2017年3月4日と5日、浄土真宗本願寺派が取り組む、10〜20代の若者のための新しい智慧の学び場『スクール・ナーランダ』が、富山県高岡市にて開かれました。
『スクール・ナーランダ』は2月の京都に続いて2回目。富山では、「『土徳(どとく)ー土地からのいただきもの』が育むものづくり」をテーマに、豊かな自然と”真宗王国”と呼ばれる土地の精神風土を、フィールドワークと講義で学ぶプログラムが展開されました。
私も、1日目の午後から2日目の講義の終わりまでを参加させていただきました! そのようすについて、彼岸寺のみなさんにもレポートをお伝えしたいと思います。
職人たちの気質のバックグラウンドにある「念仏」
高岡は、富山県内第二の都市。慶長14年(1609)、初代加賀藩主・前田利長が自らの隠居城として高岡城を築城したときに町が開かれました。そのとき、新しい城下町の産業の礎をつくるために招かれたのが7人の鋳物師。利長は、現在の金屋町に工場五棟を建てて彼らを手厚く保護したと伝えられています。
高岡城は、慶長19年(1614)の一国一城令により廃城の運命をたどりましたが、400年の時が流れても高岡銅器の歴史は受け継がれ、現在も銅器生産は全国トップシェア。仏具の9割は高岡でつくられています。
この高岡銅器を受け継いできた、職人たちの実直で勤勉な気質を培ってきたのが「お念仏」です。北陸地方は、文明3年(1471)に蓮如上人が越前吉崎に吉崎御坊を建立して以来、念仏道場(御坊)を中心にした自治集落・寺内町が数多く形成されました。この地では、500年以上にわたってお念仏が日常にある暮らしが営まれてきたのです。
『スクール・ナーランダ』の特色のひとつは、開催地の歴史・文化を深く掘り下げるなかに、仏教を再発見しようとすること。『スクール・ナーランダ vol.2』では、高岡の精神風土の背景にあるお念仏に光を当てることによって、生きることと仏教の関係をひもとくプロセスが共有されていきました。
棟方志功が「南無阿弥陀佛」と出会った土地
『スクール・ナーランダvol.2』のメイン会場となった飛鳥山善興寺もまた、約500年にわたって念仏道場として受け継がれてきたお寺です。昭和20〜26年(1945-51)の間、富山県福光町に家族とともに疎開していた板画家・棟方志功もまた、この善興寺をたびたび訪れてお寺の人々と親交を結んだそうです。
最初の授業の先生は、真宗大谷派大福寺のご住職で、日本民藝協会常任理事の太田浩史さん。棟方志功が富山で過ごした6年8ヶ月の間に、浄土真宗の思想に触れることによって起きた、作品との向き合い方の変化についてお話をされたようです。
自らの感性で選び、集めてきた骨董品を見せてくださった太田浩史さん。
福光美術館『愛染苑』。棟方志功の暮らした家を見学する参加者はみな楽しそうでした。
高岡の人気カフェ[コンマ・コーヒー・スタンド]さんの特製ランチをいただいた後は、棟方志功が家族とともに暮らした自邸『愛染苑』を見学(私はここから参加しました!)。こじんまりした木造の家は、なぜかとても居心地がよく「過不足がない」という感じがしました。家のあちこちには、棟方志功が絵筆を走らせた跡が残っており、この家と作家が分ちがたく結びついて、そこに暮らしがあったのだろうと思われます。見学を終えると、ふたたびバスに乗って善興寺に戻りました。
「かなたからのはじまり」天文学者・観山正見さん
観山正見さんは、前・国立天文台台長で、星や惑星系の形成過程・系が惑星の探査などの研究者であると同時に、浄土真宗本願寺派の僧侶でもいらっしゃいます。
星の誕生、太陽の最後、そして銀河の群れ。授業のなかで、観山さんはパワーポイントでさまざまな宇宙の姿を映し出し、”宇宙のかなた”へと思いを馳せるハシゴをかけてくれました。さらに、国立天文台4次元デジタル宇宙プロジェクトが開発したソフトウェア『
Mitaka』を使って、宇宙の構造や天体の位置を見せながら宇宙の大旅行へと連れ出してくれました。
たとえば、「地球がリンゴの大きさ(直径約10cm)なら、月は直径2.5cmのピンポン球の大きさで3m先、太陽は直径約10mの大きさで1.2km先にあるということになります。太陽系の惑星たちは真横から見ると、ぴたりと揃って同じ軌道上に並びます。その映像を見た時などは、会場から驚きの声が漏れていました。
宇宙が誕生してからの138億年を、1年に圧縮したカレンダーをつくると、地球が生まれたのは9月2日。9月7日に生命がめばえますが、ホモサピエンスが誕生したのはなんと12月31日の19時53分になるのだそう! 宇宙の目で見ると、人類の歴史なんてほんの一瞬のことになのです。
「手を見ると、宇宙のすべての材料が集まっています。広大な宇宙はすべてつながり合っているんです。私たちはみんな星の灰から生まれてきました」と観山さん。宇宙という無限の広がりを、少しだけでも感じているときに「この宇宙と私がつながっている」と言われると、「私」という言葉の意味がずいぶん違って感じられました。
