺」を「鬼遣(や)らい」ともいい、疫病や災害を具現化した「鬼」を追い払うという行事となっていった、といわれます。
また「豆」というものも、中国において生命力が強く、邪気を払うことが出来るものと信じられており、それが日本に伝わって、「追儺」と呼ばれる悪いものを追い払う行事と結びついていったと考えられています。
そして日本の仏教は、奈良時代や平安時代において朝廷との結び付きが強く、鎮護国家のための宗教として扱われたこともあり、新年を迎えるに当たって行われる「修正会(しゅしょうえ)」や「修二会(しゅにえ)」という法要において、国家の安寧や繁栄を願うという意味合いもあったことから、いつしか「追儺」という宮中における行事と混淆されていったものと考えられます。また、密教美術にしばしば見られる悪鬼の存在が、「鬼」という存在により具体性を持たせていったということも考えられそうです。
以上のことを総括しますと、現在見られる「豆まき」の風習というのは、中国由来の習俗の影響が多く、本来は仏教と関わりのないものであったと言えるでしょう。それが、日本の宮中において次第にミックスされていって、今のような節分の豆まきがお寺でも行われるようになっていったのではないでしょうか。豆まきを行わないお寺もあるのは、宮中との関わりが薄い宗派であったり、それが仏教由来の行事ではなかったためであると考えられます。
このように、仏教と節分の行事は本来関係ないものなのかもしれません。しかし、「鬼」と呼ばれる存在は、実は自分の外にあるものではなく、自分の心に潜む、何でも自分の思い通りにせずにはおれないという心=「煩悩」なのではないでしょうか。節分をただ単に「除災招福」の行事としてしまうのではなく、自分自身の抱える「煩悩」と向き合うための一つの契機とするならば、「節分」という行事にも、仏教的な意義を見出すことはできるのではないかな、と思います。
なおtwitterでは、京都の臨済宗のお寺、妙心寺での節分のエピソードが寄せられています。なかなか興味深いエピソードですので、こちらもぜひご覧ください。
http://togetter.com/li/252176