「輝け!お寺の掲示板大賞2025」の受賞作品が12月5日に発表されました。今回の投稿作品数はXとインスタグラムを合わせて3408作品(ハッシュタグに含まれたもの)でした。2018年の第一回目は700作品でしたので、それに比べると大変な増加です。多くのご投稿、誠に有難うございました。
数ある秀逸な作品から今回大賞に選ばれたのは、「自分ファーストという貧しさ」(鹿児島県・浄土真宗本願寺派顯證寺)でした。
近年、「〇〇ファースト」という言葉をよく耳にします。政治やビジネス、あるいは個人のライフスタイルにおいて「〇〇ファースト」というフレーズを耳にしない日はありません。優先順位を明確に示すこの言葉は、非常に伝わりやすく説得力を持っています。
このフレーズは、他者に訴えかける上で非常に伝わりやすい言葉ですが、「〇〇ファースト」を支持する人も支持しない人も「自分ファースト」であることに変わりありません。結局のところ、「自分」への強い執着からは誰も離れることができないのです。
この「自分ファースト」という意識(自我の意識)が自身に苦しみをもたらします。みうらじゅんさんが著書の中で「自分探し」ではなく、「自分なくし」を提唱しましたが、「自分」という概念を一度手放すことで、執着から解放される軽やかさを伝えたかったからだと言えるでしょう。
また、「自分」は決して独りで存在しているわけではありません。他者や自然、目に見えない無数のつながりの中で生かされている存在です。そのような依存関係の中で自分の欲求さえ満たされれば、それで果たして豊かな人生といえるのでしょうか?
本作品に込められた「貧しさ」という問いかけは、自己中心的な価値観が加速する現代社会に向けられた鋭い警鐘でもあります。この作品に対する講評は以下の通りです。
仏教の教えをまず自分事として捉えることは重要ですが、仏教の慈悲の精神においては、必ずしも自分がファーストではありません。他者への思いやりのある寛容性豊かな社会になることを願って、この作品を大賞とさせていただきます。(今年60周年を迎えた「仏教伝道協会」は仏教の慈悲と共生の思想を広めることが活動目的の一つになっています)
受賞作品の中からもう一作品紹介させていただきます。広島県・超覚寺の「慣れていくことに慣れてはいけない」(仏教伝道協会賞)という作品です。

慣れはしばしば慢心をもたらします。本願寺第八代の蓮如上人は「慣れてくると人は手ですべきことを足でするようになる」(「蓮如上人御一代聞書」)とおっしゃっておられます。所作が雑になり、敬意が失われていくことへの戒めです。「お寺の掲示板大賞」は今回で八回目でしたが、今後もこの言葉を戒めにしながら継続できればと考えています。
その他の受賞作品は以下の仏教伝道協会ホームページでご覧いただけます。これ以外にも素晴らしい作品がありますので、ぜひホームページでご確認ください。よろしくお願いいたします



