【要旨】
横浜市栄区にある瀬上沢の緑地で開発計画が進んでいます。開発に賛成の人、反対の人、どちらでもない人、瀬上沢を初めて聞く人、様々な人がいるでしょう。
そんな中で「みんなで横浜のみどりと未来を考える」住民投票を実現するために、6万人の署名を集める活動をしている人たちがいます。
先月当地を訪れて、これは他人事ではないと感じました。もし御自身が横浜市民、もしくは横浜市民の知人がいる場合、是非とも以下のサイトを御覧ください。そして少しでも想いをよせてくだされば有り難い限りです。
http://savesegami.com/
All Photos by Yu Nozaki
【本文】
先月11月2日に横浜市栄区にある瀬上沢の緑地を訪れた際、数人の活動家の方々とお話しました。活動家といっても会社員、アーティスト、教師といったごくふつうの市民で、本人達がそのように自称しているわけではありません。このように書いたのはお会いした中の一人が勤める会社の創業者であるイヴォン・シュイナード氏の著書に、とても印象的な言葉があったからです。
“「活動家」という単語は、環境を盾にした妨害や暴力的な抗議運動を思い起こさせるため、嫌がる人もいるかもしれない。しかし、私の言う活動家とは、空気や水などの自然資源を守る義務を政府に果たしてほしいと願うふつうの市民を指す”
『社員をサーフィンに行かせよう』(Yvon Chouinard 著/森摂 訳)
「活動家」の彼らから最近この地でいよいよ大規模な開発が止め難い状況である、すなわち人間と自然の営みのバランスが修正できないほど崩れていると聞き、「あぁ、ここにも」と言葉にならない想いが湧いて来ました。
何だかよくわからないけれど、何だかおかしい
そう漠然とした感覚を抱き、世界各地で何だか起こっているらしい何だか同じような状況に、何だかできることがないのだろうか、と感じているふつうの市民の何だかは、少しずつですがたしかに増えているように感じます。
それでも普通はたかが「何だか」で、誰もわざわざこんな「活動」をしたがりません。もっと楽にわかりやすく効率良く、おまけに達成感や幸福感なども味わえる方法はいくらでもあるからです。しかしそれでも活動しているふつうの市民がここにいる。そのことがとにかく嬉しかったのです。
私自身はというと、このような問題が多々あることは知っていながら「活動」することありませんでした。しかし今年の夏に地元鳥取県の水源地で起こっている問題に出会い、関わらずにはいられなくなりました(夏の旅日記)。
実際に関わってみても、やっぱりあまりいいことはありません。今までいかにまわりが見えていなかったかに気付かされ、自分自身が問題の本質であるという矛盾に向き合うことは愉快とは言い難い。さらにそれらを言葉にして人に伝えようとなると、もう。へとへとになります。
それでも関わらずにいられないのは、活動を続けることで今まで見えなかった光明が指すことがあるからです。そこにあるものは変わらないはずなのに、以前見ていたものとはあきらかに違う景色が見えるような、なんといえばいいのか、くもりガラス越しに眺めていた室内から、自分の足で窓枠を飛び越え外の世界に出て澄んだ空気の中で呼吸をするような、そんな開放感がたしかにある。
鳥取の水源や瀬上の森に関わるご縁に巡り逢い、本当にありがたい。もう「何だか」は何だかわからなくてもいい。この何とも言えない「何だか」を何とかしてあなたとも共有しておきたかったのです。
「賛成でも反対でもいいんです。人々と政治にある大きな隔たりを何とかしたい」
瀬上沢で育ち、十年以上開発問題に関わっている方がそうおっしゃっていたのが忘れられません。緑の風と土に坐って。
長文読んで下さりありがとうございます。何か感ずるところがあれば、想いを馳せて下されば嬉しいです。
あきらめるをあきらめない。数滴のしずくもやがて大河となりましょう。
祈諸縁吉祥
星覚九拝