若新雄純さんが浄土真宗の僧侶に!?YouTuber僧侶・武田正文さんがその背景に迫るオンラインイベントをレポート!

界隈がざわついたのは去る2022年2月4日。その震源地となったのは「わかしん」の愛称でテレビのコメンテーターなども務める若新雄純さんの一つのツイートでした。

なんと、若新さんが真宗山元派(しんしゅうやまもとは)本山・證誠寺にて得度をされ、僧侶となったと報告をされたのです!

これにいち早く反応したのがYouTubeで「仏心チャンネル」を持つYouTuber僧侶の武田正文さん。翌日2月5日にはzoomを使った特別研修会として「若新雄純さんと仏教の未来を語る!!」を企画発表し、2月16日に武田さんと若新さんによるトークイベントが行われました。

わたくし日下賢裕もイベントに参加しましたので、その様子をレポートしたいと思います!


zoomに集まったのは、60名を超える参加者。その多くは僧侶や仏教関係者の方で、若新さんのファンも集い、中には海外からの参加者も見られ、若新さんが僧侶になったことに対する注目の高さが伺えました。

●若新さんはなぜ僧侶に?

まずは武田さんから若新さんのご紹介が行われましたが、実業家、コメンテーター、そして慶應義塾大学の特任准教授など、多岐にわたる活躍をされる方だけに、なかなか一言では紹介できません。しかし若新さんは、その肩書のなさ、ジャンルにとらわれない存在であることを大切にしておられるそうで「あえて曖昧な存在でいたい」とおっしゃっていました。

ではそんな「曖昧な存在でいたい」若新さんが、なぜ僧侶になろうと思われたのか、武田さんのファシリテーションのもと、若新さんがいくつかその背景をお話くださいました。

まずはじめにあげられたのは、大学院生時代の人間性心理学の学びの中で、仏教との出会いを果たしたことでした。特に「空」の思想に触れた時に、「これは衝撃的なコンセプトだ!」と感じたのだとか。さらに心理学者の諸富祥彦さんの影響もあってトランスパーソナル心理学の流れからより深く仏教に興味を持ち、少しずつ仏教に入り込んでいったそうです。

また、福井県若狭市にある若新さんのご実家は、浄土真宗本願寺派の門徒であるとのこと。そこから浄土真宗にも興味を持つようになると、「他力」と呼ばれる思想が宇宙的な視点を上手く言語化していると感じたり、「諸法無我」とも通じる思想であると感じ、さらに親鸞聖人の人間の抱える弱さ、限界と向き合った姿が、自身が抱える課題や苦悩とも通じる部分があり、浄土真宗との距離が縮まったのだとか。

そして、そんな若新さんの背中を押したのが、なんと松本紹圭さん。「仏教に興味がある」と話す若新さんに、「じゃあライフワークにしたら?」と勧めたことが、得度への大きなきっかけになったそうです。

それでも自称「自意識過剰」な若新さん、得度の際剃髪することに抵抗があり、なかなか踏ん切りがつかないでいると、そのあたりも含めて相談に乗ってくれそうなお寺を紹介してくださるということになり、それが若新さんの地元、福井の御本山。しかも若新さんがプロデュースした「鯖江市役所JK課」のある鯖江市、というところにもご縁を感じて、真宗山元派で得度をされることを決意したとお話くださいました。

得度するまで、地元に浄土真宗の4つの御本山があることも知らなかったそうですが、いろんなめぐり合わせで、地元の御本山とのご縁が生まれたことが本当に嬉しいとお話されていました。

●若新さんの問題意識

お坊さんになるまでの経緯から、トークはさらに深まり、若新さんが問題意識を持ってこれまで取り組まれていたことへと話は進んでいきます。

その問題意識とは、やはり「過剰な自意識」の問題。何不自由無い恵まれた環境と勉強もできた若新さん。ところが中学生の頃にX JAPANとの出会いを通して好奇心が爆発、そこからは全て葛藤となるような人生が始まったと振り返ります。そしてひょっとすると、お釈迦様も過剰な自意識の持ち主だったんじゃないだろうか、と思いを馳せられ、恵まれた環境の中で、考えなくていいことまで考え抜く、常に自分に意識を向け続けた人だったからこそ、仏教という思想が生まれたのではないか、と推察をされていました。

強すぎる自意識を持ち、一時期は人間としての完成、素晴らしい人間性を目指すこともあったそうですが、自分自身の思い通りにならなさにぶつかり、更に葛藤を深めるような生き方もしていた若新さん。そんな時、大学院時代の恩師から「仏教の『諦め』というコンセプトは、キャリア論でいうところの自己実現に通じる」というような言葉から、なりたい何かになることが自己実現ではなく、「自分が生まれてきて引き受けなければならないいろんなもの、自分の持っている才能とか個性とか容姿とか環境とか全てを受容していく中で、これが自分らしいんじゃないかというものを作っていく」というように明らかな見極めをしていくことこそが「諦め」の教えであり、それこそが真の「自己実現」ではないかと気づいていかれます。

