2021年10月30日、なら100年会館にて「H1法話グランプリ2021」が開催されました。
キャッチコピーの“宗派を超えて夢の法話共演”が示すように、これまであまり実現することのなかった複数の宗派の僧侶による法話会です。
チケット発売時はリアル開催が危ぶまれるようなコロナ禍の社会状況でありながら間もなく完売となり、感染対策のため席数を減らしたとはいえ多くの法話ファンが集結できたことはご縁という他ありません。
「H1法話グランプリ」のすごいところは、お坊さん達が中心となり企画運営しているところです。
元々は栃木県の真言宗豊山派の青年僧たちが「H1法話グランプリ」という名称ではじめた催しですが、その熱意に共感する超宗派のお坊さんたちによって全国規模の大会として2019年に「エピソード・ZERO」として開催されました。パンデミックも乗り越えて、今ようやくの「エピソード・ONE」というところでしょうか。
法話という宗派性や伝統を重んずる分野において、お坊さん自らが従来の型を抜け出していくのはとても勇気のいること。実行委員会はもちろん、登壇者もです。まずはこの場を実現させたすべての皆さんのチャレンジに大きな拍手をおくりたいです。
開始前、登壇者のお一人に話を伺うことができました。楽屋の皆さんやはり緊張なさっているご様子。
普段のお寺でお話しされている人数とは桁違いですし、オンライン配信もあまり経験がない中で、普段は話し慣れているお坊さんであってもドキドキするようです。
そんなお坊さんたちの緊張をよそに、オープニングは壮大なパフォーマンスから始まりました。
3名のお坊さんによる迫力のある太鼓の音が鳴り響き、奈良県市立 飛鳥中学校 アートパフォーマンス部の皆さんが舞台にあらわれて大きな筆で文字を書いていきます。
書き上がった毛書は「釈迦如来」の四文字。
大きな「釈迦如来」の文字が掲げられ、その前にお花などが置かれて祭壇がつくられていきます。これはこの会の「ご本尊」という意味あいでしょうか。なら100年会館をひとつのお寺に見立てていくようなプロセスに期待が高まります。
会場の準備が整ったところでいよいよ、法話が始まります。
9名(8組)のお坊さんが、この日の為に準備したという「とっておき!の法話」を代わる代わる披露していきます。
八者八様の法話は笑いあり涙ありのお話しで、会場を沸かせていました。
バラエティに富んだ審査員の方々が、コメントの中で法話の「味わい方」を示してくださるのもありがたいガイドとなります。
特に、審査委員長の釈徹宗さんは同じお坊さんとしての先輩のお立場から、違った視点をあたえてくださるような鋭いご質問をなさっているのが印象的でした。法話の本質を問われるような問いもあり、聴衆だけでなく登壇者にも気づきが生まれる場となっていたように思います。
「H1法話グランプリ」という名称から、「法話に優劣をつけることではない」という意見もお聞きします。実際は「また会いたいと感じたお坊さんは誰?」という形での投票となっており、法話そのものについての評価ではないのですが……
会場で一緒だった友人(お坊さんではない方)に、そんな話しをしてみると「え?そんな意見があるの?」ととても驚いており、全く意に介していない様子でした。やはり来場者の心理としては、ただお話しを聴いておわりではなく最後に自分も投票に加われる参加型だからこそ盛り上がるということ。その興味から、遠方からでもわざわざ集まってくるのです。
同時に、登壇するお坊さん側の意識も問われる場であると強く感じました。「H1法話グランプリ」に集う聴衆は、普段お寺で法話を聴いている方とは限りません。特にそういう方は仏教に対して、より良く生きるための智慧や、哲学としての仏教を求めています。
たとえば私の友人が言うには、審査員とのやり取りで僧侶や信者さんにしか実感のない宗派的文脈だけで受け答えされてしまうと残念に感じた、、、とのこと。そのお坊さんの宗教者としての自分の言葉を聞きたいのだと思います。
審査員のいとう せいこうさんが、超宗派でお坊さんが集まることによって、単独宗派の法話会で感じるような「囲い込み」をなくすことにつながる。もっと各地で超宗派の法話会をやったらいいのに、といった趣旨のコメントをなさっていました。
私も同感です。「グランプリ」形式は多くの聴衆に集まっていただくための方便に過ぎず、この場の本質的な意義としてはいとうさんの仰る「囲い込み」のない聴聞の場であるということ。壁のとれたフラットな場において、若手の宗教者たちが現代を生きる人々の抜苦与楽に貢献していけたら素晴らしいですね。
全国各地でこのような超宗派の法話会がどんどん開催される未来を願って、今後も「H1法話グランプリ」を応援していきたいです。