観山先生は「宇宙は私たちのふるさと」だと話されました。「夜空を見上げれば、大きな問題も少し小さく感じる」とも。モノの見方のスケールを変えるという意味では、夜空を見上げることと仏教を知ることも少し似ているのかもしれません。
美術家・内藤礼さんを囲んでの鼎談
1日目の最後には、この日の先生方に加えて美術家の内藤礼さんが登壇され、『スクール・ナーランダ』のプロデューサー・林口砂里さんの司会のもとで鼎談が行われました。まずは、この日初登壇となる内藤さんの作品について、林口さんから紹介が行われました。
「内藤礼さんに会いたくて」参加したという人も多かったようです。
内藤さんは「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」という問いをテーマに制作されています。ずっと、とても繊細な素材を用いたインスタレーション(空間芸術)の彫刻作品をつくられていたのですが、2001年にひとつの家をつかって初めてのパーマネント作品を制作したときのことを、こんな風に話されました。
善興寺にて、棟方志功が描きあげた『御二河白道之柵(おんにがびゃくどうのさく)』
「コントロールして完成させることを目指してきた私は、大きな変化を迫られました。光や音はコントロールできないこと。私のからだと同じくらいの密着度だった作品が、離れた瞬間に私ではなくなってしまうこと。私がいないときに、作品のなかに入られることは、私の身体や頭の中に入ってこられるような感覚ですよね。そのことを思いながら作っていきました。能動的な受容というか…。後の仕事、後の私を変えた作品、体験でした」。
棟方志功は富山で浄土真宗に出会い「作為をしなくなった」と言われています。内藤さんが制作を通じて得られた境地も、どこか共通するものがあるのかもしれません。ちなみに、太田さんは、林口さんから内藤さんの問い「地上に存在することは、それ自体、祝福であるのか」を聞いたとき、「祝福されているよ」と即答されたそうです。
美術家の内藤さん、天文学者、民藝の研究者でありながら僧侶であるおふたりは、それぞれにフィールドも立場も異なっていますが、3者に共通するのは「私」という小さな存在を手放して、はかりれない大きな何かに自らを委ねることで、より深くこの世界を感じ取ろうとする姿勢ではないかと思いました。
鼎談のあとは、参加者がグループに分かれてディスカッション。それぞれに今日一日の感想を共有し、リーダーが話し合った内容をまとめて報告していました。各グループごとに、違った視点からの質問が出るのもとても興味深かったです。
いちばん印象に残っている質疑のやりとりは、あるグループから内藤さんに「作品制作の前にはどんな情報収集をしているのですか?」という質問があったときのこと。内藤さんは「情報収集という気持ちで何かを集めることはない」と応えて、次のように話されました。
「私の場合は。生きていることから自然に生まれてくるもの、自分から生まれようとするものに気づくことがつくること。それを自分の自我がおさえつけない、邪魔をしない。生まれようとしているとも言えるし、別の面からいえば切実な気持ちがあってそれを生むことによって私がなんとか生きていくことができるというか。外から見ている自分からすると生まれようとしているものを手助けするということです」。
東日本大震災の後、内藤さんが制作している「ひと」。「そのひとはしんじるひと ひとにむき ひととおもう ひとにむき きぼうとおもう きぼうにむき ひととおもう きぼうにむき きぼうとおもう」(内藤礼2011)
内藤さんは、一見するとつくる主体は「自分」ではないような答え方をされているようにも思えます。「自分が(つくることを)邪魔をしないようにする」「生まれようとしているものを手助けする」。いったい作品は、どこから生まれてくるのでしょうか?
この日一日を過ごして、先生方のお話を聞いて思ったのは,3人ともが「すでにそこにある何か」に気づく感性=センスを持っておられるということです。そして、そのセンスは自分自身をよく知ろうとするセンスでもあり、この世界をよく知ろうとするセンスにもつながっていくのではないか、と思うのです(
後編につづく)
スクール・ナーランダ Vol.2 富山(開催概要)
2017年3月4日(土)・5日(日)
会場:飛鳥山善興寺、他
講師:(3/4)太田浩史(真宗大谷派僧侶)、観山正見(天文学者)、内藤礼(美術家)
(3/5)飛鳥寛静(浄土真宗本願寺派僧侶)、能作克治(金属鋳物メーカー)、島谷好徳(鍛金職人)
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