武田さんも、今を生きる人達はまるで六道における「天」の世界のような世界を生きているのではないのか、と話を広げていかれます。寒さ暑さもコントロールし、寿命も延長し、なんにでもなれるのではないかと錯覚できるような社会を私たちは生きています。しかし、そんな望ましいはずの世界すらも、必ずその先には苦しみにしかなく、そのことを伝えてくれるものこそが仏教であり、それをもっと伝えていけたら…そしてひょっとして若新さんも同じような思いを持たれているのでは?と問いかけます。

ところが若新さんは、僧侶になったことで、すぐに社会に対して何かをしていこうということではなく、「みんなが思っている以上に自分の問題なんです」と告白します。

どんな恵まれた時代、世界にあっても、「最期まで残るのは自分を生きなければならない苦しみ」である。学生時代にも「自分を抱きしめる」ための活動(バラを加えて歌を歌う!?)をしていたけれども、それでもなお自分で自分を諦められない(明らかに見つめられない)、自分のすべてを引き受けられないと、自分を受け入れる難しさをずっと感じていると語られます。そしてそれはどれだけお金があろうと、立場や生活環境を得ようと、その苦しみ、あるいは「煩悩」と呼ばれるものは消えていかないものだとも気づいたそうです。

その言葉からは、僧侶になったばかりの若新さんが、しっかりと仏教の出発点である「苦」の問題に立っているのだ、という姿勢が感じられました。

●生きづらさと共に

若新さんのお話を伺っていて感じたのは、ご自身がずっと抱えておられた「生きづらさ」に向き合い続けてこられた方なんだなということでした。「面倒くさい自分の人生をなぜ生きなければならないのか?」と問い続け、それでもその「自意識過剰で喜怒哀楽に振り回される自分の面倒くさい人生を引き受けていかなければならない」という思いを抱えて人生を歩んでこられた。

そしてその眼差しは、ご自身だけではなく、同じような「生きづらさ」を抱えた人たちにも向けられています。「こうあるべき」とか「価値ある人間になるべき」という社会通念や思考を縛る空気に流されるのではなく、価値の有無にかかわらず、その存在が肯定されなければならない場所が必要なんだ、ということを何度もおっしゃっていました。

若新さんの活動の代名詞とも言える「NEET株式会社」も、そのような思いから生まれたものだと思いますし、また「僧侶」となったことも、その問題意識と地続きであるように感じられました。

また、若新さんは対話の中で何度か僧侶となったことを「ライフワーク」あるいは「ファッション」だとも表現されました。ともすれば、「えっ!?」と驚くような言葉ですが、伝統仏教の世界は「こうでなければいけない」とされる世界に思われがちで、その中に「そういうのもありなの?」という形を示し、「物事に正解はない」「こうでなくてならないということはない」と気づいてもらえたら、そしてそれを通して生きづらさが少しでも解消されていくきっかけになれば……そんな思いからの言葉のようでした。

さらに、参加者からの質問を受けてのトークで、若新さん自身の考えもより深まりを感じさせる部分もありました。「◯◯すれば必ず△△になる(なれる)」というような明確な答えばかりが求められ、それを提供するような「サロン」や「セミナー」がもてはやされる時代。悩むことや葛藤することが、「ダサい」とか「弱い」とされてしまう空気や、すぐに答えがでないと耐えられないことが、苦しさや生きづらさの原因となっている。けれど、浄土真宗は「煩悩」――自分のどうしようもなさ、思い通りにならなさ――を引き受けていく教えであって、仏教/浄土真宗を一つのスケールとして、答えが出ないぼんやりしたものを、整理可能にすることができるのではないか、と。

そして「答えが出ないことを所有し続けることを大人のたしなみにしたい」、「悩んでなくてかっこいい、ではなくて、悩んで生きることはかっこいいことなんだってなるといい」とも表現されていました。

私自身も、浄土真宗の教えを聞く中で、「この教えは、悩んではいけない、迷ってはいけないという教えではなく、私の抱える悩みや、迷いが許される、認められる教えなんだな」と感じたことがあります。そしてそれが一つの安心に繋がったようなことがあり、若新さんのおっしゃることを頷きながら聞かせていただきました。


今回、若新さんとのトークイベントを企画した武田さんは、また若新さんと一緒になにかやりたい意欲を持っておられるようですので、また次の機会があることでしょう。僧侶となられた若新さんの今後の活動とともに、お坊さんたちとのコラボにも期待したいですね!

不思議なご縁で彼岸寺の代表を務めています。念仏推しのお坊さんです。